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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

『真田丸』でハイカーや歴史マニアが増えた清野氏と上杉景勝の鞍骨城跡へ。大発見も!(妻女山里山通信)

2016-08-24 | 歴史・地理・雑学

 登山道整備と撮影を兼ねて鞍骨城跡までトレッキングをしました。例年なら登山者は少ないのですが、『真田丸』の影響で、今年は夏でも登る人が全国各地から来ます。
 妻女山の駐車場の奥から右の林道へ(左)。登山者ノートがあります。登山届ではありません。下山時に歩いたコースや出会ったもの、感想などをお書き下さい。鞍骨山までは、ここから約90〜100分です。標識も完備していますが、天城山周辺は尾根が十字に出て分岐も多く迷いやすいので、地形図の載った拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』とコンパスを持参して行くことをお勧めします。
 20分から30分で堂平大塚古墳の分岐(中)このカットの反対側が謙信の陣城跡の陣馬平で、4月の茶花でもある貝母の群生地。中国原産の薬草ですが、かなり強い毒草です。林道を登って10分ほどで天城山(てしろやま)の登山道に入ります(右)。

 約20分登ると天城山頂(左)。「天空の古墳 坂山古墳」の標識。ここを東へ下りて行きます。7、8分で二本松峠(坂山峠)(中)。「右 倉科坂 左 清野坂」の標識があります。倉科側が清野坂で、清野側が倉科坂なのです。倉科の人が清野へ行く時に登る坂なので倉科側が清野坂なのです。これを勘違いしてこの標識を反対にしてしまう人がいて、設置したMさんが憤慨していたのですが、ひょんなことから知り合いのSおじいさんであることが分かりました(笑)。彼には理由を説明して納得してもらいましたが、他にも誤解している人がいそうです。ここには、鞍骨城跡まで850mの標識があります。あと約40分で鞍骨山頂。

 途中でルリシジミを発見(左)。強風に耐えていましたが、揺れるので撮影も大変でした。峠から約20分で駒止めと呼ばれる深い竪堀(中)。さらに7、8分で高圧線の鉄塔(右)。すぐ先に二条の堀切があり、それを超えると鞍骨城内です。ここで登山道に出ていたエビガライチゴとヤマガシュウを切りました。以前、ここで友人のフランス人が戦国時代に使われた宋銭を発見しました。

 ボタンズルで吸蜜するのはホソヒラタアブか(左)。牡丹蔓は仙人草より花は小さく葉も切れ込みがあります。二つ目の堀切からは左手に清野側の林道倉科坂線に下りる登山道があります(中)。鉄塔から10分ほどで鞍骨城跡の一の郭(右)。左(北側)から二の郭へ登ります。補助のトラロープが下がっています。

 大きなケヤキのある広い二の郭(左)。ここを右へ歩き、南面に回ります。見上げると本郭が見えています(中)。所々に矢印を描いた小さな板があるので目安に。南面を斜めに登って行きますが、道は細く非常に不安定なので要注意です。見上げると本郭の石積みが見えます(右)。

 登って行くと南面の四角い凹みのある郭に着きます(右)。ここからつづら折れで少し登ると山頂。山頂直下の石積み(中)。南側が大手です。Mさんが立てた「天空の山城 鞍骨城跡」の標識。
 武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ…、鞍掛山へ御上がり云々」との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか…。いずれにせよ山城マニア、戦国マニア必見の山城です。

 山頂からは、落葉期だともっと景色がよく見えるのですが…。眼下に松代城跡が見えます。ここから20mほど先にある二つの展望岩に行ってみました。拙書の地図でも紹介しています。
「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態(妻女山里山通信)大河ドラマでは見えてこない戦国時代の姿

 まず一つ目、西の展望岩から。出発地点の妻女山(赤坂山)が見下ろせます。上杉謙信の本陣と地元で言い伝えてきた斎場山(本来の妻女山)は登って来た尾根の向こう側になります。中央に合戦場という文字がありますが、これはここの住所表記なのです。八幡原の信玄軍と、霧にまぎれて茶臼山麓を北上し越後に帰ろうとしていた上杉軍が、霧が晴れてしまい両軍の中央で戦になった場所という言い伝えでの地名です。

 さらにネズミサシのある痩せ尾根を辿って東の展望岩へ(左)。途中に小さな竪堀があります。狭い東の展望岩(中)。南北とも急峻な崖なので転落に注意。ここからは、松代城跡が眼下に望めます(右)。

 望遠レンズで、松代城跡周辺を撮影。これは江戸時代のものを復元したものですから、山本勘助が造ったという戦国時代の海津城はもっと砦の様なものだったのではないでしょうか。元々は、清野氏の倉があったといわれています。
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信) その2

 本郭に戻りました。クララが結実しています(左)。キアゲハが二頭舞っていました(中)。昼食は、リオ五輪にちなんで、ブラジル料理のフェジョン・コズィード(ブラジルの黒インゲン豆の煮込み)をご飯にかけたもので、ブラジル人がほぼ毎日食べるソウルフード。黒インゲン豆は私が栽培したものです。上にファリーニャ・デ・マンジョーカというキャッサバ芋の粉と激辛で酸味のあるハバネロソースをかけて。ハラペーニョとタマネギのピクルスも。塩コショウと大蒜を効かせた自家製アンチョビーオイルで焼いた目玉焼きも。馬鹿旨でした。私が作ったレシピはこちらです。蝉の声を聞きながら、風に吹かれながら、景色を眺めながら、ゆるゆると30分ほど過ごしました。

 帰りにキク科のキオンが咲いているのを発見(左)。小さい秋ですね。以前、陣馬平で出会った人に教えてもらったコナラにできる菌えいをやっと見つけました(中)。探すとなかなか無いのです。取り方も教わったので、形のいいものを三つ取りました。根本はこんな感じで尖っています(右)。周りの樹の皮を剥ぐとツルンとした球体が現れます。ある種の菌がこんないたずらをするのです。自然は本当に面白い。今回の最大の収穫で大発見でした。

 小さなヤマグリがたくさん落ちていました(左)。今年はシナノガキも豊作です。3センチぐらいの美しい羽根を発見(中)。カケスの翼の青い部分の羽毛で、初列雨覆と大雨覆と呼ばれる部位だとか。トビかノスリに襲われたのでしょうか。樹液バーに立ち寄ってみると、チャイロスズメバチが(右)。ルリタテハが吸汁したいと試みるのですが、攻撃的なチャイロスズメバチが邪魔をします。樹液バーは昆虫も減り、随分と寂しくなりました。信州の夏もそろそろ終わりです。久々にいい汗をいた山行でした。
 それから妻女山登山者ノートにも色々情報を書き込んでいただき、本当にありがとうございます。なんでもいいのです。ご自分が見つけたもの、感じたことをご自由にお書き下さい。

清野氏と戦国時代

川中島合戦の上杉謙信にまつわる妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。(妻女山里山通信)歴史マニアと歴女必読! 地名から読む川中島合戦

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。
 長野県シニア大学や自治体などで好評だったスライドを使用した自然と歴史を語る里山講座や講演も承ります。大学や市民大学などのフィールドワークを含んだ複数回の講座も可能です。左上のメッセージを送るからお問い合わせください。


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衝撃! 殺戮だけのためにアオカナブンを襲うオオスズメバチ! 妻女山と斎場山の真実(妻女山里山通信)

2016-08-14 | アウトドア・ネイチャーフォト

 三つ前の記事で、オオスズメバチがアオカナブンを襲い、頭からバリバリ食べるシーンを載せましたが、今回さらに衝撃的なことが起きました。コナラの大木の根元に湧いた樹液を吸うオオスズメバチ(左)。この様に白くなると発酵しアルコール分も含まれます。たくさん吸うと酔っ払うこともあります。アルコール分は微量ですが、オオスズメバチの体重は人間の約一万分の1なので微量でも酔うのです。酔ったハチの行動はまさに人間と同じです。
 吸汁に訪れたアオカナブンを排除するだけでなく突然襲いました(中)。6本の脚で羽交い締めにして攻撃。頭に噛みつきます(右)。

