「滝」の俳句~私の心に見えたもの

220728 佐々木博子(「滝」瀬音集・渓流集・瀑声集 推薦作品より)

芽起しの雷素通りの五大堂 及川源作

2021-08-14 03:08:37 | 日記
朱色の橋と島に立つ五大堂は松島のシンボル。伊達政宗が瑞巌寺の再興に先立って再建した、東北地方最古の桃山建築と言われている国の重要文化財。誰も知っている日本三景の一つ松島を春雷素通りしていったと詠まれている。まるで春に見放されたような気になった作者だったのだろうか。新型コロナウィルス感染症の影響で賑わいを失った松島が思われた。「冬の時代」という慣用表現の中にある。政宗が独眼竜になったのは天然痘ウイルスの感染によるものであることも連想の中にあっての五大堂だったのかもしれない。現在、コロナウイルス第5波の只中。早く若い世代へのワクチン接種をと願うばかりです。(博子)

開き直ることも齢よ髪洗ふ 池田智惠子

2021-08-12 05:08:09 | 日記
「あれも、これも、年相応」と開き直って涼しい顔。「髪洗ふ」の爽快感と通じるものがあって晴れやか。こんなふうに詠まれてみると、私も開き直りながら生きて来たのかもしれない。でも「髪洗ふ」には程遠い。開き直りより、諦めの感じが強いが自分の人生を嘆いても辛くなるだけだから、今はパウダーシャンプーを使う一時しのぎを良しとして生きていこう。これも開き直りだ。俳句三昧の時期がくるまで、家業・家事・両親介護を今は頑張る。(博子)

明星へかすかに傾ぐ青鬼灯 池添怜子

2021-08-09 04:59:47 | 日記
青鬼灯は晩夏の季語、この頃の金星は太陽から最も離れるのでかなり早い時間帯から明星の輝きを目にできる。その明星へ青鬼灯が「かすかに傾いでいる」と見て取った作者の詩的感受。オレンジ色の鬼灯はお盆の迎え火や提灯とともに、精霊が迷わずに戻ってくる道しるべとして飾られるようになったそうだから、青鬼灯が金星の光を取り込み、きれいなオレンジ色に成る序章として「傾ぐ」はあるのかもしれない。(博子)

日盛の無音の放つ響きかな 石母田星人

2021-08-06 04:08:37 | 日記
日盛は人間も動物も暑さにじっと耐える時間帯。静かで時間が止まったような感じがすることがある。「ギラギラと太陽が照り付ける」そんな言葉を何の疑問も持たずに夏の太陽に対する視覚表現として使ってきたが「無音の放つ響き」は聴覚表現で、「無音が響くか?」と脳内パニックになった。かなり無理やりだが「ギラギラギラギラギラギラギラギラ・・・」が、周期的に繰り返される同じ波形の振動の一循環と思えば「響く」もあり得るかもしれず、放っているのは太陽ということになると思うことにした。そういえばNASAが太陽から発生するプラズマ波を「特殊な機械」で音にした。音は真空を通過しないが、太陽から出る電磁波などの「音ではない波」を、聞こえる周波数に変換した上で音としたと書いてあった。作者の俳句聴力とNASAの特殊な機械は同一なのだなあと思ってパニックを納める事にする。『ああ、こんな写生句が詠めるようになりたい』(博子)

白樺を縫ふさいはての水着かな 成田一子

2021-08-04 03:58:07 | 日記
「白樺」「さいはて」に北海道を思い、「水着」に今年の北海道の猛暑を思った。北海道の夏は短く、海水浴が出来る日は少ないだろうというイメージだったが、観測史上初めての猛暑日が続いている。「縫う」は 「槍や矢などが刺し貫く」という意味も持っており、一直線の白樺並木に通じてはこないだろうか。白樺並木を突っ切って海水浴場に・・・。空と海の青に、白樺幹の白さが美しい。(博子)