ルンルンピアノ

ピアノ教室の子どもたちとの楽しい毎日。。。。。。

2233    追悼のつどい  昆陽池公園  

2011-01-16 09:57:13 | Weblog
※ 一門研究会の途中、九州からいらした船越隆文くんのお母さんを囲んで。
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きのう(16日)の競馬。
日経新春杯は1着ルーラーシップ、2着ヒルノダムール、3着ローズキングダムで馬連960円。
京成杯はフェイトフルウォー、デボネア、ブレイでかすりもせず。


朝から一門研究会。
風が強く、雪で来られない子もいて12名の参加だった。
Nが伊丹教室から戻ったあと、花屋さんで花束を予約し、そのあと宝塚阪急でお菓子を購入。

3時に船越くんのお母さんがいらっしゃる。
研究会の将棋を見学のあと、子ども達の自己紹介、そのあと短い時間だったがお母さんから挨拶して頂いた。
あの時の辛さと向き合いながら話される姿に、震災を知らない子ども達にも通じるものはあったと思う。
けれど、隆文くんを失ったこの宝塚へ来るという事が、16年経った今でもどれほどの覚悟と決心のいることか、そこまで理解することは不可能かも知れない。

4時に家を出て伊丹のサイ○リアへ。
5時46分から昆陽池公園で始まる “阪神淡路大震災 追悼の集い” までお茶を飲みながら待つが、店内は満員に近かった。

5時半前に昆陽池へ。
記帳を済ませて広場へ出ると、すでにたくさんの人達がローソクの火を灯している。
いつもは大抵夜中近くに来るので、明るいうちのこの光景は新鮮な感じがした。
早速しゃがんで火を点けて回るが、強い風のために、点けても点けてもローソクの炎はフーッと消えてしまう。
「あともう少しで時間です」 「皆さん、がんばって灯してください!」
黄色いジャンパーを着た係りの人達が大声で叫ぶ。
叱咤激励の声にみんなが急ピッチで火を灯しだすと、見る見るうちにローソクの炎が増えて明るくなりだした。

間もなく5時46分になり、ローソクの点火を中断して、全員で炎のまわりを取り囲む。
黙祷の号令と共に目を閉じて手をあわせると、冷たい風よりも炎の暖かさを感じる。
そのあと代表のアイサツだったが、感傷にとらわれない、前向きで強い意志を感じさせるものだった。
「・・・風でローソクの火は次々と消えてしまいますが、それにあきらめず火を灯し続けられるかどうかが、私たちが試されている事なんだと思います」
人の輪に囲まれて明るく輝く炎の上をヘリコプターがバタバタと飛んでいった。

そのあとも、しゃがみこんだり中腰になったりしながら火を灯し続けるが、とにかく風が強い。
痛い腰をガマンしながら火を点けてまわっても、サーッと吹きおろす冷たい風にローソクの火は一瞬にして消えてしまう。
それでも先ほどの 「試されている事」 というコトバを思い出しながら、消えても点け、消えても点けがんばる。
そこにいる誰もが同じような気持ちだったろうが、強い風と共に炎は減り、辺りは少しずつ暗くなり、それと一緒にかじかんだ指先や足先がジンジン痛くなってくる。
(あ~・・・情けないけど、ワタシはもう限界かなあ・・・) と思ってきた頃、「じゃ、そろそろ帰ろうか」 とNの声。
ホッとしながら立ち上がると、ほっぺたにピシピシと何かが当たる。
すっかり暗くなった中で目を凝らすと、冷たい風に乗って乱れ飛ぶ小さな雪粒が見えた。

空腹で冷えきった体のまま、予約していた “にしむら” へ。
床暖房の掘りごたつがありがたい。
小さな会席を戴きながら、現在の小学生事情 (お母さんは小学校の先生) など聞かせていただく。
最後の小豆ご飯のあとに出てきたゼンザイが、たまらなくオイシかった(ふだんはゼンザイなんて見向きもしないのだが)
帰り際、玄関先で女将さんに写真を撮ってもらう。 が、なかなかうまく撮れなくて、寒い中を長時間つき合わせてしまい申し訳なかった

売布でお母さんと別れる。
翌日はいよいよ1月17日だ。


おわり



追悼の集い
コメント (2)
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