東方のあけぼの

政治、経済、外交、社会現象に付いての観察

九条物語

2014-11-21 07:59:44 | 憲法第九条

ケント・ギルバードさん、弁護士で日本のテレビタレントというのかな、夕刊フジにいいコラムを連載している。「反撃せよ! ニッポン」というのだが。

11月21日(20日発行)には憲法第九条問題が書かれている。「馬鹿げた憲法論議を早く終わらせよ」、「前文や9条――GHQの露骨で幼稚な嫌がらせが目に余る」というわけである。

そこでわたしも少々。9条については日本の保守(反動)も揺れ動いた経緯がある。別の言い方をすれば「うまく利用した」。しかし小細工の連続で保守勢力も自縄自縛になったふしがある。

終戦直後、米国は日本国民を徹底的に家畜化し経済的に決定的に(再起出来ない様に)破壊することを方針とした。突拍子もない第九条を押し付けた。主導権を握っていたのは民主党の青二才グループである。馬淵睦夫氏によればユダヤ人たちである。

ところが冷戦が始まり朝鮮戦争が勃発すると、これじゃ塩梅が悪いとアメリカは気が付いた。とっくに連合国軍総司令部(GHQ)内の左翼グループは駆逐されていた。

日本に再軍備を要求したのである。1950年アメリカは二度にわたり強硬に日本の再軍部を要求した(ダレス、マッカーサー)。時の首相は自由党の吉田茂。

吉田茂首相は拒否した。理由はふたつ。経済的にどん底でこれ以上は考えられない荒廃状態にあった日本で軍事費負担は出来ない。二つめは終戦後の混乱期に日本人に強姦略奪の限りをつくした半島人のために日本人の生命を犠牲に出来るかという吉田茂の日本人としての心情である。

朝鮮戦争に日本を参加させることをアメリカは諦めたが、日本に後方兵站基地としての役割を強制した。これが結果的に皮肉なことに日本経済の復興にモメンタムを与えたのである。日本の保守勢力にとって、第九条を変える等という考えは頭に浮かばなかった。

その後、アメリカの再軍備の要求は絶えることが無く、日本の保守勢力はなし崩しにスローペースで小出しにアメリカの要求に応えて来た。まるで現在のオキナワ問題の対処とおなじだ。

すなわち、警察予備隊の設立、そしてそれの自衛隊への変更である。その後ベトナム戦争でも日本は第九条を盾に後方基地以上のコミットメントをしなかった。

潮目が変わって来たのは冷戦終結後だろうか。イラク戦争あたりからアメリカの圧力がまた強くなった。また、冷戦直後のアメリカの軍事一強時代は早くもかげりがでてきた。チャイナの軍事的勃興と侵略主義、覇権主義が日本の領土も対象にしていることが明確となり、保守勢力も新しい世界情勢に対応せざるをえなくなった。

ところがである。保守勢力がアメリカの再軍備要求を拒否する理由にして来た第九条が知能低劣な幼稚集団の旗印に変わっていたのである。これに手を焼くことになる。

この変化はきわめて興味があるものだが、正面から取り上げる論者はいないようだ。

終戦後の日本の極左、左翼勢力で日本が軍事力を持たなくてよいなどと考えるものはいなかった。ようするに、資本主義、保守主義としての国での軍事力か、共産党独裁、左翼革命後の体制で彼らの軍隊を保持するかの違いである。

主義に違いはあれ、無防備主義で良い等と考える政治家は左右両勢力で精神薄弱者か精神異常者でしかいない。個人で無抵抗主義をとなえ、かつ実行するのはあるだろう。それを貫ければ尊敬も得られる。しかし、国民の生命と財産を預かるのが使命である政治家で「第九条」を絶対に守らなければならないと主張する人間は犯罪者である。人民の敵である。反逆者、押し込み強盗の手引き役である。

軍隊の好き嫌いの問題ではない。わたしもどちらかというと軍隊はきらいだが、必要ないという馬鹿げた主張は出来ない。


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