畑のつぶやき

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食、農への思い

空腹こそ、エネルギー

2009-07-02 19:34:05 | 暮らし
7月2日(木)  いちじ 

朝は、明るいくもり空で、薄日も射していた。しかし、天気予報は、雨。しかも、雨雲の予想では、かなり強い雨になりそう。ネットの、ピンポイント予報でも、昼過ぎにかけては、かなりの降りになる予報。
一日、事務作業をしようと、準備する。ときどき、体を動かしに、ハウス内を片づけたり。が、結局は、小雨程度が、時折降り続くだけであった。予報にだまされた一日。

コメント「2食か3食か」の、付録、「生活習慣病に勝つには」、読んでみた。3食、しかも、朝食が、3食目として、定着したのが、明治になってからというのには、驚いた。まだほんの、100年ちょっとしかたっていないとは。というよりは、現代栄養学が、朝食を取らない弊害を、もっともらしく、主張している理由はなんだろう。
子供の食事は、別だと思う。犬や、猫も含め、動物の子育てを見ていると、母親は、子供の欲求のままに、授乳している。人も動物なので、そのあたりは同じだ。ただ、空腹になると求め、求められるがままに、授乳する。
離乳しても、育児期間は、求められるがままに、食べさせる期間があってもよいだろう。人が、自立して、自ら食物をとれるようになる、動物的年齢は、何歳くらいなのだろうか。
(自立する、社会的年齢は、どんどん高齢化している。明治以降でさえ、12~3歳位であっただろうが、どんどん長くなり、今では、二十歳を過ぎても、自立できていない状況だろう。)
しかし、すくなくとも、一定の年齢以降は、空腹をエネルギーとして、労働するという、生活パターンの転換があるべきだと思う。野生の動物の、壮絶な、親離れ、子離れの、戦いなどを見ていると、とくにそう思う。
人にもそのような、育てられる対象から、劇的に抜け出ることを、経験する必要がありそうだ。さまざまな、社会的束縛が、がんじがらめになっていて、難しいのだろうが。



コメント (1)
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