畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

記憶回路

2011-12-05 18:42:23 | 介護日記

12月5日(月)   いちじ 

花畑に行く。よく降る雨のおかげで、畑土は、十分以上の水分に潤っている。暖かさのせいもあって、軟弱気味に生育しすぎたと思っていたが、ダイコンやカブ、菜花など、太陽熱処理をした畝に播種した野菜は、全体に生育が止まり、いじけたようにちんまりとしている。畑の養分が抜けて、肥料不足にでもなったのか。キャベツ、ブロッコリーなどが、いっせいに、収穫期に入ろうとしている。

タマネギの植付、約700本。ヤマイモの収穫。

夕方は、母の洗濯ものを交換に行く。

夕方なので、ほとんど皆で、食堂に集まっている。母も席に座っている。一応声を掛けておこうかと、そばに行く。判るかねと声を掛ける。「判りますよ」「どうしてここにいるんですか」

ドキッとする。入所の時に、どこも悪くないのに、なんで私が、ここにいるのかと、反応していたからだ。誰が?と、訊ねてみると、「あんたがですよ」

なんで私が、ここにいるのかと、問うていたのだ。会いに来たんじゃないか、顔を見に来たんだよ。「そうですか。元気ですよ。」ご飯はおいしいかねと聞くと、「はい、美味しく頂いています」

つい先日、姪夫婦が訪ねてくれて、あれほど大はしゃぎをしたことなど、全く記憶の隅にもない。ばかりか、入所の経過も、入所前の生活、自宅の自分の部屋での生活の記憶などは、全く欠け落ちている。今、ここでの生活が、苦痛でさえなければ、満足して瞬間、瞬間だけを、生きている。昔の記憶は、思い出としてだけ抱いており、特殊の時に浮かび上がるだろうが、それ以外の、日常の連続は、記憶の回路から、抜け落ちる。ざるで水をすくいながら暮らしているかのように思える。こうした生は、果たして、幸せといえるのだろうか。

コメント
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