裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

ビールの注ぎ方

2015年12月14日 10時57分31秒 | Weblog
よく酒場なんかでさ、生ビールをサーバーから注ぐときに、わざと泡をこぼすやり方をする店員がいるじゃん。
名店、と言われる店ほど、そんなやり方をしてる印象。
あれはなんなの?
あれでおいしくなるのかな?
率直に言って、あれ、ビールがまずそうだよね。
文化を持つ人類の感性は、まずそう、と直感した瞬間に舌がまずさを感知するわけだから、結果としてぼくらは、まずいビールを飲まされてることになる。
そういう「高度な」技術なのかもしれないけど、受け入れがたい。
だいたい、グラスがベタベタになる。
それを拭いて出してるわけでしょ?
粗相とどこが違うん?
意味わかんないよ。
美意識というものが感じられない。
だいいち、ビールに対する愛がない、と一喝したい。
ビールに愛を感じてる策士ほど策に溺れて、こういうやり方をうっかり取り入れちゃうのかもしれない。
だけど、おいそりゃ間違った愛だぞ、うすっぺらいぞ、と教えてさしあげたい。
美しさのないところに愛があろうはずがない。
あさはかな技術に逃げないで、もっとおいしく、しかも美しく注ぐ方法を探求しなければ。
中国の煎茶道でも、じゃんじゃんこぼして注ぐ作法があるけど、おいしそうには見えないし、不潔そうであまりいただきたいとは思えない。
科学的においしいのかもしれないけど、それはサービスの過剰、慇懃無礼というもの。
最もおいしい状態のビールを、最も効果的な方法で、しかもピタリと美しくお出しする。
それが職人の腕ってもんだし、愛ってもんだろ。
文化の意味をもう少し掘り下げて考えるべきだ。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園