 強靭な顎で頭部に噛み付いています。オオスズメバチの顎の噛み砕く力は樹木を齧って樹液を出すほどなので相当強いのです。カマキリやセミを襲ったり肉食もしますが、樹液を吸いに来たコナラでわざわざアオカナブンを襲う理由が分かりません。それが、この後の行動で更に謎が深まりました。理由のひとつとしては、今年の夏は雨が少なく樹液の出が悪いということがあります。そのため、樹液バーでの争いが頻繁に起きてはいるのですが、他の個体は排除するだけで殺したりはしないので、この個体特有の性質なのでしょうか。

 執拗に攻撃を続けます(左)。この時点で頭部を噛み切っているので、アオカナブンはすでに絶命しています(中)。どうも三つ前の記事で撮影したオオスズメバチと同じ個体の様な気がします(右)。驚いたのは、前回は肉団子にして巣に持ち帰ったのですが、今回は殺すだけで巣に帰ったといいうことです。殺戮だけが目的だったのでしょうか。非常に不可解です。もっともこのアオカナブンはすぐにトゲアリなどの餌になり無益な殺生ということでもありませんでしたが。感情とか遊ぶとかは本当に高度な哺乳類のものだけなのでしょうか。衝撃的な出来事でした。
 この撮影ですが、望遠マクロではなく50ミリf2.0のレンズで撮影しています。そのためレンズフードの先端から被写体までは20センチもありません。なぜ逃げないの?なぜ襲われないの?とよく聞かれますが、彼らの生態を知り、その時の感情(気分)を見ているからなのです。それでも誤って追いかけられたことは何度もあります。オオスズメバチに100m追いかけられたこともあります。3回転びましたが、最後は彼らが嫌いなフィトンチット充満のヒノキ林にダイブして逃れました。

 その樹液バーにキマワリとクロスズメバチがやって来ました。クロスズメバチは地蜂とかヘボとか呼ばれ、地面に巣を作りますが、その蜂の子は信州では高価な珍味です。すがれ追いともいいます。蜂の子はタンパク質が、100グラムあたりで約17グラムと多く、その他ビタミンA・B1・B2、カルシウム、鉄分なども含まれる優良食材なのです。蜂の子は甘辛で煮付けて酒の肴やご飯のおかずに。または一緒に炊き込んでヘボ飯にします。子供の頃は地蜂は捕れないので、アシナガバチの巣を落として祖母に料理してもらいました。信州人のソウルフードですが、今の子供達は食べないでしょうね。農薬や添加物満載の加工食品やジャンクフードまみれ。挙句に放射能汚染食材。

 チャイロスズメバチも来ました(左)。社会寄生をするハチで小さいながら攻撃的なハチです。森の宝石アオカナブン(中)。左後ろにいるのは、シラホシハナムグリかシロテンハナムグリか。この辺は角度で色の見え方も変わるし同定が非常に難しい昆虫です。オオムラサキのオスも吸汁にやってきましたが、カナブンの団体やオオスズメバチに占拠されてなかなかありつけません(右)。

 サトキマダラヒカゲも訪れました(左)。オオヒカゲもやって来ました(中)。虚の奥でずっと吸汁していたコクワガタが出てきました(右)。この後、木を下りて枯れ葉の中に潜って行きました。

 コミスジが葉の上で休憩中(左)。人の気配に敏感で容易に撮影させてくれません。樹上からミンミンゼミが落ちてきました(中)。指にのせると動きません。モデルになってもらいました。なかなか愛嬌のある顔です。
 モジホコリ科ススホコリ属のススホコリ(右)。いわゆる粘菌(変形菌)です。これは変形体ではなくすでに子実体で、胞子を飛ばす準備ができています。石灰質顆粒からなる外皮はもろく剥がれやすい。この夏は雨が少なく、粘菌がほとんど見られず残念です。

 シロヒトリ(左)。白一人ではなく、白燈蛾・白火取。名前の由来は、白火取と書く様に、夜になると灯火に飛び込み、火を消してしまう事から。 幼虫の食草は、クワ、タンポポ、スイバ、イタドリ、ギシギシ、オオバコなど。幼虫は、70ミリほど。昼間は写真の様にほとんど爆睡しています。
 帰ろうとするとノスリがネズミを捕まえて食べていました(中・右)。鳥は撮影機材が全く異なるのでしませんが、ノスリは大好きな鳥なのです。以前、隣家の畑で神の使いといわれる白蛇を捕まえてカラスと壮絶な戦いをしていたのを目撃した時は本当に興奮しました。

 『真田丸』で妻女山への訪問者が激増していますが、多くの観光客は展望台のある妻女山(実は赤坂山)を謙信本陣と勘違いして帰って行きます。長野市の看板にもその説明がないため、ここが本来の妻女山(本名は斎場山)ではないと知らずにいるのです。地元で上杉謙信の本陣と言い伝えられてきた妻女山は、更に100m高い斎場山のことです。山頂は古代科野国の古墳で円墳です。ここに謙信は盾を敷き陣幕を貼って本陣としたと地元では代々言い伝えてきました。写真は千曲川右岸の岩野橋少し下流から撮影したものです。

 これは千曲川左岸の岩野橋の近くから撮影したもの。謙信の軍勢は、斎場山を本陣として妻女山(旧赤坂山)から薬師山(笹崎山)、さらに斎場山南の陣馬平、天城山(てしろやま)、麓の斎場原に布陣したと伝わっています。ここへの行き方は拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林で詳しく地形図と共に説明しています。なお山の地形は戦国時代とほとんど変わっていないと思いますが、千曲川の流れは江戸時代の戌の満水の大洪水の後で、松代藩が大規模な瀬直しをしているので、戦国時代の流路とは全く異なります。「上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから」をお読み下さい。

妻女山と斎場山、陣馬平への行き方」『真田丸』で訪問者が激増中。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。『真田丸』関連の山もたくさん収録。

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妻女山 花と歴史のハイキング(妻女山里山通信)

2016-04-28 | アウトドア・ネイチャーフォト
 27日(水)に、松代夢空間主催の「妻女山 花と歴史のハイキング」が行われました。私がインタープリターとして皆さんをご案内し、自然や歴史について話しながら爽風の吹く初夏の妻女山を歩きました。信濃毎日新聞で事前に記事が載ったため、20人募集のところが、最終的には45人にもなりました。夢空間からサポーターがついてくれたので、無事に終了しました。また、信毎の記者の方が同行取材してくれたので、翌日の紙面に載りました。

 9時集合で受付開始(左)。拙書の販売も行われました。もちろん今回のコースも載っています。最初の挨拶で、謙信の本陣は、今の妻女山(旧赤坂山)ではなく、これから行く513mの山頂で本名を斎場山といいますと説明。ほとんどの方が初耳で驚いていました。まず林道を15分ほど歩いて、長坂峠から斎場山(旧妻女山)へ(中)。円墳なので山頂は平で円形です。ここが本陣かと皆さん感慨深げでした。ここでは古代科野国について説明しました。
 その後、御陵願平にある猪のヌタ場(泥浴び場)へ(右)。前夜浴びたようで足跡がありました。

 次に陣場平へ。地理史の重要な文化遺産である菱形基線測点を説明(左)。初めて見たという人が多かった様です。貝母は残花でしたが、薬草でかなり強い毒草であることなどをお話しました。そして、堂平大塚古墳へ(中)。私有地なので本来は立ち入り禁止なのですが、今回は自前に了解を得たので皆さんをお連れしました。谷にある謙信の陣用水といわれる泉も紹介しました。妻女山へ戻ります(右)。気温は夏日で高めでしたが、時折爽風が吹いて気持ちのいい山行でした。ここのところ、晴れの日はほとんど毎日撮影や山の保全で陣場平に来ていたので、歴女やご婦人方やご夫婦などを案内しました。事前にメールとかで連絡いただければ、都合が合えばご案内できるかもしれません。左にあるサイドバーのメッセージを送るからお願いします。ダイレクトメールなので公表の心配はありません。
 【君待つと 吾が恋ひをれば 我が屋戸の すだれ動かし 秋の風吹く】万葉集:額田王
 秋どころかまだ夏にもなっていないんですけどね。春紅葉はなぜか哀愁を誘うのです。すだれが動いたので会いたいなという人が来たのかなと思うと、ただの風だったという切ない歌。いずれにせよ想いははっきりと伝えないといけません。待っているかもですよ。

