森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

父の話(その2)

2007年01月02日 05時57分06秒 | 監督日記
 私の父の銀行業について、私が子供の頃から抱いていた疑問の続きです。

 人は生活にお金が必要だから働いて稼ごうとします。そしてたくさんお金を稼いだら、働く必要はありません。ではなぜ、数億、数十億のお金を人に貸すほど持っている銀行家たちは、わざわざ銀行業という仕事で忙しく、私の父のように朝から晩まで働くのでしょうか?
 こうした疑問を持つようになったのは、よく憶えていないのですが、たしか中学生頃だったでしょうか。この頃には、私はもう簡単に父に質問せず自分で考えるようになっていました。話が難しくなってくると、父の説明からは、簡単に納得いく答えが得られると思えない、とも思うようになっていたからです。
 疑問の続きですが、父は人から預かったお金を貸し出すと言っていた。だから、貸し出すお金は、あくまで人から預かっているものに過ぎず、父のもの(銀行のもの)ではないんだ。だから、自由にすることはできない。それは分かる。しかし、人から預かったお金を人に貸して利子で稼ぐには、預かって払う利子よりも、貸して受け取る利子の方が高くなければいけない。前者より後者の額が大きいか、利率が高いかのどっちかです。
 貸し出す金の元手が預金であるならば、預かる金より貸し出す金が大きくなることは考えられません。となると利率が違うのか。たしかに、高利貸しなんて言葉も聞いたことがあるから、たんに貯金するよりも、お金を貸す方がリスクもあるから利率が高いというのは分かる。しかし、しかしです。
 気になるのは「貸す額がちがうんだ」という父の態度です。企業の設備投資や街作りなど、巨額な出資というものは大きな影響力があり、銀行というものは投資を必要とする会社よりも優位な立場にあり、社会全体のイニシアチブを取っているという雰囲気が父の言動から見て取れました。銀行を決して会社とは呼ばない、その父の習慣がそれを示しています。
 たかだか預かる時より貸し出す方が利率が高いという程度で、そんな影響力を持てるだろうか? むしろ不思議だけれど、銀行というものはその資金力ゆえに銀行なのではないか。つまり、人から預かるお金よりも、貸し出せるお金を多く持っている。であるからこそ銀行なのだ。私はそう考えるようになりました。
 で、あればです。そもそも銀行は、人に貸せるほどのお金を最初にどうやって手に入れるのでしょうか? それが預金である筈はないのです。なぜならば、預金が人に貸せるほど集まるということは、すでに社会の中にお金を必要とする人が少ないということです。社会が豊かになって、お金が余るまで、銀行業は開かれないでしょうか? そんなことはありません。銀行は最初から、人に貸せるお金を持っている、だから銀行なのだ。

 ここで、私の父の仕事に対する疑念は、「銀行業は商売である」という枠組みを越えなければ解けないというところに行き着きました。(つづく)
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« デジタルハリウッドでの挑戦 | トップ | 父の話(その3) »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

監督日記」カテゴリの最新記事