台北車站の北側にある宿への帰路を急いでいた。大きな裏路地を歩いていたときだ。
「おにいさん、遊んでいかないか」
と、日本語で声をかけられた。
ポンびきだ。
どうやら、おばさんのようだ。
「かわいいこいるよ。遊んでいかないか」
無視して歩いていくが、執拗についてくる。
なにか言葉を返せば、それに食いついてきて、さらにしつこいだろう。
その時、一計を案じて、おばさんを振り向いた。
ひっかかった、と思ったのだろうか、おばさんがにんやりと笑った。
そこで一言。
「아줌마, 무슨 말이에요?」
「へ?」
おばさんの口がぽかんと開いた。
「무슨 말이니까요?」
「・・・わからないよ」
「뭐에요?」
「日本語で言っておくれよ、わからないよ」
混乱したまま、おばさんは遠ざかりだした。
「뭐야!」
「わからないよおおおおお」
おばさんはそのまま、足早に走り去ってしまった。
その逃げる背中に、
「아줌마!말해봐!」
と、追い討ちをかけた。
これは、なかなか効果的な手段だろう。
日本人と見れば、日本語でもちかけてくる胡乱の輩に、韓国語で応対すれば、たぶんたいがいは斥けることができそうだ。
ただし、TVで3流タレントがやってるような、デタラメ××語ではだめだ。
相手がその語も話せることを想定して、ちゃんと話せなければだめだ。
もしかしたら、いずれは韓国語でも応対してくるやつが出てくるかもしれない。
次は、モンゴル語で行こうか・・・。
「おにいさん、遊んでいかないか」
と、日本語で声をかけられた。
ポンびきだ。
どうやら、おばさんのようだ。
「かわいいこいるよ。遊んでいかないか」
無視して歩いていくが、執拗についてくる。
なにか言葉を返せば、それに食いついてきて、さらにしつこいだろう。
その時、一計を案じて、おばさんを振り向いた。
ひっかかった、と思ったのだろうか、おばさんがにんやりと笑った。
そこで一言。
「아줌마, 무슨 말이에요?」
「へ?」
おばさんの口がぽかんと開いた。
「무슨 말이니까요?」
「・・・わからないよ」
「뭐에요?」
「日本語で言っておくれよ、わからないよ」
混乱したまま、おばさんは遠ざかりだした。
「뭐야!」
「わからないよおおおおお」
おばさんはそのまま、足早に走り去ってしまった。
その逃げる背中に、
「아줌마!말해봐!」
と、追い討ちをかけた。
これは、なかなか効果的な手段だろう。
日本人と見れば、日本語でもちかけてくる胡乱の輩に、韓国語で応対すれば、たぶんたいがいは斥けることができそうだ。
ただし、TVで3流タレントがやってるような、デタラメ××語ではだめだ。
相手がその語も話せることを想定して、ちゃんと話せなければだめだ。
もしかしたら、いずれは韓国語でも応対してくるやつが出てくるかもしれない。
次は、モンゴル語で行こうか・・・。
ブリュッセルでの宿を諦めた私は、早々に次の町・アントワープに移動するべく、駅に向かった。
パリから到着したのはBRUSSEL-ZUIDという駅だったが、アントワープ方面に出る列車はBRUSSEL-CENTRAALすなわちブリュッセル中央駅らしい。
切符を買って、構内のスーパーで列車内で飲むものを物色したが、特段のものもなく、そのまま構内に入ろうとしたところ、ちょうどワッフルのスタンドがあった。
ベルギーと言えば、ワッフルじゃないか。
そんな貧相なイメージが脳裏をかすめ、思わずひとつ所望した。
ホームで列車を待ちながら食べた本場のワッフルは、特に可もなく不可もなく、ただ食べたという記憶を残すだけだった。
本物というのは、得てしてそういうものだ。
ブリュッセル中央駅からアントワープ中央駅に到着したのは、16時を回った頃だった。
まず驚いたのには、ホーム全体の半分が崩れ落ちていたことだ。
いや、正しくは、掘り起こして工事をしていたのだった。
およそ、工事現場が,これだけあからさまに露見してしまっているところを知らないので、いささか面食らってしまったのだが、どうやら閑な老人たちには格好の娯楽なのだろうか、何人もが飽きもせずに工事の様子を見物していた。
さて、なによりも、今夜の宿を探さなければならない。そのためにはまず、ツアリスト・インフォメーションを、探さなければならなかった。
ツア・インフォは駅を出た横にあった。
実にわかりにくいところにあって、一度駅を一蹴する羽目になったが、ようやく見つけた。
中に入ると、カウンターの中には男性が一人いて、若い女性の旅行客の注文を聞いていた。
その女性は、一目で韓国人と見て取れたので、カウンターの男性が電話で調べている間に、声をかけた。
「韓国人ですね」
「あら、あなたも」
まるで、会話入門の典型のような会話が続く。
「いえ、私は日本人です」