 この時期に妻女山山系のあちこちで咲いている花をピックアップします。まずはイカリソウ(碇草・錨草)メギ科イカリソウ属。別名は、三枝九葉草(さんしくようそう)、生薬名は、淫羊霍(いんようかく)で強壮剤などに用いられます。年々群生地が広がっているのが嬉しいです。アマドコロはまだ蕾でした。三つ葉やモミジガサも芽吹きました。

 左はシナノタンポポ(信濃蒲公英)。花の下の総苞が太く萼片が反り返っていません。花も大きく草高があり、私が計った最高は81センチありましたと話すと皆さん驚かれていました。中はクサノオウ(瘡の王) ケシ科クサノオウ属。別名は、皮癬草(ひぜんくさ)。生薬名は、白屈菜(はっくつさい)といいますが、非常に毒性が強いものです。瘡(くさ)・丹毒(たんどく)・湿疹を治す薬効があるために、くさ(瘡)の王と呼ばれるようになったとか。茎は中空で、折ると白汁が出て、橙黄色に変化します。 北信濃では、里山の林道脇にたくさん咲くのが見られます。右はタチツボスミレ(立ち坪菫)スミレ科。ラベンダー色が美しいもっともありふれたスミレですが、白花や斑入りなど変種も多く、なかなか奥の深いスミレです。妻女山にはアカフケタチツボスミレもあります。

 上杉謙信槍尻ノ泉近くにシナノタンポポの群生地がありますが、雑種もあります。近くに咲いている黄花のクサノオウは毒草なのでご注意を。

 左と中のウワミズザクラ(上溝桜)は、バラ科ウワミズザクラ属。落葉高木。別名は、花が強い杏仁に似た香りがあるため杏仁子(あんにんご)といい、実は食べられます。果実酒にも。総状花序の下に葉がつきます。上溝とは、亀甲占いのために上溝桜に溝を掘って燃やし、亀甲のひび割れで占ったため上溝桜が転訛してウワミズザクラになったということです。右はガマズミ(莢迷)スイカズラ科ガマズミ属。葉はクスサンの大好物。秋になる赤い実は果実酒に。滋養強壮、抗酸化作用があります。

 ハイキングの前日には、久しぶりにニホンカモシカのシロに出会いました。まだお腹が大きいので出産はしていないようです。中はマルバアオダモ(丸葉青だも)双子葉植物・合弁花類・モクセイ科・トネリコ属。バットや家具の材料。別名はホソバアオダモ。招魂社の八重桜も満開になりました。花を塩漬けにすると桜茶になります。

 左はヤマツツジ(山躑躅)も満開です。中はキジムシロ(雉筵)バラ科。縁が鋸状の小さな葉が地面にべたっと広がります。春のバラ科の花は、ミツバツチグリ、ツルキンバイ、ヘビイチゴ、オヘビイチゴ、ヤブヘビイチゴなど皆似ているので同定が厄介です。下山後は、清野にある「レストラン はなや」さんで、杏おこわや手打ち蕎麦をいただきました。また、ここでも拙書をお買い上げいただき、希望者にはサインをしました。

 はなやさんの店内(左)。参加者が途中で見つけた大きなキノコ(中)。その場では同定できなかったので持ち帰らせていただきました。松の切り株などに生えるマツオウジです。食菌ですが、人によっては中毒を起こすそうです。酒と醤油をふってオーブンで焼いてみました。コリコリとした食感で美味しいキノコでした。右は謙信の陣用水といわれる蟹沢(がんざわ)の泉。
 解散後は、陣場平のヨシの新芽が気になったので切りに行きました。下山後に妻女山の駐車場で、ちょうど私が置いた不法投棄の大量の雑誌を回収中の長野市の職員の方に遭遇。不法投棄の話や、今日のハイキングの話、展望台の絵図が間違っている話などをし、拙書のパンフレットも渡しました。

 長坂峠から陣場平方面のカット。この芽吹き具合は、例年なら連休明けぐらいの感じです。季節の進み方が早すぎて撮影が追いつかなくて困っています。植物の成長も旺盛なので里山保全の作業もあります。ゴールデンウィークも妻女山山系を駆けずり回ることになりそうです。若干過労気味ですが、今の季節が撮影の肝なんです。妻女山や斎場山、陣場平などで出会った方には必ず声をかけています。拙書をお持ちの方にも既に20人以上に出会いました。感謝です。
 陣場平ではなんとウスバシロチョウも舞い始めました。4月に舞い始めたのは初めてで驚いています。5月1日は、妻女山里山デザイン・プロジェクトの面々と四阿山から根子岳縦走をする予定でしたが、28日の降雪で冬山に戻ってしまったという情報。急遽、拙書の表紙にも使われている子檀嶺岳に変更になりました。偶然お会いしたら声をかけてください。むさい男4人のパーティーです(笑)。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。平安堂書店や松代まちあるきセンターで買えます。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。

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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。
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妻女山のソメイヨシノが満開。キブシやミヤマウグイスカグラも咲きました(妻女山里山通信)

2016-04-11 | アウトドア・ネイチャーフォト
 あんずの花が散って妻女山のソメイヨシノが満開になりました。千曲川河川敷の桃の花も開花。ここのところ最高気温が割りと高く、最低気温もそう低くないので一気に開花が進みました。『真田丸』効果で妻女山(旧赤坂山)を訪れる人も増えました。ここが謙信本陣と勘違いして帰る人が多いので拙書を見せて、謙信本陣はここより100m高い旧妻女山、本名斎場山ですよとご案内しています。皆さん驚かれますね。

 妻女山山系で最初に咲くスミレ(左)。草高は3-5センチしかありません。葉の先は尖っているものと、丸いものがあります。茎には毛があります。アオイスミレでいいのでしょうか。交雑種でしょうか。ムラサキケマン(中)。毒草ですが、ウスバシロチョウの食草です。カンスゲの穂も出てきました(右)。こちらでは芝草ともいいます。林道ではヒオドシチョウやルリタテハが日向ぼっこ。陣馬平ではルリシジミが忙しなく舞っています。ホウジロのさえずり、ピーエーというノスリの鳴き声、クサボケも咲き始め、ベニヤマザクラも咲き出しました。

 ミヤマウグイスカグラ(左)。深山鶯神楽と書きますが、ウグイスが実をついばむ姿が神楽を舞うように見えることからの命名とか。葉や茎、赤い実にも毛があります。12月にも咲いていました。6月になる赤い実は甘く食べられます。玉暖簾の様に咲くキブシ(中)。ニワトコも開花(右)。

 キブシ(木五倍子)の花の暖簾は、明るい林道沿いで群生しているのが見られます。キブシの髄はスポンジ状で、昔は灯芯などにも使われたようです。髄を取り出すと中空になるので、酒樽の呑み口にも使われたとか。また、江戸時代には既婚の女性はお歯黒にする習慣がありましたが、キブシの実も利用されました。釘や鉄粉を食酢につけて酸化した液に、ヌルデの実、五倍子(ごばいし)やキブシの実の粉末をつけて、歯につけると黒く染まるそうです。

 カタクリも咲き始めました。花は温度により開閉します。花びらの温度が17-20度で開花し、25度では完全に反り返るといいます。気温はそれほどなくても、直射日光に当たると温度が上昇するようです。種にアリが食料とするエライオソームという物質がついているため、アリによって運ばれるアリ散布植物の一種で、日本には200種以上あります。
もののふの 八十娘(やそおとめ)らが 汲み乱(まが)ふ 寺井の上の 堅香子(かたかご)の花 (万葉集/大伴家持)

