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風がヴギウギ

自由気ままな風の様に毎日を切り取っていく

修学旅行・・・ 体調良好?

2012年05月25日 | 日常ヴギ

最近電車で遭遇する事が多くなった 学生 

ちょっと前は 高校生同士の卒業旅行や就職旅行でしたが

今は 中学生の修学旅行ですね

昔と違い グル-プで行動するので先生達も大変に感じますがどうなんでしょう?

皆 元気に東京駅まで乗っているのですが

今日は 乗り物に弱い子がいたようで 一人 青い顔をしていました

「電車・バス移動の多いのに大丈夫かな?」なんて 思ったりして

東京の学校は京都方面なんでしょうね

京都といえば 父の 木版画がありますので観てください

版画の構図に似ている写真を ネットで探しだしたので見比べてください

濃淡で描くのは墨絵と決まっているが墨絵と決まってますが

版画でこの濃淡を出すのは版木彫りというよりも

 色の載せ方・すり方の技術だと思います

機会を見つけ 又 載せていきます

 

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曾良庵の許に・・・ 弥平治と巻物

2012年05月24日 | 曾良庵ヴギ

弥平治と巻物

鹿乙をしていた弥平治の残したものに こんな不思議な言い伝えがあります

昔 瘧(おこり)という病気が巷に蔓延した時 山で不思議な老人に会い巻物を貰った

「南無阿弥陀仏」と書かれた巻物を神棚に奉り

一心不乱に拝むと病気が治ったことから 

日本全国を転々として巡り 帰ってきたときは ボロボロだったようです

・日本でも瘧(おこり)と呼ばれるマラリアの流行がありましたが時代までは分かりません

その巻物は 今は僕の手元にありますが

とにかくボロボロで袋に補完してあります

に取ると 其の時代の人々と同じ感触を確かめるようで毎回ドキドキしています

この 言い伝えを 僕なりに物語にしました

今日は 半分だけ 掲載します

 

「鹿乙とおこり」

その年の夏の陽は強く 大地から作物を減らし 

巷には「おこり」なる 熱病が流行し人々の命を縮めていた 

ここ諏訪地方にも いおりの発症が確認されだし 

十日余り前から 宮川で三人 高部で一人と高熱を出し 床に伏していた。

その病状は、四十度以上の熱の中で嘔吐を繰り返し、

その体は日に日に衰えていき、死を待つだけであった。

神宮寺に住む 鹿乙人「弥平治」は 何時ものように狩猟の準備をしながら

 の長から 熱病に効く 薬剤の情報を得てくることを頼まれていた

弥平治は山野を駆け回り 獣を捕獲すると同時に 

狩人を集め「鹿喰免」のもつありがたい教えを説き御札を発行するのが常であったため

 にいる人々よりも情報を仕入れることが出来たのである身支度を整えた弥平治は

 何時ものように妻のしずから 火打石が御祓いをしてもらい

通いなれた山の道へ一歩を踏み出した

日はまず 天狗山のトチノキの下で 狩人を集め「鹿喰免」の交付をする事から

始まったが顔見知りの猟師が 一人又一人と集まってきたが長老の「ただおみ」と

その子供の「ただとも」の顔が見えないことに気付いた弥平治は 近くにいた

一郎太に問うてみると 父「ただおみ」が熱病にかかり伏していることが判ったと共に

 その「ただおみ」を診ていた町医者が倒れたことも知る事になった

医者おも食らう病気である事を知り

弥平治は 今の世では 直す手立ての無い病であると理解し病にかかった

 家人との接触を避けることが懸命であろうと考えていた

山に入り 猟を始めたが 今日の山は違っていた

獣道には 足跡も無く 息を殺し 山と一体になっていても 獣の息遣いも聞こえてこない

木々のこすれあう音 草のざわつく音 全てが風が起こした音であった

弥平治は 半場諦め 遅い昼食をとっていた

大きなむすびを頬張る度に汗が流れ落ち

弥平治は 腰につけた水筒を取上げると ゴクゴクと喉を鳴らしながら飲み

又 一口 むすびを頬張り 沢庵をカリっと齧った

沢庵の齧る音が 山に反響したようであった 驚いた弥平治は 顔を上げた

山は静まりかえり

いつの間にか 自分の周りには 深い霧が押し寄せてきていた

                                  続く

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口の中はサイボ-グ!!

