「空を歩く」という、ファンタジーのふりをしたハードボイルド小説を書いてます。
「空を歩く」
物語を編むとき、神様が降りてくるから書きとめる、というひとがいますが、ぼくは違います。
デスクに垂れ込めて考え詰めてひねり出す、というのとも今回は違います、ぼくはいつもこっち派だけど。
今回のは、文字を打ち込みはじめると、自然に画が立ち上がってくるので、それをスケッチしてく形です。
だから考えるのも反応するのもすごくはやい。
びっくりしてます。
言語表現ってのは、ひとつのデッサンの様式だとぼくは思ってて、いかに自分に見えてる光景を記号に置き換えて相手に伝えるか、ってことだと思うのです。
そしてそして、ぼくの頭の中の画づらは音楽と密接に関係してて、常にメロディラインというか、ぶ厚い音が脳裏に目に見える形で内在してます。
うまく言えないけど、その三つは全部でひとつなのです。
というわけで、ぼくに「空を歩く」を着想させた音楽を聴いてください。
ぼくはどういうわけか、5拍子とか、7拍子とか、変拍子の曲が好きなのです。
興味ないや、というひとは、聴かないでください。
「そのはやぶさはふたたびとぶだろう/ブラッド・メルドー」
「空を歩く」
物語を編むとき、神様が降りてくるから書きとめる、というひとがいますが、ぼくは違います。
デスクに垂れ込めて考え詰めてひねり出す、というのとも今回は違います、ぼくはいつもこっち派だけど。
今回のは、文字を打ち込みはじめると、自然に画が立ち上がってくるので、それをスケッチしてく形です。
だから考えるのも反応するのもすごくはやい。
びっくりしてます。
言語表現ってのは、ひとつのデッサンの様式だとぼくは思ってて、いかに自分に見えてる光景を記号に置き換えて相手に伝えるか、ってことだと思うのです。
そしてそして、ぼくの頭の中の画づらは音楽と密接に関係してて、常にメロディラインというか、ぶ厚い音が脳裏に目に見える形で内在してます。
うまく言えないけど、その三つは全部でひとつなのです。
というわけで、ぼくに「空を歩く」を着想させた音楽を聴いてください。
ぼくはどういうわけか、5拍子とか、7拍子とか、変拍子の曲が好きなのです。
興味ないや、というひとは、聴かないでください。
「そのはやぶさはふたたびとぶだろう/ブラッド・メルドー」