 カタクリは別名を初百合ともいいます。片栗粉で名前だけ残っていますが、江戸時代の、『茅窓漫録』に「病人飲食進みがたく,至りて危篤の症になると,かたくりといふ葛粉のごとくなるものを湯にたてて飲ましむ。」とあるように、薬草として用いられました。ちなみに花言葉は「初恋、嫉妬、寂しさに耐える」。

 カタクリの群生地の中にあったヤマトリカブト(左)。全草が猛毒です。山菜になるニリンソウと似ているので間違えないようにしないといけません。泉の小さな流れに咲いていたワサビの花(中)。私のレシピ集から「ワサビの粕漬けの作り方」。緑色なので一瞬ホトケノザかと思いましたが、よく見ると同じシソ科のヒメオドリコソウ(右)。最低気温が高いのでアントシアニンが生成されず赤紫にならないのでしょう。拙書の髻山のキャプションにホトケノザとあるのは間違いで、正しくはヒメオドリコソウです。両方共シソ科です。

 今は亡き山仲間のKさんのログハウスの枝垂れ桜も、例年よりかなり早く咲き始めました。左はソメイヨシノ。天然のカスミザクラ、オオヤマザクラ、ウワミズザクラやズミが咲くのは、今月下旬でしょう。

 陣馬平の貝母もかなり開いてきました。薬草ですが、これもかなり毒性が強いので要注意です。丸まった葉の先を互いに絡めあって東風(こち)に揺れる様は、非常に風情があり美しいものです。ここへの行き方は、拙書で紹介しています。貝母へ進入するノイバラとヨシの除去で腰痛が酷くて参っています。発見した時は酷いヤブの中で四畳半ほどしかなかったのですが、4年ほどかけてギャップを作ったらここまで増えました。元々畑だったので周囲と土目が異なるのです。

 貝母は、和名を編笠百合といいますが、花の中を見るとその理由が分かります(左)。妻女山松代招魂社のソメイヨシノも週末には満開になりました。たくさんの観光客や花見客が訪れていました。17日(日)は、長野マラソンですが、桃の花や堤防の菜の花も咲くでしょう。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。郷土史研究家でもあるので、その山の歴史も記しています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます(書籍は送料無料)。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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上杉景勝も布陣した清野氏の鞍骨城跡から御姫山まで登山道整備(妻女山里山通信)

2016-03-09 | 歴史・地理・雑学
 前回は妻女山から鞍骨山(鞍骨城跡)までの登山道整備をしたのですが、今回はその先の御姫山までをしました。なんていうか寒の戻りのせいか腰の具合がもう一つでギクシャクしながらゆっくりと登りました。途中、早々と鞍骨から下りてきた千曲市の男性と邂逅。色々話をしましたが拙書を見せると、これは凄くいいですねと。やはり地形図が載っているのがいいということです。国土地理院の地形図をダウンロードして、斜体でジャギっている山名を消して等高線を引き直して新たに山名を記入したことには大変驚かれていました。滅茶苦茶手間のかかる作業でした。地形図を図と文字のレイヤーに分割して欲しいです。

 二本松峠から笹の道を抜けると鞍骨山が姿を現します(左)。最近は歴女も全国から訪れますが、途中の天城山(てしろやま)周辺が非常に迷い易いので、ぜひ拙書を携帯してください。鞍骨城跡の本郭の石積み(中)。上杉景勝時代のものといわれています。北条氏直を牽制するために、ここに駆け上がり御旗を立てたという逸話が残ります。鞍骨城跡(鞍骨山山頂)の本郭(右)。今回もバラを100本以上切りました。普通に登れる現状を当然と思っているかもしれませんが、以前はヤマガシュウやエビガライチゴの藪が塞いで、とても歩ける状況ではありませんでした。除去に何度も通って現在の状態にするのに2年かかりました。

 今回は鞍骨城跡から東へ痩せ尾根を進みます。まず最初の西展望岩(左)。次に小さな堀切を越えてすぐに東の展望岩(中)。松代(海津)城跡が眼下によく見えます。いつもはここで引き返していたのですが更に先へ。かなり深いコル(右)。地元の古老の話では、昔は石段があったとか。これも自然地形を更に削って作ったものの様です。

 明るい尾根を進んでほんの少しの急登(左)。鞍骨山と北の象山からの尾根と、南の鏡台山からの尾根との稜線出合(中)。標高は約825mです今回はここから南へ尾根を進みます(右)。すぐにアンテナの鉄塔。前方に御姫山のシルエット。以前はこの尾根は酷い灌木林の藪でしたが、森林組合の人が伐採してくれたお陰で清々しました。環境破壊の元になるテーピングを回収しながら進みます。若い登山者はしません。環境問題に疎い自分勝手な老人がするのです。老害です。自分のためにした場合は回収すべきです。余計なお節介は不要。公のコンセンサスもありません。山は自己責任で登るべきです。

 明るい尾根を進むとすぐに石を積んだ山の神(左)。御姫山までの間には二つの小ピークがあります(中)。最初の小ピークに「お姫山」の標識がありますがこれは間違い。御姫山はここではありません。拙書で確認してください。二つの小ピークを越えると御姫山への急登(右)急登ですが距離は短いので頑張りましょう。 

 標高約930mの御姫山山頂(左)。山頂は特になにもありません。越冬したヒオドシチョウがたくさん舞っていました(中)。ここで絶品の野沢菜炒飯と大根の酢辛子漬けで昼食。いずれも私の自作。山頂から南には、戸神山脈の続きの大嵐山とその先の鏡台山が見えます(右)。御姫山から鏡台山までは1時間半から2時間。

 御姫山から赤松林越しに見える左に根子岳と右に四阿山。拙書では、真田信繁と四阿山について記しています。山頂には真田家が尊崇した山家神社の奥宮があるのですが、その歴史も記しています。
 手前は保基谷岳への尾根。今年は積雪が少なく、根子岳も木々の緑が見えます。麓から長野市の正午のメロディー、子鹿のバンビが流れます。昔はエリーゼの為にだったような記憶。

 昼食後戻ります。赤松林の混合林の急坂(左)。登山道に出た枝を切ったり、ヤマガシュウを切除します。左手(西側)には、千曲市の倉科の里が見えます(中)。尾根から右に鞍骨山、左に天城山(右)。これから鞍骨、天城経由で妻女山まで下ります。そのヤマガシュウですが、曲がりをちゃんと見ておかないと、切った瞬間にこっちへ跳ねてくるのです。今回も迂闊に切って顔に直撃。悲鳴をあげました。登山道脇は切りますが、その奥は切りません。彼らにも生存権はあります。人間の都合だけで考えてはいけません。

 鞍骨山への尾根には、南面にはヤマナラシ(左2点)、北面にはシラカバ(右2点)の群生地があります。尾根上にはネズミサシやチャボガヤも。中腹にはないアブラチャンも見られます。

 帰りの鞍骨城跡の東にある展望岩からの善光寺平(川中島)の眺め。ここは本当に展望がいいのでお勧めです。左に妻女山(赤坂山)。右に象山。中央の森が八幡原(はちまんぱら)。先日、友人の医師が初めてここを歩いたのですが、川中島の全貌や、旧千曲川の流れを想像したり、非常に面白かったと言っていました。歴女、歴史マニアにはお勧めのコースです。ぜひ拙書をご持参ください。

 帰りは南面から下ります。通常はこの郭から右へ行くのですが、今回はそのまま南へ(左)。ちょっと急ですが、慎重に下ります。郭が続いています(中)。下りると左手(東)に道があります(右)。これは鞍骨城跡の昔の南面の巻道です。コルまで続いていたのですが、現在は崩壊しています。亡父はこの道を歩いて何度も鏡台山までキャンプに出掛けたと言っていました。