2012年05月24日 | 日常ヴギ

昨日の夜 歯を磨いていたら 5-6年前に治療して

かぶせた部分がポロリといってしまいました

やっと 3ヶ月前に歯の治療が終わってほっとしたのに・・・

実は 僕の歯は 28本中 前歯7本が正規軍

後の21本は 全てサイポ-グです

中でも 1番サイボ-グ化に手間取ったのは 奥歯の治療でした

義歯を引っ掛ける歯が無いので 歯肉を開いて骨を削って何とか完成

ワイルドだろ-口の中は縫合した糸だらけだぜぇ

まるで 裂きイカがいつでも口にあるようだったんだぜぇ

歯医者というと 僕の小さい頃は 今みたいに器具も無いことから

治療したのに 「痛い」ことばかりが記憶に刷り込まれてしまい

「医者に行くくらいなら 我慢する」・・・歯医者さんには心を閉ざしました

これが 僕の口をサイポ-グ化したんですよ

:に歯医者に駆け込んで 治療してもらって もう 治りましたよぅ

皆さんも おかしいと思ったから 直ぐ 医者に行きましょう

追伸:3ヶ月前の治療歯は 

一本入れ歯になる危機でした・・・

最近 2つ投稿している自分にびっくり

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曾良庵の許に・・・ 鹿食免と森田屋

2012年05月23日 | 曾良庵ヴギ

鹿食免と森田屋

僕の生家について この様な記述が載っています

諏訪と情報・文化まちづくり市民協議会編

シリ-ズ "街道をゆく" 「諏訪の食文化を訪ねて」より 抜粋

諏訪大社の前を少し南に行くと、明治まで高遠に通じていた峠道の入り口がある。

その角に昔は一軒の店があり、

鹿、猪、兎、熊の肉や皮が並べられ、公然と売買されていた。

近隣からはここに獲物が集ってきたのである。

この諏訪は、江戸時代にも仏教国日本でただ

一箇所、獣肉食が公認されていたことを、諏訪の人は意外に知らない。

当然、僕らの生地のことであるし、遠い昔に無くなったのではなく、明治という近い

時代まで、この仕来りがあったのは驚きである。

高祖父は、鹿乙として最後の鹿肉納入者だったのである。

家は当然のように 店をやっており 一太郎の妻が取り仕切っていたようである

皆さんも教科書で見たことがあると思いますが

「鹿食免」という札を発行していました

僕も小学生か中学生の時 教科書で見たのですが まさか 生家に関係しているとは・・・

それがこれです

左が 免 右はその時代の販売台帳

この最後の 鹿乙が 弥平治というこう祖父でした

*この「弥平治」という名前は代々受け継がれた名であり

家系図を見ると何人も出てきます 屋号と一緒です

 因みに 店をやっていた事から 僕の家は「森田屋」と言われていました

 僕の田舎は 名前ではなく この屋号で呼ぶことが多かったので

 油屋・足袋屋・三石・ぶんご屋といった呼び方を今で 同じ・・・ 

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六ちゃん 幼稚園に行く 其の二ナリ・・・

2012年05月23日 | ちびっこギャングズ。ヴギ

早いもので週間が経ちました

今日は 六ちゃんの登園日

昨日の夜は 皆から 「おはよう御座います」の練習をさせられていましたが

本人は パジャマ姿に着替えると 水筒をかけて水を飲んでましたよぅぅぅぅ

ただいまあ 今日も元気に行ってきました

みんなと一緒に ちゃんとすわっていられたようですが

帰りは お砂場につかまっていたようです

お友達も出来たみたいだから 

「ようちえん たのちい」と 行ってましたヨ

おまけ:「ばあちゃんズ。」NEWS

A子さん 雨漏り事件から大家さんと仲良くなったみたいで

雨降りの日には必ず訪ねて来てくれるみたいです

知らない土地に来ても 話す相手が増えてきています

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