森田宏幸のブログ

Morita Hiroyukiの自己宣伝のためのblog アニメーション作画・演出・研究 「ぼくらの」監督

マチスモ

2006年07月05日 02時59分14秒 | 監督日記
「マチスモ」とは、ラテンアメリカの社会に深く根をおろす男の行動理念。この理念を身につけた男のことを「マチョ」と云う。よく筋肉隆々の男のことを「マッチョ」というけれど、こちらがもともとの意味らしい。
 企画の内容を作り込んで行くための勉強に、「世界民族大百科」(日本メールオーダー発行)という本を図書館で手にとってみたのだけれど、なかなかいいことが書いてあるので読みふけってしまった。

 マチスモにのっとった男「マチョ」とは、背が高いとかハンサムだとかの外見上の格好よさとは関係なく、名誉を重んじ、威厳のある態度で行動する男のことだそうだ。
 本文から引用してみる。

「父親の手本によって、少年はマチョになることを学び、彼が、敵対する世界の侵害から自分の家族を守るべき立場に立った時に従うべき“掟”を教えられる」

「われわれにとって男とは、男らしく行動するから男なのである。彼はそのために尊敬されるのである。背が高かろうと低かろうと、金持ちであろうと貧しかろうと、そんなことはどうでもいいことだ。彼が期待どおりに自分の足で立つとき、彼に尊敬のまなざしが向けられるのだ」

「『自分の足で立つ』とはこの場合、自分の家族を保護することを意味する。ラテンアメリカの社会では、家族はふつう大家族であり、このことは非常に多くの義務をともなうことを意味する。(中略)男は多くの家族の者や、名付け子の威厳を守る義務を負わされるのであり、そこでは単なる肉体的な力よりも、むしろ融通のきく抜け目のなさと知性が強調される」

「男であるからには、自分が未完成な人間だと認めるわけにはゆかず、それゆえに、家族の中においてさえ、孤独を運命づけられるのである」

 これらの言葉は、今準備中の企画の中心要素「ヒロイズム」を、肉付けするにあたってのヒントになったが、そればかりではない。私はつい最近まで、「融通のきく抜け目のなさ」というようなものはどこかずるくて、好ましくないものだと思っていたし、そもそも男らしさなど、男女平等の時代に必要ないと思っていた。
 けれど、サンアートの非常に男らしい梅原健二先生から、「森田は正直すぎる」と何度か教え諭されることがあって、物事を柔らかく考えるようになった。マチスモの教えは、そうした今の私の意識を、うまく言葉で書き表してくれている。

「融通のきく抜け目のなさと知性」
 私から見ると、梅原健二先生は紛れもないマチョだし、今思えば、宮崎駿もそうだった。
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2 コメント

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Unknown (通りすがり)
2006-08-10 20:15:36
「マチスモ」または「マチズモ」が正しい言葉だと思います。書かれている内容は興味深いだけに、タイトルの誤りが残念です。
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訂正します (もりた)
2006-08-11 15:43:10
おっしゃる通り!

うっかり間違えていました。



訂正します。

ご指摘ありがとうございました。
返信する

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