 陣馬平に立ち寄ると、貝母が更に成長していました(左)。蕾も見えます。これはタネツケバナの一種でしょうか(中)。あまりに小さくて見落としがちです。ヨモギの若葉も出始めました(右)。草餅は絶品ですが、この天ぷらも美味です。今日は小雨の予報が酷い降雪になってしまいました。信州の本格的な春は、まだまだ先の様です。
 ところで陣馬平に寄ったら、オフロードバイクの轍がありました。とんでもない事です。山林は全て私有地です。他人の畑や敷地を無断で走るのと同じ違法行為です。跡を見ると希少植物が踏み荒らされていたり、知り合いのヒノキ林は枝が折れていたそうで、植林地を走ると根が傷みます。所有者の依頼で看板を立てましたが、続くようなら警察に通報するしかありません。林道以外の走行は違法行為です。登山道ももちろん駄目。そんな当たり前の事も分からない馬鹿な大人がいるのは本当になさけない。
 今回のコースは下記の拙書でも詳しく紹介しています。地味な里山ですが、静かな山行が楽しめます。健脚であれば鏡台山へも行けます。武田別働隊の経路を想像しながら登るのもいいでしょう。川中島合戦については、右上のこのブログ内で「妻女山」「斎場山」「川中島の戦い」「川中島合戦」など。古代史がお好きならば、「科野国」「会津比売命」などで検索をしてみてください。色々出てきます。

川中島合戦と山名についての考察。斎場山と妻女山まとめ。(妻女山里山通信)
 既存の歴史書では読めない内容が書かれています。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。陣馬平への行き方や写真も載せています。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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妻女山から上杉景勝も布陣した清野氏の鞍骨城跡(鞍骨山・鞍掛山)へ登山道整備の好日(妻女山里山通信)

2016-02-29 | 歴史・地理・雑学
 晴れた週末は、妻女山から鞍骨山(鞍骨城跡)までの登山道の点検と整備をしました。真田信繁(幸村)を描いた大河ドラマ『真田丸』の効果もあってか、昨秋辺りから全国からハイカーが訪れています。日曜の放送では、ちょうど上杉景勝が赤坂山(現在の妻女山)から鞍掛山(鞍骨山)に御旗を建て、海津城の北条氏直を威嚇したというのをやっていました。、上杉についたものの真田昌幸に調略され、挙句の果てに殺されたという春日(高坂)昌元(春日信達)は哀れでしたが、史実はどうだったのでしょう。

 妻女山駐車場の奥の右手の林道を登ります(左)。入口に斎場山や鞍骨山までの略図と説明があります。約15~20分で長坂峠(中)。鞍骨山は左へ。右に見えるのは上杉謙信が本陣としたと伝わる斎場山(旧妻女山・地元では妻女山というとこの山のことです。昭和41年の地形図にはここを妻女山と明記。その後昭和47年に地形図を改定した時に現在の妻女山(本当は赤坂山)に三角点を置き、名前を国土地理院が勝手に移動してしまったのです)。約15~20分で林道を離れ天城山(てしろやま)経由で鞍骨城へ(右)。

 途中、謙信が七棟の陣小屋を建てたという陣馬平へ。貝母(編笠百合)がかなり大きくなってきました(左)。ゴールデンウィーク頃に満開になります。今回、一番切ったのがこのヤマガシュウ(中)。ノコギリやカマでは切れないので剪定ばさみを使います。非常に鋭い棘で、刺さると悲鳴をあげるほど痛い。これが登山道を塞ぐと前に進めなくなります。他にはノイバラとエビガライチゴも。いずれも棘があり放っておくと登山道が塞がれてしまいます。満開の福寿草(右)。綺麗ですが毒草なので要注意。
 この陣馬平にオフロードバイクで侵入した大馬鹿者がいます。最低の環境破壊です。私有地であり、個人の敷地や畑に無断で侵入するのと同じ犯罪です。

 尾根に出て振り返ると斎場山が眼下に見えます(左)。左手には目指す鞍骨山(中)。ここから1時間弱ですが、作業をしながらなので普段よりかなりゆっくりです。天城山は巻道を使い、二本松峠を通過(右)。左へ下ると清野。右は倉科。鞍骨城跡まで850mの標識。天城山は尾根が十字に出ているので、下る方向を間違えると大変です。先日も2名ほど間違えたというハイカーに出会いました。標識の地名をよく確認してください。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』では、コースを記載した地形図と詳細な説明やコースの写真を載せています。

 尾根の一本道を進むと、駒止と呼ばれる深い堀切(左)。更に進むと突然目の前に鞍骨城跡が現れます(中)。芽吹いてしまうと見えなくなりますが。明るい尾根を進み高圧線の鉄塔をくぐると、二条の堀切(右)。奥の堀切からは左へ林道倉科坂線へ下る登山道があります。以前ここはエビガライチゴとヤマガシュウの酷い藪で通れませんでした。今回も3mにもなったエビガライチゴを伐採。

 堀切を越えると鞍骨城の全貌が見えてきます(左)。尾根の両側は4mほどの長い削平地があり、馬場跡などともいわれています。尾根には4月にはカタクリ、5月には猛毒のヤマトリカブトが咲きます。城跡へは左手(北側)から登ります(中)。登り口が分かりにくいという声を聞いたので、今回かまぼこ板に矢印を書いたものを付けました。また補助用にトラロープを設置しました。大きなケヤキのある二つ目の広い郭(右)。ここで右手(南側)に回ります。斜めに細い道が付いています。

 そこから本郭を見上げたところ(左)。本郭の石積みが見えます。斜めに登って行くと南面のやや広い郭に出ます(中)。ここからはつづら折れで南面の虎口へ。足元がかなり不安定なので要注意。標高798mの本郭に到着(右)。
 武田氏滅亡後、鞍骨城は『景勝一代略記』によると、 1582(天正10年)7月に上杉景勝が「清野鞍掛山の麓、赤坂(現妻女山)と云所に御馬を立てられ、・・・鞍掛山へ御上がり云々」との記録があり、景勝と北条氏政が川中島四郡支配を争った際に、上杉方がこの一帯に陣取った様子が記されています。そういう経緯から、今の鞍骨城は、景勝時代の姿ではないかともいわれています。そんな城跡を500年前の石垣かと思って触れると、色々な事を思います。なぜ人は戦ばかりするのだろうとか…。
「七度の飢饉より一度の戦」戦国時代の凄まじい実態 (妻女山里山通信)大河ドラマでは見えてこない戦国時代の姿

 本郭から東へ痩せ尾根を30mほど行くと二ヶ所の展望岩があります。まず西の展望岩から、出発点の妻女山を見下ろしたカット。妻女山から陣馬平、天城山、二本松峠を経由して鞍骨山。普通なら約90分ですが、今回は体調がいまひとつだったのと作業で2時間以上かかりました。
「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」

 東の展望岩からは眼下に松代城跡(海津城跡)。右下の小山は、象山の先にある離山。山頂には離山神社が鎮座しています。その向こう側には、松代文武学校。戦国時代はもちろん、江戸後期の戌の満水後の瀬直しまでは、この松代城の脇を千曲川が流れていました。
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信) その2

 結局、今回は行き帰りで200本以上のヤマガシュウを切り払ったと思います。尾根の途中で二ヶ所ほど見つけたタヌキの溜糞(左)。春先は最も食料が乏しい時期。何を食べているのでしょう。何か小動物の毛の様なものも見られますが。雑食性なので樹の実や果実以外に、ネズミやカエル、ミミズなども食べます。ドバトの羽根が散乱していました(中)。襲ったのはタヌキかキツネか猛禽類のノスリかトビか。有毒なので最後まで残っているヒヨドリジョウゴの赤い実(右)。午後になって冷たい南風が吹き始めて腰痛が酷くなったため慌てて下山しました。

 日曜日は、長坂峠でノイバラの伐採(左)。ノイバラも大きくなると木質化し、非常に厄介です。腰痛のため草刈機が使えないため、鉈鎌と剪定バサミでゆっくりと。正面にある数本の木はオオムラサキの幼虫の食草となるエノキ。昼食の弁当は野沢菜漬けのチャーハン(中)。副菜は自家製のキムチとカクテキ。出る直前に作ったのでまだ温かく美味でした。小鳥のさえずりを聞きながらのんびりと昼食。ちょうど知り合いのKさんが通りかかりました。山蕗を採ってきた様です。信州名物? 山蕗とスギヨのビタミン竹輪のかき揚げにでもするのでしょうか。やや早めに下山。妻女山松代招魂社奥の駐車場はかなり広く、上手く停めると20台以上駐車できます(右)。両日とも何人もの歴史マニアや観光客が訪れていました。4月上旬には桜も満開になり、遠足の保育園児や小学生の歓声で溢れます。花吹雪の妻女山に、ぜひお出掛けください。

