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小笠原

 エコツーリズム推進法を作る時から「一度行ってみなければならない。」と考えていた小笠原諸島を11月12日から15日まで初めて訪れました。

 船に弱いものですから、25時間以上かかる船旅ができるものかと相当不安でしたが、酔い止め薬のお陰でずっと眠っていたからか、全く船酔いをせずに往復することができました。

 小笠原諸島は1593年に小笠原貞頼が発見したと伝えられていますが、最初に定住したのは捕鯨で訪れた欧米人、ハワイ人で1830年のようです。その後江戸末期にペリーが来訪し、江戸幕府は小笠原開拓を決定し、八丈島から移民を行いました。日本領土として国際的に認められたのは明治9年(1876年)で、カツオ、マグロ漁や捕鯨など大正後期には人口7,000人を数えました。戦後は米軍の占領下におかれ、島民の皆様の帰島が許されたのは小笠原が日本に返還された昭和43年(1968年)でした。

小笠原諸島は東京都に属しますが、東京の約1,000キロ南に位置する聟島列島、父島列島、母島列島、硫黄列島、日本最南端の沖ノ鳥島、日本最東端の南鳥島等大小32の島々からなります。年平均気温23度の亜熱帯に位置し、これまで大陸と地続きになったことがない海洋島のため、小笠原で独自に進化を遂げた固有動植物が多く生息しています。そのため、東洋のガラパゴスとも言われているのです。人が住んでいるのは父島の約2,000人と母島の約450人だけで、太平洋に浮かぶ別天地です。

コバルト色に透きとおる海では初めて体験ダイビングをしましたが、手の届きそうなところをカラフルな魚が泳ぎ、様々な色と形のサンゴ礁を初めて見ることができました。また、イルカと一緒に泳ぐこともでき、動物が人を怖がらない楽園なのだなと感じました。陸上には手つかずの森が広がり、オガサワラオオコウモリ、ハハジマメグロ、ヤコウタケ(グリーンペペ)、リクカタマイマイ、タコノキ、アサヒエビネ等の小笠原固有種をみることができました。しかし、グリーンアノール(トカゲ)、オオヒキガエル、アフリカマイマイやアカギ、モクマオウ等、人間によって小笠原に持ち込まれた外来動植物が固有種を食べたり、固有種の生育の場を奪ったりして生態系に大きな影響を及ぼしており、これらの外来種対策をどのように実効性を高めて進めていくのか、難しい問題であると痛感しました。小笠原は世界自然遺産登録を目指してユネスコに手続きを進めているわけですが、いったん環境を破壊するとその回復は大変困難ですから、小笠原村を中心にして関係者で今後の取り組みについてよく話し合って合意を得て、来年のユネスコ委員会での世界自然遺産登録に成功して欲しいものです。

小笠原では森下村長をはじめとする小笠原村の方々にお目にかかることができました。素晴らしい自然はもちろんのことですが、小笠原の人々もまた素晴らしい方々ばかりでした。参加したエコツアーの吉井さん、高橋さん、茂木さんはじめ皆さん親切でせっかくの機会を十分に楽しんでもらえるようにという気持ちが伝わってきました。また、小笠原村の渋谷産業観光課長に案内していただいて空港候補地域にも行ってきました。病院、医師と一応の医療体制を調えてはいるものの、大病院での手術が必要な緊急時には自衛隊にヘリコプターでの搬送を依頼することもあり、空港設置は小笠原村の悲願となっています。世界自然遺産登録との関係もあり、環境との調和が大きな課題ですが、空港政策という観点からだけではなく、離島にお住まいの方々へのシビルミニマムの確保という観点からも検討しなければならないと感じました。

小笠原は、亜熱帯性気候を生かしたサトウキビ、果樹等の農業、カツオ、マグロ等の捕獲漁業を中心とする生活を転換して、ハウス栽培、養殖型漁業と自然や歴史文化を生かすエコツーリズムを中心とした観光による発展を目指しています。小笠原振興開発計画に基づいて観光客の誘致、交通アクセスの整備、宿泊、飲食施設の整備、エコツーリズムのプログラムの充実、サービスの向上等に取り組み、「ずっと住み続けたい村、もう一度行ってみたい村」は既に実現しているようにかんじられました。今後は、もっと多くの方々にその魅力を楽しんでいただけるような持続可能な発展が実現することを、心から願っています。

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