「あら、そうなの。韓国語を話せるのね」
「わかりました。大丈夫ですよ」
男性が、調べものの結果を報告した。
どうやら、彼女は希望していた宿がとれたようだ。
男性は、宿の住所やらを書き込んだ紙を差し出して、私のほうを向いた。
「あなたも韓国人?」
「いいえ」
「でも、今、彼女と話をしていませんでしたか?」
と、既に出て行くところの女性を示した。
「ああ。でも、私は日本人です」
そういうと、男性は「ほう」と声をあげた。
「日本のどこですか?」
とお定まりの質問をしてきたので、こちらもまたお定まりの、
「知らないと思いますよ。岡山というところです」
「岡山、知ってますとも」
そういう反応は初めてだった。たぶん、職業柄の社交辞令と思ったのだが、男性は続けて、
「たしか、日本で有名な三公園の一つがありますね」
これには、驚いた。確かに若干の智識はあるようだ。
「名前は・・・コウラクエン」
ビンゴ。
「あとの二つは、カイラクエンと・・・リツリンコウエン」
おっと、これは惜しかった。
しかし、栗林公園の名が出るとは、ただものではない。
男性はすぐに種明かしをした。
「香川県に、住んだことがあります」
なるほど。
それで、栗林公園、か。
それにしても、最後まで彼の日本語を聞くことはなかった。
パリから到着したのはBRUSSEL-ZUIDという駅だったが、アントワープ方面に出る列車はBRUSSEL-CENTRAALすなわちブリュッセル中央駅らしい。
切符を買って、構内のスーパーで列車内で飲むものを物色したが、特段のものもなく、そのまま構内に入ろうとしたところ、ちょうどワッフルのスタンドがあった。
ベルギーと言えば、ワッフルじゃないか。
そんな貧相なイメージが脳裏をかすめ、思わずひとつ所望した。
ホームで列車を待ちながら食べた本場のワッフルは、特に可もなく不可もなく、ただ食べたという記憶を残すだけだった。
本物というのは、得てしてそういうものだ。
ブリュッセル中央駅からアントワープ中央駅に到着したのは、16時を回った頃だった。
まず驚いたのには、ホーム全体の半分が崩れ落ちていたことだ。
いや、正しくは、掘り起こして工事をしていたのだった。
およそ、工事現場が,これだけあからさまに露見してしまっているところを知らないので、いささか面食らってしまったのだが、どうやら閑な老人たちには格好の娯楽なのだろうか、何人もが飽きもせずに工事の様子を見物していた。
さて、なによりも、今夜の宿を探さなければならない。そのためにはまず、ツアリスト・インフォメーションを、探さなければならなかった。
ツア・インフォは駅を出た横にあった。
実にわかりにくいところにあって、一度駅を一蹴する羽目になったが、ようやく見つけた。
中に入ると、カウンターの中には男性が一人いて、若い女性の旅行客の注文を聞いていた。
その女性は、一目で韓国人と見て取れたので、カウンターの男性が電話で調べている間に、声をかけた。
「韓国人ですね」
「あら、あなたも」
まるで、会話入門の典型のような会話が続く。
「いえ、私は日本人です」
「あら、そうなの。韓国語を話せるのね」
「わかりました。大丈夫ですよ」
男性が、調べものの結果を報告した。
どうやら、彼女は希望していた宿がとれたようだ。
男性は、宿の住所やらを書き込んだ紙を差し出して、私のほうを向いた。
「あなたも韓国人?」
「いいえ」
「でも、今、彼女と話をしていませんでしたか?」
と、既に出て行くところの女性を示した。
「ああ。でも、私は日本人です」
そういうと、男性は「ほう」と声をあげた。
「日本のどこですか?」
とお定まりの質問をしてきたので、こちらもまたお定まりの、
「知らないと思いますよ。岡山というところです」
「岡山、知ってますとも」
そういう反応は初めてだった。たぶん、職業柄の社交辞令と思ったのだが、男性は続けて、
「たしか、日本で有名な三公園の一つがありますね」
これには、驚いた。確かに若干の智識はあるようだ。
「名前は・・・コウラクエン」
ビンゴ。
「あとの二つは、カイラクエンと・・・リツリンコウエン」
おっと、これは惜しかった。
しかし、栗林公園の名が出るとは、ただものではない。
男性はすぐに種明かしをした。
「香川県に、住んだことがあります」
なるほど。
それで、栗林公園、か。
それにしても、最後まで彼の日本語を聞くことはなかった。
スイスのパンは不味いという。
物の本に拠れば、スイスでは、穀物の備蓄という観点から、新米ならぬ新麦はすべて備蓄に廻され、流通するのは前年以前の古米・古古米ならぬ古麦・古古麦ということになり、それを使ったパンなどの味が、格段に落ちるというのだ。
本当に、そうなのだろうか?