真田丸の影響か、アクセスも増えています。ご質問やご感想、情報提供などコメントも大歓迎ですが、コメントを表示されたくない方は、その旨を書いていただければ、承認制ですので非表示にします。遠慮無く書き込んでください。

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猪の厄日と猟犬の厄日と私の厄日?(妻女山里山通信)

2016-02-06 | アウトドア・ネイチャーフォト
妻女山へ来られる方へ。
 国道403号から上信越自動車道をくぐって右折して登った上杉謙信槍尻ノ泉のある最初のカーブが凍結しています。午前中は完全凍結しているのでスタッドレスなら登れますが、午後気温が上がって解けるとご覧のようにスタッドレスでも登れません。写真は午後3時頃。観光客の車がカーブで横向きになり動けなくなりました。毎年1月より、2月、3月にこの様な事故が多発します。ガードレールに激突の例も。午前中でもカーブの内側ではなく、外側を登ってください。表面が解けていたら登れません。『真田丸』で観光客が増えているので長野市に対策をお願いしましたが、充分注意してください。高速のトンネルの手前に駐車して徒歩で登っても15分ぐらいです。ドライバーの方に了解を得たので写真を掲載します。信州では403号の麻績へ登るカーブとか、雪解けの水が流れて凍りついてアイスバーンに。国道でもこうなる箇所があります。充分注意してください。

 最高気温が6度でほぼ無風というので、痛めた腰のリハビリにと妻女山へ。車を停め林道を登ろうとすると、まあなんということでしょう。檜林の林床がまるで耕うん機で耕したようにひっくり返されているではありませんか。

 雪は凍って解けてを繰り返しているのでほぼ氷状(左)。それをなんなく掘り返しています。それもかなり広い面積を。猪の仕業ですが、これはかなり大きな個体です。3年ほど前に140キロの雄が仕留められたのですが、それに次ぐぐらいの大きさでしょう。林道を登って行くと、途中にも数か所掘り返した跡がありました。林道に沿ってずーっと掘り返した跡も。さながらちょっとした土木工事です。北面の林道は雪がまだ10-30センチはあります(中)。長坂峠に来ると、峠の南面はずいぶんと雪解けしていました(右)。正面は斎場山。

 菱形基線測点のある陣馬平へ(左)。謙信が七棟の陣小屋を建てたと伝わる平地です。ここにもその大きな猪の足跡がありました。これは珍しい。その猪の足跡をなぞるように歩いたタヌキの足跡(中)。猪の足跡の中に途中までタヌキの足跡がずっとついていました(笑)。これはタヌキが吐き出したのか(右)。ネズミか何か小動物の肉か内臓のようです。

 堂平大塚古墳へ。そこから見る千曲川(左)。例年なら見える辺りに鴨が飛来しているのですが。今年は見られません。暖冬が影響しているのでしょうか。古墳の上に咲き始めた福寿草(中)。雪がないので例年より早めです。日当たりの良い斜面に咲いていたオオイヌノフグリ(右)。大きな犬の陰嚢という意味ですが、実が似ているのです。しかし、わざわざそこに目をつけて命名しなくてもよかったんじゃないのとは思います。別名は、瑠璃唐草、天人唐草、星の瞳などで綺麗なのですが…。明治初期に渡来した欧州原産の帰化植物です。

 妻女山展望台から北に見える戸隠連峰と飯縄山。飯縄山は拙書では3つのコースを紹介しています。豪雪の年は真っ白だったので、やはり雪は少なめです。水不足にならないといいのですが。

 翌日も日中は気温が上がったので再び山へ。斎場山を過ぎて御陵願平にある猪のヌタ場へ行ってみました(左)。猪が体についた虫を落としたり、猟で追われた場合に火照った体を冷やすために泥浴びをする場所です。雪で分かりにくいのですが、5m×4m位の大きなものです。最初は写真の木の根っこの大きさだったものを鼻だけでここまで掘り広げたのです。猪の足跡(中)。結構大きな個体です。斎場山(旧妻女山)山頂。512.8m。山頂は円墳で、上杉謙信が最初に本陣としたと伝わるところです。

 斎場山から千曲川と川中島を見下ろしたところ。落葉期の今が一番見晴らしが効きます。5月になり葉が茂ると展望はほぼなくなります。川向うの正面は合戦場という地名で、川中島の戦いの際に戦場になったといわれている場所です。千曲川の流れは、1742年(寛保2年)8月の大洪水、戌の満水の後に松代藩により大規模な瀬直しが行われたため、戦国時代とは流路が全く変わってしまっています。そのころはもっと激しく蛇行、分流していました。
上杉謙信が妻女山(斎場山)に布陣したのは、千曲川旧流が天然の要害を作っていたから(妻女山里山通信)

 長坂峠へ行くと猟師がいました。なんでも100キロの雄を仕留めたそうです。来る途中で見た大規模に掘り返した跡がその雄のものだそうです。これから帰るんだけれど、谷に下りた猟犬一頭が戻らないのだとか(左)。別れて陣馬平へ向かうと、下から猟犬が一頭登ってきました。こいつだなと思い、ご主人様が呼んでるよ。こっちだよといって峠へ付いてくるようにいうと、距離をおいて付いてきました。ところが峠へ戻ると車がいません。どうやら山を下りて尾根を回って谷底へ探しに行ってしまったようです。私は斎場山方面へ撮影に。猟犬はどこへ行くんだようと鳴いていましたが、向こうへ下りなといって私は斎場山へ。撮影を終えて下っていくと、さっきの車が。どうやら会えなかったようです。哀れな猟犬はまた谷に下りてしまったようです。
 仕留められた猪が掘り返した跡。彼の最後の晩餐の痕跡です(中)。隣には、私と仲間がやっている椎茸のホダ木が(右)。これを全部ひっくり返されなくて良かったと思いました。以前友人のホダ木が全部ひっくり返されたことがあるのです。結局また上に探しに行ったようですが、妻女山展望台の下にいると車が下りてきました。結局見つからなかったようで浮かない顔をして下って行きました。声ではなく遠くまで聞こえるホイッスルで猟犬を呼び戻すように仕込んでおかないと駄目ですね。どうなったのか心配です。

 最後に妻女山展望台からの松代方面。左には拙書でも紹介している奇妙山。右に保基谷岳。間の奥には根子岳と四阿山(あずまやさん)。両山とも拙書で紹介しています。真田と深く関係する四阿山は、『真田丸』効果もあって今年は登山者が増えるでしょう。特に目ぼしい被写体も見つけることができなかったので、もう少し粘りたかったのですが、寒風が吹き始めて神経痛が酷くなったので下山することにしました。

長野県鳥獣保護区等位置図 期間・狩猟鳥獣・連絡先等
 毎年11月15日 から 翌年2月15日まで
 ただし、ニホンジカ及びイノシシ(わな猟 ※)に限り、翌年3月15日まで延長。
 ※「止めさし」に限り、銃器使用は可能です。

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『真田丸』効果か訪問者が増えた妻女山から清野氏の鞍骨城跡に登る(妻女山里山通信)

2016-01-17 | 歴史・地理・雑学
 大河ドラマ『真田丸』が始まり、松代城や妻女山にも訪れる人が増えました。土曜日に山の手入れをしていると、3人ぐらいが鞍骨城跡へ登っていったようです。翌日は薄曇りでしたが風がほとんどないので登ることにしました。今時積雪が全く無いのは初めてです。

