畑のつぶやき

畑や田んぼの作物の生育や農作業の報告
農家の暮らしの日記
田畑を取り巻く自然の移ろいの描写
食、農への思い

気遣い

2011-06-01 19:25:57 | 農作業

6月1日(水)  

昨日、やり残してしまったトマト用の支柱組。さすがに、午前中も早めに終わる。片付けて帰って来て、午後の準備。

5日(日曜)は、共同作業で、農道や、水路周りの草刈だ。私の住む集落と、離れた田んぼを借りている集落と、ダブってしまう。同じ日に招集がかかる。一人なので、地元優先ということで、他所の集落の作業は、欠席させてもらう。ただ、自分で耕作している田んぼの地続きの農道や、水路の草を刈ってもらうのは気が引ける。だから、前もって草刈をしておくことにする。共同作業に出れるときも、自分の田んぼの周りは、極力草を刈って、共同作業の負担を減らすようにはしてきた。欠席となれば、なおさら、草ぼうぼうにはしておけない。田集落で、耕作していると、このような気の使い方をすることになる。こうした気遣いで、うまくやって行けるなら、たいしたことではない。

午後は、その田んぼの草刈。モアと刈払機両方での作業。

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セグロ

2011-06-01 06:20:48 | 食事

5月31日(火)   いちじ 

宮畑。トマト用の支柱立て。一日やるが終わらなかった。不足する資材があり、ホームセンターに行ったり、竹を伐り出しに行ったりもする。しかし、「終わらなかったのか?」という気持ちを、抱えながら、帰宅。こんな気分の時は、なんとなく、疲労感とか、倦怠感とかも湧き出してくるものである。

風呂でも沸かしながら、新ジャガで、ポテトフライでも作って、一杯やろう、などと思いながら、台所に立つ。と、メモが目に入る。「セグロ、もらってある」。カタクチイワシのことである。当地では、大量に水揚げされた時には、浜からの生鮮便が、あちこちに飛び交う。そして、その、御相伴に、あずかれるのである。以前は、最盛期には、連日のように、食べきれないほどを頂いたものである。この何年か、環境の異変か、水揚げはがくっと落ちているらしい。それでも、こうして、頂けることもある。

美味しくて、大好きな、頂きものである。生よし、煮てよし、揚げてよし。さすがに、この時期は、生ではあまり食べないが、唐揚げは、ビールのつまみに最高だ。

難はある。ご存知だろうが、小さい魚である。煮干しを見ればわかるだろう。食用は、もちろん大きいものだが、それでも、量は数である。それを、処理するとなると、時間はかかる。今日のように、気持ち的に、ぐったりしている時には、「えっ!、こんなときに」と思っても、罰は当たるまい。

が、ポテトフライと並ぶ、カラ揚げのチラチラが、勝利した。ボールに水を流しながら、頭をちぎってゆく。内臓も、くっついて引き抜かれる。指ほどの大きさのものだから、不器用な私には、苦手な作業。が、それも数多くやれば、何とか形になるものである。頭と内臓は、我が家の犬猫の、御馳走となる。頭の無い身の方は、よく水洗いして、唐揚げ用は、腹を良く洗い、手開きにしておく。とても全部を揚げる訳にはいかない。20匹ほどでやめる。残りは、といっても、八割もの量だが、佃煮だ。圧力釜を利用して、ショウガの効いた、甘から醤油で、一煮すれば、骨も柔らかになる。好き惣菜となる。

イワシの唐揚げと、新じゃがのポテトフライ。当然のことだが、昨夜は、パソコンの前に座る時間を、取れなかった。

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