私は、チューリッヒ中央駅のキオスクに並ぶBREZELにすっかり虜となってしまった。
たっぷりのバターとシンケンなどが挟まれた円盤状のそのパンは、実に旨く、一週間ほどの滞在の間に、いったいいくつ食べたかわからない。
ついでに言えば、パリに旅立つ時にも、2個ばかり買って、列車に乗ったものだ。
ほんとに、だれが言ったのだろう?スイスのパンが不味いだなんて。
物の本に拠れば、スイスでは、穀物の備蓄という観点から、新米ならぬ新麦はすべて備蓄に廻され、流通するのは前年以前の古米・古古米ならぬ古麦・古古麦ということになり、それを使ったパンなどの味が、格段に落ちるというのだ。
本当に、そうなのだろうか?
私は、チューリッヒ中央駅のキオスクに並ぶBREZELにすっかり虜となってしまった。
たっぷりのバターとシンケンなどが挟まれた円盤状のそのパンは、実に旨く、一週間ほどの滞在の間に、いったいいくつ食べたかわからない。
ついでに言えば、パリに旅立つ時にも、2個ばかり買って、列車に乗ったものだ。
ほんとに、だれが言ったのだろう?スイスのパンが不味いだなんて。
リヒテンシュタイン侯国に行ったことがある人は、意外と多いだろうと思う。
でも、そのほとんどは、たぶんバスかレンタカー、電車で行った人というのは、あまりないのではないだろうか。
ザルツブルク駅のトラベル・インフォメーションで、
「ファドゥーツに行きたいので、時刻表をくれ」と、頼むと、
「どこ、それ?」と、返されてしまったのだ。
その前のミュンヒェンでも、そうだったので、ゃれやれ、と思いつつ、
「リヒテンシュタインなんだけど」
「なに、それ?」
そもそも、ガイドブックらしいものを一冊も持たずに欧州まできてしまったのが、間違いといえなくもない。
やっとこさ手に入れた時刻表には、途中の駅でバスに乗り換え、と書いてある。
「バス?列車はないの?」
駅員さんにもよくわからないけど、列車は2時間に1本くらいしかないらしい。
しかも、駅名はシャーン。
「シャーンがファドーツの駅の名前?」
「ん~、たぶん」
インスブルックの駅では、さすがにファドゥーツ1枚、というとすぐに出てきた。
フェルトキルヒ駅で乗り換えて、10分ほど走った頃、列車が止まった。
あれ、信号待ちかな、と思いながら何気なく外を見ると、線路脇の建物の壁に「シャーン-ファドゥーツ」の文字が、読めて取れた。
ここが、シャーンだ!