 新年の晴天の日の妻女山松代招魂社(左)。戊辰戦争以降の戦没者を祀ってあります。瓦には真田の六文銭が。拝殿の中の額(中)。招魂社の書は、松代藩最後の藩主、真田幸民(さなだゆきもと)ですが、真田ではなく滋野幸民と書いてあります。わざわざ本姓を書くのには、何か相当の想いがあったのでしょう。滋野氏はもともといた望月氏の地に入り縁戚関係を深めていきます。そして海野氏、真田氏もその関係。望月氏の中からは布施氏を名乗るものも出て、善光寺平を収めました。平安時代のことです。幸民は、伊予宇和島藩主・伊達宗城の長男で、真田幸教の養子となりました。長年名主をやった我が家の祖先も御目通りしているはずです。
 招魂社の奥の駐車場から右の林道を登ります(右)。林道入口に私が立てた地図と看板があります。木の杖が置いてあるので使ってください。返却してもいいですが、捨ててきても構いません。ここから鞍骨城跡までは、約90~100分です。

 左はウスタビガの繭(まゆ)。年によって増減しますが、今年は異常なほどに少ない。これは羽化後で空ですが、以前蛹が入ったものを玄関の花瓶に挿しておいたら、ある夜羽化してしまい、家人の悲鳴で気が付きました。開張10センチ以上あるので、知らないと驚くでしょう。手のひらに乗せて遊んだ後に逃がしてやりました。
 逆光に映える桜の枝(中)。ガマズミの冬芽(とうが・ふゆめ)(右)。

 ミヤマウグイスカグラの蕾(左)。なんと咲いているものもありました。霜でやられていましたが。マユミの実(中)。例年ならば枯れているか落ちているのですが。そのマユミの冬芽(右)。

 コナラの蘖(ひこばえ)の冬芽(左)。白いものはシジミチョウの卵でしょうか。コナラの冬芽にカマキリの卵(中)。高さ1m以上についていました。豪雪があるのでしょうか。無関係という調査報告もありますが。ニワトコの冬芽(右)。

 天城山(てしろやま)を巻いて二本松峠を過ぎ、尾根を進むと駒止と呼ばれる深い堀切(左)。進むと二条の堀切(中)。これは越えて振り返ったところ。堀切を越えると鞍骨城跡が姿を現します(右)。尾根の両側には、馬場跡ともいわれる細長い削平地があります。

 まず一の郭(くるわ)に登ります(左)。ここは左を巻いて二の郭へ。大きなケヤキの木が立つ二の郭(中)。ここからは右へ巻いて本郭への斜めの道を登るのが普通ですが、今回は三の郭へ直登しました。かなり危険です。滑落しないよう慎重に登りました。三の郭から見上げる四の郭(右)。

 四の郭の石垣(左)。その上には本郭の石垣も見えます。四の郭から見上げる本郭(中)。さすがにここは登れないので右手の大手へ回ります。南面にある虎口(こぐち)(右)。倉科のMさんが立てた「天空の山城 鞍骨城」という標柱が迎えてくれます。

 鞍骨山798mが本郭で鞍骨山山頂(左)。村上義清の傍系の清野氏の山城です。西から土塁のある東を見たところ(中)。土塁の上から西を見たところ(右)。

 本郭から見下ろす松代城跡(海津城跡)。写真中央が松代城。『真田丸』のイベントでしょうか。麓から太鼓の音が聞こえてきました。右上はモーニング娘。16の羽賀朱音ちゃんが通っていた松代中学。世界的アコーディオン奏者のcobaもここの出身。二人共私の後輩ということになります。

 本郭先の展望岩から。西北西を見ると白馬三山。右に神城断層地震で山頂が崩壊した神話の山、虫倉山。その手前が茶臼山。一番手前の三角の山は、今回は妻女山から来る時に巻いた天城山(てしろやま)。

 北を見ると左に戸隠連峰と、戸隠富士といわれる高妻山。右に長野市民の山、飯縄山。手前に広がる善光寺平(川中島)。千曲川の手前に登山口の妻女山。気温は1度ぐらいですが、無風なので寒さは感じません。AC長野パルセイロのホームスタジアムも今日は試合がないようで静かです。試合がある日は、ここまでチャントが聞こえます。
 豪雪地帯の飯山などを除いて、全県下に大雪注意報が出ました。典型的な上雪(かみゆき)です。2014年2月の大豪雪の様にならないといいのですが。備えだけはしておきましょう。
清野氏と戦国時代』 鞍骨城跡の主、清野氏についての詳細な歴史です。
 海津城(後の松代城)の起源については、清野村誌の記述により清野氏という説があります。
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その1(妻女山里山通信)
真田十万国「松代城(海津城)」の歴史 その2(妻女山里山通信)

 明けて月曜日の昼。深夜から降り始めた雪で一夜にして真っ白に。上雪なのでシャーベット状。非常によく滑ります。写真は妻女山展望台から松代方面。上信越自動車道は動いていました。長野自動車道と中央道はほぼ通行止め。東京では京王線が麻痺状態になったようですね。明朝はこのシャーベット状の雪が凍結します。交差点や橋の上のミラーバーンに要注意です。週末は更に強烈な寒気が入ってくるとか。やれやれ。

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キノコ狩りと手打ちパスタとカチュッコでイタリアンな秋日(妻女山里山通信)

2015-11-03 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今回の妻女山里山デザイン・プロジェクトは珍しく山仕事がなく、キノコ狩りのみとなりました。といっても、北信はこのところ全く雨が降っていないので、大収穫は望めません。案内する私としても一本も採れなかったでは、ガイド失格なので、ここは確実にムキタケ狙いでシロをいくつか回ることにしました。

 今年一番の冷え込みとかで、気温は2度あるかないか。長い林道歩きから森に入り、道なき林下を下って、ひとつ目のポイントへ。ムキタケがそこそこ採れました。毒キノコのツキヨタケと紛らわしいのですが、ツキヨタケは標高1000m以上に行かないとないので、この辺りでは心配する必要はありません。雨が降ると巨大化するのですが、今回は大型のものはあまりありませんでした。ムキタケは地元でもあまり市販もされませんが(ネットでは買えるようです)、非常に美味しいキノコです。木材の白色腐朽を起こす腐朽菌の一種で、腐朽力が強いためシロの消耗が早く、2、3年、長くても4、5年でそこからは出なくなります。

 10基ぐらいあるでしょうか、積石塚古墳(左)。しかし、ここに来る道もないため、地元の人でも知っている人はほとんどいません。馬の生産をしていた渡来人のものでしょう。大室古墳群のものと似ています。中はイノシシのヌタ場。直径1.5m位のわりと小型のもの。周囲には泥をこすりつけた木があります。乾いた森を抜けて次のポイントへ(右)。案内する私は、どこを歩いているか全部分かっていますが、おそらく皆は、全く分かっていないでしょう。

 森はこんな感じで、この辺りは山道もありません。林道もずっと離れたところにあります。林下は意外と暗いので、こういうところで迷ったらパニックになるでしょう。イノシシやニホンカモシカに出遭うこともあります。先日、友人に象山でイノシシのオスに追いかけられて、竹藪に逃げ込んで助かったという話を聞いたばかりです。晩秋、初冬と早春には月輪熊が出ることも。私は拙書にも書いていますが、鏡台山で三回ほど熊に遭遇しています。その内、山頂での出来事は本にも書いていますが、緊迫したものでした。この山域の主な樹種は、高木がコナラ、ヤマザクラ、オニグルミ、エンジュ、落葉松、赤松など。低木は、ガマズミ、クサギ、ヤマコウバシ、ヤマツツジ、コムラサキなどです。湿った林床には、イノデやヤブソテツも群生。猛毒のヤマトリカブトの群生地もあります。

 陽があまり差し込まない薄暗い深い谷へ。ひとりではあまり来たくないところかも知れません。オニグルミの大木に、ミツバアケビやヤマフジのつるが絡みついています。そんなある場所で、ムラサキシメジをゲット。撮影のためにどかしましたが、本当は枯れ葉でほとんど見えていませんでした。いわゆるキノコ目がないと、枯れ葉に覆われたキノコは、普通の人には見えません。この尾根の反対側は、ネオニコチノイド系農薬の空中散布をするため、山菜もキノコも一切食べられません。昆虫もいません。死の山です。

