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アッカド王国:一口メモ

2017-02-06 19:59:34 | 豆知識メモ
アッカド王国:一口メモ

 前2300年頃都市国家を統一し領域国家を形成したのはのセム系のアッカド人であった。アッカド王国(前2334~前2193頃)初代のサルゴン1世はシュメールの都市国家を支配下におき、知事を派遣して、都市国家の枠を超えた領域支配を行った。シュメールの都市は時に反乱を起こしたが、それを鎮圧した後、さらに強大となり、第4代ナムラ=シンは「四方世界の王」(四海の王ともいう)と言う称号を使い南北のメソポタミアとその周辺を支配した。しかしアッカド王国は、前2150年ごろ衰退して、前2193年、北東の山岳民族の侵入を受けて滅んだと言われている。

 アッカド人はセム語系に属する民族で、メソポタミア全域を最初に統一した領域国家を建設した。アッカドはメソポタミア南部のユーフラテス下流でバビロニアといわれた地方の北よりの地域名で、現在のイラクの中部に当たる。彼らは次第に南部のシュメール人と抗争するようになり、前2300年頃、サルゴン1世がメソポタミア南部を支配し、アッカド王国(前2334~2154年)(アッカド王朝とも言う)を成立させた。サルゴン1世は交易路を抑え、メソポタミア全域におよぶ中央集権的な領土国家の最初の支配者となった。アッカド王朝は11代約180年続いたが次第に衰退し、前2150年頃、バビロニアの東北からおこたグディ人の侵略を受けて滅亡した。その後、メソポタミアはふたたびシュメール人が独立し、ウルを拠点にウル第3王朝が出現する。アッカド時代の遺品としては、スサで発見された「ナラム=シン王の石碑」(ルーブル博物館蔵)が有名。
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