なんで、アナウンスがないんだよ!と、あわてて席を立ち上がると、向かいの席のおばあさんが僕を見上げた。
「ファドゥーツで降りるの?」
「そうなんです」
すると、おばあさんは席を立ち、走って列車のドアを開けに行ってくれた。
このおばあさん、列車に乗ってまもなく、車掌が隣の車両から入ってきたときに、鞄からパスポートを取り出したので、ああここは非EUだから、パスポート・コントロールがあるのだな、と思って僕も用意しようとしたら、ただの検札で、乗車券を確認しただけでさっさと行ってしまうと、僕に向かってぺろっと舌を出したお茶目な人だった。
おばあさんは、開けたドアが閉まらないように半身でセンサーをふさいでくれて、
「早く早く」と、僕を促した。
ホームに下りて、出て行く列車の窓に見えるおばあさんに、大げさに手を振った。
さあ、ここがリヒテンシュタインだ、とりあえず宿を探そう。いつものように、トラベル・インフォメーションは・・・ない。
駅の建物に入っていくと、そこはどう見ても普通の事務所だ。
応対に出たにいやんに、インフォメーションはどこか?と尋ねると、この先の郵便局に行け、との答えが返ってきた。
「え?駅のインフォは?」
「駅?駅なんかないよ」
「??いや、駅・・・シャーン駅の?」
「ここは、列車は止まるけど、駅ではないんだ」
「駅ではない?」
「リヒテンシュタインに、駅はありません」
そんな、えばってどないすんねん。
この国、プラハの宿で同室になった大学生から貸してもらった「韓国版地球の歩き方」や街中の説明を読むに、25×10キロ四方の世界で4番目に小さい国で、王室があるという。
売ってる絵葉書も、王室一家の写真とかある。
でも・・・なにもないぞ、ここ。
言ってみれば、御津郡加茂川町?
それが国になってると考えると・・・なぞだ。
私が降りたのは、ある意味駅ではあったが、実際駅と呼べるものではなかった。
もしかしたら、勝手に降りてはいけなかったのかも・・・それはないか。
事務所のにいちゃんが言ったとおり、リヒテンシュタインに鉄道の概念はないようだった。
基本的な公共交通はバスなのだ。
だからこそ、ザルツで確認した時刻表にバス乗り換えというのが書かれてあった。
ちなみに首都ファドゥーツは、列車を降りたシャーンの隣町。歩いて1時間くらいだ。
もちろん、バスは走ってるけど、そのほぼ中間のところに宿はあった。
まあ、のどかな山々に囲まれたところで。
海に行く人と山に行く人があって、海に行くと欲望が触発され、山に行くと抑えられるのだとか。
だから寺は山の中にある、と聞いたことがある。
実際、こんな山の中に長くいると、人はすっかり心を洗われてしまうのだろうなあ、と感じた。
夕方、通り雨があって、久しぶりに虹を見た。
虹を見るのは4年前のポカラ以来だが、それも山の中腹から出ている大きな虹。
うれしくなって、何度も振り返りながら歩いていると、行き違うおばあさんや追い抜いていった消防車に乗っているおっちゃんたちが不思議そうにこっちを見るので、虹を指差すと、あぁ、と気づいて、やっぱりにっこり。
この町では、あちこちですれ違う人(めったにいないのだけれど)から、おはよう、とか挨拶をされた。
ほんっとにのどかな田舎だ。
ちなみに、チューリッヒに向かう時は、シャーンの駅から列車に乗ることはせず、駅前から出ているベンツの二輌連結した郵便バスで、シュヴァイツのザルガンス駅まで行った。
窓口で乗車券を買おうとすると、窓口の係が扱う発券機が故障していて、10分ばかし待たされた挙句、結局手書きの乗車券を渡され、思わず「これ、ちゃんと乗車できるの?」と尋いてしまった。
でも、そのほとんどは、たぶんバスかレンタカー、電車で行った人というのは、あまりないのではないだろうか。
ザルツブルク駅のトラベル・インフォメーションで、
「ファドゥーツに行きたいので、時刻表をくれ」と、頼むと、
「どこ、それ?」と、返されてしまったのだ。
その前のミュンヒェンでも、そうだったので、ゃれやれ、と思いつつ、
「リヒテンシュタインなんだけど」
「なに、それ?」
そもそも、ガイドブックらしいものを一冊も持たずに欧州まできてしまったのが、間違いといえなくもない。
やっとこさ手に入れた時刻表には、途中の駅でバスに乗り換え、と書いてある。
「バス?列車はないの?」
駅員さんにもよくわからないけど、列車は2時間に1本くらいしかないらしい。
しかも、駅名はシャーン。
「シャーンがファドーツの駅の名前?」
「ん~、たぶん」
インスブルックの駅では、さすがにファドゥーツ1枚、というとすぐに出てきた。
フェルトキルヒ駅で乗り換えて、10分ほど走った頃、列車が止まった。
あれ、信号待ちかな、と思いながら何気なく外を見ると、線路脇の建物の壁に「シャーン-ファドゥーツ」の文字が、読めて取れた。
ここが、シャーンだ!
