裏日記「B面」

工房しはんが日々、ふと感じたり、しみじみとふけったり、ぴんとひらめいたり、つくづくと考えたりしてること。

仕分け

2010年10月19日 10時13分53秒 | Weblog
わが家の寝室では、日々取り込まれる洗濯物が野積みとなり、小山を築いている。
洗濯をするのは主夫であるオレの役割(つか、相方がしないからしてるだけ)なのだが、オレはたたむという作業がヤなのだ。
なにしろ、めんどくさい。
というよりも、クローゼットなどというこざかしい小部屋から服をセレクトし、スタイリングに悩み抜いてコーディネートするよりも、野積みになってるものからヒョイと引っぱり出して頓着なく着るほうが、やはりなんといっても男らしいではないか。
とはいえ、オレは服のシワはきらいなので、きちんと折り目がつかないように取り込み、重ね、積み上げている。
合理的である上に、すぐれて見上げた態度ではないか。
ところが、朝の急場で、積み上がった衣類の奥から任意の一枚を粗暴に引っこ抜き、ジェンガを崩すようにぐちゃぐちゃにしてしまう女がいる。
この人物(よめはん)は、一枚に飽き足らず、あーでもない、こーでもない、と何種類ものバリエーションで着衣脱衣をくり返しつつ思い悩むので、その後の散乱っぷりといったら、まるでカーニバル明けのリオデジャネイロの街角のようになってしまう。
なのでオレは、自分の洗濯物は此岸に、人物のものは彼岸に、と選り分け、破壊が自分の所有物に及ばないように目を配らねばならない。
ふたりは同じ方法論者なのだが、「テクニカル」と「フリー」という点で決定的にスタイルが違うため、相容れないのである。
ともあれわが家は、衣類床ベタ置き早期循環方式で、日々の着替えをやりくりしている。
しかし、わが寝室にはタンスもあるにはあるのだ。
片付けられるものなら、片付けた方がいいにきまっている。
寝ている間に小人でも現れてやっといてくれたら、と夢想するのだが、なかなか現実にそうはいかない。
そんな中、ごくたまによめはんが洗濯物をたたんでくれて、オレを小躍りさせることがある。
ところが、このひとはシリアスに「整頓できない女」なので、たたまれ、折り重ねられた洗濯物の中に、オレはカオスを見いだすことになるのだ。
なぜオレのTシャツの下に工房のタオルがあり、その下にワンピース、キッチンの布巾、Gパン、さらに水着が出てくるのか、さっぱりわからない。
整頓になってないではないか。
一見きれいに重ねられた洗濯物の下から下から新たな混沌が発生するので、オレはまるで迷宮にさまよい込んだような気分にさせられる。
しかも、その折りたたみ方が粗雑きわまる。
そでとそで、へりとへり、エッジとエッジが合ってない。
そのズレが気持ちわるくて、ナイショでたたみ直すことになる(このへん、オレは精密さを求めたいのだ)。
さらに事業仕分け・・・ならぬ、衣料仕分け。
こうして、オレの、よめはんの、工房の、キッチンの、バスの・・・とカテゴライズしていくと、はて、これでは自分でたたんだ方が手っ取り早かったのでは?とも思える。
よめはんほどの聡明で緻密な女が、なぜこんな仕儀に及ぶのか、まったく理解できない。
天才と紙一重のところにいるひとなのかもしれない。
今度、折り紙でツルを折らせてやろうと思う。
きっとこのひとは、エッジを合わせられないにちがいない。

東京都練馬区・陶芸教室/森魚工房 in 大泉学園