ひろのギターで息抜き

趣味のギターで息抜きしてジャンジャン鳴らしてます!

空舞う迫力の大凧 浜松まつり開幕

2016-05-08 11:09:58 | 日記

空舞う迫力の大凧 浜松まつり開幕

一斉に大空へと舞い上がる各町の大凧=3日午前10時、浜松市南区の凧揚げ会場で(川戸賢一撮影)

写真

 わが子の誕生を祝福し、健やかな成長を願う浜松まつりが三日、浜松市で開幕した。空を舞う大凧(だこ)の迫力や、夜の街を彩る御殿屋台の華やかさが人々を魅了した。五日まで、浜松は市民が生み出す熱気に包まれる。

 遠州灘に面する中田島砂丘の凧揚げ会場には、昨年と同じ百七十四町が集結。午前十時、凧がそろって舞い上がり、まつり一色の三日間が始まった。夕方からは市中心部やそれぞれの地元で、八十七町が自慢の御殿屋台を引き回した。浜松駅前の市中心部では、華やかな吹奏楽パレードに視線が注がれ、小学生の子どもたちで構成するおはやし隊が優美な音色を奏でた。

◆ラッパの安兵衛 熱き思い継承

故・瀬崎保雄さん

写真

 ラッパの安兵衛(やすべえ)-。かつて浜松まつりに熱を上げる若衆から、こう呼ばれていた男性がいた。本名は瀬崎保雄さん。戦後のまつりにいち早くラッパを取り入れ、凧(たこ)揚げや練りに汗を流す男たちを鼓舞した。今年のまつりで、孫の渚さん(27)が四十年ぶりに亡き祖父の法被に袖を通し、生後十カ月の長男栞(しおり)ちゃんの初凧を大空に揚げた。

 渚さんの伯父、武庸さん(66)によると、「安兵衛」の愛称は高田馬場の敵討ちで知られる、赤穂四十七士の一人堀部安兵衛から取った。軍隊で身につけたとか、地元の織物会社で時刻を知らせるラッパ係だったとか、定かではないがとにかくラッパが得意だった。まつりが近づくと、他町から自宅に一升瓶の贈り物が相次ぎ、「うちの町でラッパを吹いて」と頼まれた。

 風呂上がりに着物を羽織り、自転車で毎晩のように飲みに出るほどの酒好き。人情に厚い本家の安兵衛よろしく、酒場で地元の後輩に遭遇すると、肩をたたいて自分の酒を注いだ。武庸さんは「おやじが亡くなり、昔の飲み屋で飲んでいると『やっさんには世話になった。勘定はいい』と何度も言われた」と懐かしむ。

 当時、自宅のある三島町はまつりに参加しておらず、近くの竜禅寺町などでラッパを吹いた。保雄さんを慕う若者がまねするようになり、現在、各町に組織されている子どもラッパ隊の先駆けになったとされる。

 野球が好きで、都市対抗野球大会に地元の河合楽器が出場するたびに、息子たちと一緒に東京の後楽園球場に応援に出かけた。そこでもラッパを響かせた。

安兵衛と書かれた法被を着て初凧を揚げ笑顔を見せる瀬崎渚さん=3日午前、浜松市南区の凧揚げ会場で

写真

 保雄さんは五十三歳で脳梗塞を患い、右半身が動かなくなった。まつりへの参加も野球の応援もできないまま、九二年に六十八歳で亡くなった。

 当時、三歳の渚さんには、ベッドに横たわっている祖父の記憶しかない。だが、妻の彩子さん(28)の実家がある竜禅寺町でまつりに参加することになると、「あの安兵衛のお孫さんか」と連日のように言われ、祖父の知名度の高さに驚かされた。

 三日午前、凧揚げ会場で若衆の騎馬に乗り、初凧を揚げる渚さん。身につけた法被は、祖父のお気に入りの逸品。えりには「安兵衛」の文字が記されている。「オイショ」の掛け声に覆いかぶさるように、祖父が愛した大音量のラッパが鳴り響く。「空高く揚がれば揚がるほど、でっかく羽ばたく男になってくれるはず」。傍らの彩子さんの胸には、いつか、この法被を着るかもしれない息子が抱かれている。

(西田直晃)


最新の画像もっと見る