なんで、アナウンスがないんだよ!と、あわてて席を立ち上がると、向かいの席のおばあさんが僕を見上げた。
「ファドゥーツで降りるの?」
「そうなんです」
すると、おばあさんは席を立ち、走って列車のドアを開けに行ってくれた。
このおばあさん、列車に乗ってまもなく、車掌が隣の車両から入ってきたときに、鞄からパスポートを取り出したので、ああここは非EUだから、パスポート・コントロールがあるのだな、と思って僕も用意しようとしたら、ただの検札で、乗車券を確認しただけでさっさと行ってしまうと、僕に向かってぺろっと舌を出したお茶目な人だった。
おばあさんは、開けたドアが閉まらないように半身でセンサーをふさいでくれて、
「早く早く」と、僕を促した。
ホームに下りて、出て行く列車の窓に見えるおばあさんに、大げさに手を振った。
さあ、ここがリヒテンシュタインだ、とりあえず宿を探そう。いつものように、トラベル・インフォメーションは・・・ない。
駅の建物に入っていくと、そこはどう見ても普通の事務所だ。
応対に出たにいやんに、インフォメーションはどこか?と尋ねると、この先の郵便局に行け、との答えが返ってきた。
「え?駅のインフォは?」
「駅?駅なんかないよ」
「??いや、駅・・・シャーン駅の?」
「ここは、列車は止まるけど、駅ではないんだ」
「駅ではない?」
「リヒテンシュタインに、駅はありません」
そんな、えばってどないすんねん。
この国、プラハの宿で同室になった大学生から貸してもらった「韓国版地球の歩き方」や街中の説明を読むに、25×10キロ四方の世界で4番目に小さい国で、王室があるという。
売ってる絵葉書も、王室一家の写真とかある。
でも・・・なにもないぞ、ここ。
言ってみれば、御津郡加茂川町?
それが国になってると考えると・・・なぞだ。
私が降りたのは、ある意味駅ではあったが、実際駅と呼べるものではなかった。
もしかしたら、勝手に降りてはいけなかったのかも・・・それはないか。
事務所のにいちゃんが言ったとおり、リヒテンシュタインに鉄道の概念はないようだった。
基本的な公共交通はバスなのだ。
だからこそ、ザルツで確認した時刻表にバス乗り換えというのが書かれてあった。
ちなみに首都ファドゥーツは、列車を降りたシャーンの隣町。歩いて1時間くらいだ。
もちろん、バスは走ってるけど、そのほぼ中間のところに宿はあった。
まあ、のどかな山々に囲まれたところで。
海に行く人と山に行く人があって、海に行くと欲望が触発され、山に行くと抑えられるのだとか。
だから寺は山の中にある、と聞いたことがある。
実際、こんな山の中に長くいると、人はすっかり心を洗われてしまうのだろうなあ、と感じた。
夕方、通り雨があって、久しぶりに虹を見た。
虹を見るのは4年前のポカラ以来だが、それも山の中腹から出ている大きな虹。
うれしくなって、何度も振り返りながら歩いていると、行き違うおばあさんや追い抜いていった消防車に乗っているおっちゃんたちが不思議そうにこっちを見るので、虹を指差すと、あぁ、と気づいて、やっぱりにっこり。
この町では、あちこちですれ違う人(めったにいないのだけれど)から、おはよう、とか挨拶をされた。
ほんっとにのどかな田舎だ。
ちなみに、チューリッヒに向かう時は、シャーンの駅から列車に乗ることはせず、駅前から出ているベンツの二輌連結した郵便バスで、シュヴァイツのザルガンス駅まで行った。
窓口で乗車券を買おうとすると、窓口の係が扱う発券機が故障していて、10分ばかし待たされた挙句、結局手書きの乗車券を渡され、思わず「これ、ちゃんと乗車できるの?」と尋いてしまった。