裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

死んだらどうなるか?問題・25

2022年10月16日 00時47分24秒 | 死んだらどうなるか?問題

前章の着想の説明があまりに雑で難解で「きょとん」だったので、ここではもう少し噛み砕いて解説を試みてみます。
ぼくら物質世界に生きる者は、逆説的ですが、外界は物質でできているものと神経系が解釈して、脳内に幻想世界を築いています。
実際の外界のつくりと振る舞いがあまりに摩訶不思議なので、観念をいろいろにいじくって、人類にもシンプルに理解ができる物質世界なる虚像を発明し、そういうものだということにしているに過ぎないわけです。
ここで言う外界とは、「自分のアイデンティティであるところの脳内世界」に対する外側という意味なので、自身の肉体も、脳構造をも外界に含みます。
あなたの外界のイメージは、網膜(目のレンズ)が時々刻々に拾った素粒子の様子を視神経が暗号化して脳の奥へと送信し、そこでのタンパク質間の電気と化学物質のやり取りによって、こちら都合の様式(というか、解釈の限界)に再構築された抽象画なので、世界の実相とは似ても似つかないものにすり替わっています。
絵画をにくわしいひとは、「いやいや、目に映ってるこの風景は、具象そのものだろ!」と考えるかもしれません。
確かに、人類の側から見たら、抽象的な世界の姿を物質として具象化している、という言い方もできますが、脳の外に存在するものこそがガチのリアリズムでであるために、創意は反転するのです。
ぼくらの脳は、つかみどころのない実世界を人類ごときの低能機械にも理解できるように、具象(ここでは単純に、具象絵画の意味)という形式で視界を観念化しているわけで、それはすなわち、実世界の抽象化という言い回しになります。
・・・いかんいかん、ちゃんとやさしく噛み砕いてます?この文面。
ここまでの前提を踏まえての、世界の実相の描写ということになるので、ついてきてください。
要するに、ぼくら人類は、視界の中にイリュージョンを見ているのだと、遺伝子の進化によって錯覚を見せられているのだと割り切って、まずは固定的な見方を捨てることが第一です。
だって、思い返してみてください。
以前に書いたように、この世は・・・例えば地球のような天体は、鉄筋コンクリートづくりのビルは、りんごは、そして人間の人体は、その構成物すべてが「パチンコ玉の周囲を甲子園球場の外周もの直径の軌道で回るごま粒」というほどの密度でつくられている、スカスカの空洞なのです。
中身が詰まっているように思えるのは、人類の機能が生み出す幻影なのです。
りんごがりんごに見えるのは、りんごを構成する元素のクーロン力に弾かれたスペクトルを受容する目と脳の便宜上の解釈なのであり、その感触は、りんごと指との分子間の電磁気力の反発力でしかありません。
そこには手応えを直接に伝える固まりなどはなく、絡み合う波同志の相互作用があるばかりなのでした。
「気持ち悪がらないでくれ」「オカルトの話じゃない」とは、このお話の所々に組み込まざるを得ない釈明ですが、マジでこれこそが「最先端の科学」なので、ご注意ください。
これから描き出そうと試みる世界は、不完全な人類が視覚や触覚で経験するよりも確かな、科学的検証によって明らかにされた実の姿、「実相」です。
というわけで、場の量子論なのですが、これは今年のノーベル物理学賞まで獲ったちゃんとしたやつなので、ひとつ信じてみてください。
・・・本編に入る前に、この章の字数も埋まってしまいました、ごめんなさい。

つづく

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園