 森を抜けて「菱形基線測点」のある陣馬平へ(左)。NO.16 基本 建設省国土地理院と記されています。地球の歪み計測した名残り。茶臼山にあるものの場所が不明なのですが、だいたい目星がついたので、落葉期に探しに行こうと思います。シナノガキ(信濃柿)(中)。渋柿なんですが、この様な色になると渋味が抜けて甘くなります。木になったまま干し柿になるのですが、落果したものはタヌキがよく食べに来ます。青い柿を水に浸けておくと柿渋ができます。昼近くになって、やっと日差しが暖かくなってきました。約3時間かけて、いくつものポイントを回って、やっと4キロ弱のムキタケが採れました。
  ムキタケ、クリタケ、ムラサキシメジともに腐生性キノコで、セシウムを10倍溜めるという菌根性ではありませんが、念のためたっぷりの塩水に浸けた後、流水でよく洗ってから、茹でこぼしましょう。塩水に浸けるのは虫を追い出すためですが、セシウムと結合するので除染効果もあるようです。また、酢やクエン酸を加えるとより効果があるそうです。(ベラルーシのベルラド放射能安全研究所)

 まだまだ、緑が目立ちます。落葉松の黄葉も始まったばかり。皆シナノガキの味見をしています。毒草や薬草の研究をしているK医師は、わざわざ渋柿を食べて味見をしていました。かなり渋いです。家の柿酢も白いコロニーができはじめました。今年もいい柿酢ができそうです。

 昼餉の準備。今回はイタリアンということで、N氏はアクアパッツァを準備。キノコ狩りには不参加だったK氏が自家製の小麦で作った手打ちパスタを持参。S氏は地粉でくるみパンを焼いてきました。私は、ニシンのアヒージョ(オリーブ油煮)を。イチジクの焼酎漬けも。K医師にはブルーチーズ系を幾つか持ってきてもらいました。T氏には鶏肉を。これは我々が栽培している椎茸とソテーして、S氏が作ってきたトマトソースと合わせてパスタソースに。

 出来上がりを見るとアクアパッツァというよりカチュッコですね(左)。パンを浸して食べても旨い。いい出汁が出ています。真ん中は私が持ってきたムラサキシメジをパスタに絡めて。オリーブ油で炒めましたが、これはバターの方が合いますね。生クリームを少し入れると良かったかも。右は前記の鶏肉入りトマトソースにゴルゴンゾーラを少し加えて。なかなかのボリュームです。くるみパンにゴルゴンゾーラ・チーズと私が持参したブラックオリーブのペーストとニシンのアヒージョ、またはイチジクを挟んだサンドウィッチも馬鹿旨でした。今回はちょっとやり過ぎたようです。次回はキノコうどんとダッチオーブンの予定。作業は登山道や林道の伐倒処理があるかもしれません。

 妻女山松代招魂社の桜の葉も随分と落ちました(左)。この日は、10台以上観光客の車が訪れていました。大河ドラマ『真田丸』で、また増えるでしょう。鞍骨城跡へ向かったハイカーもいました。以前、天城山(てしろやま)付近で迷ったそうです。拙書の地図を見せて説明しましたが、天城山は尾根が十字に出ているので、標識をよく確認しないと迷い易いのです。地形図が載った私の本とコンパスは必須です(笑)。イラストや略図や立体地図では正確な位置や距離、方向が確認できません。最近、地図を読めないハイカーが増えているそうですが、読図力は養っておくべきです。私の講座では、そういう話もします。
 クサギ(臭木)の青い実も落ち始めています(中)。雨も降っていないのにハナイグチが。信州ではジコボウ(時候坊)といいますが、7本ほど採れました。虫が全く入っていない綺麗なものでした。

 妻女山展望台から、松代方面のパノラマ写真。4枚の写真を繋げてあります。中央左は奇妙山。左手前に重なって尼巌山。いずれも拙書で紹介しています。奇妙山から右へ、堀切山・立石山(立石岳)・保基谷岳と続きます。手前に皆神山。その右手前の尾根が象山。手前に高速の松代SAの塔が見えますが、その左向こうの森が松代城(海津城)です。信州の秋はどんどん深まっていきます。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。サイクリストやトレランの人にも買っていただいています。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応ができかねます。

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中尾山・茶臼山ハイキング2015。蒼天のもと紅葉の里山歩き(妻女山里山通信)

2015-10-27 | アウトドア・ネイチャーフォト
 10月25日(日)の、中尾山・茶臼山のハイキングでインストラクターをしました。前夜に猛烈な風雨があったため当日の天気を心配しましたが、明けてみると快晴でした。しかし、北東の風がかなり強く、思いがけず寒い日となりました。コースは、茶臼山トレッキング愛護会の方々が、倒木や落枝を片付け整備してくれたお陰で、危険な箇所もなく、安全なハイキングが楽しめました。このコースは、拙書でも紹介していますが、標高差が330m、共和の集落を周回しても400m足らずと、初心者向けです。距離は周回で約8キロですが、普段歩き慣れていれば、幼児でも登れます。トレッキング入門には、斎場山や髻山、三峯山、聖山のパノラマホテルコースと共に最適の山です。
 拙書では、今回上りに使った一本松コースと、下りに使った恐竜公園コースの二つに加えて、20分で登れる旗塚コースと、少し長い小松原コースも紹介しています。また、芝池コースは、地図上に破線で紹介しています。

 まず開会式。ゆるキャラの「モモピー」も登場。挨拶とストレッチの後、9時に出発。私は、一本松コースの先頭を歩きました。このコースの参加者は、100名ほどで、三班に別れて出発。
 中と右は、朝日を浴びる裾花凝灰岩の白い崖。白砂青松の趣。今から600-700万年ほど前に海底で起こった大噴火の際に噴き出した火山灰や、岩石などが降り積もってできたもの。なんでも海底噴火でできたものの様です。長石や石英が含まれるため、雨上がりの地面はキラキラと光っていました。黒雲母の粒も含まれるとか。厚さは最大で2000mもあるそうです。葡萄石、または仏頭石と呼ぶ球状体の石も産出。

 今回は、特別にゲートを開けていただいて、堰堤工事に使われた舗装路を登りました。通常はこの道は入れません(左)。新しく完成した堰堤。この下にもうひとつ大きな砂防ダムがあります。舗装路の峠で小休止。ここから細い山道に入ります(右)。赤く染まっているのは、ヤマザクラやヌルデなど。黄色はダンコウバイやコシアブラ。ハウチワカエデなどの紅葉も始まっています。

 一本松まであと半分の山の神を通過(左)。笹ヶ峰と呼ばれる非常に笹の多い尾根が前方に見えます。ここまで約1時間とかなりゆっくりなペースです。さらに約20分で一本松の峠。雪州神社の石祠があります(中)。ここで再び小休止。ほぼ平坦な尾根道を20分弱歩いて善光寺平展望所(右)。

 眼下に松泉閣や老人ホームの豊寿苑、車がたくさん見える出発地点の黒木学園、右上に共和小学校の校庭、奥には北陸新幹線の高架橋が見えます。

 遠くには、雲がかかった四阿山と根子岳が。笠ヶ岳や横手山など志賀高原方面の山々も見えました(左)。そこから約10分登って北アルプス展望所へ(中)。仁科三山や白馬三山が綺麗に見えました(右)。

 左から爺ヶ岳、北側の平家の落人が隠れ住んだという「かくね里」の氷河かもしれない雪渓の調査がされた鹿島槍ヶ岳、武田菱の雪形で有名な五竜岳と仁科三山の雄姿。手前は、山布施の集落。大寒波が来れば、一晩で真っ白になります。

 白馬鑓ヶ岳、杓子岳、白馬岳と白馬三山の雄姿。やはり北なので仁科三山よりも雪が多めです。

 その右手前には、神話の山・虫倉山。神城断層地震で山頂が4割も崩壊してしまいましたが、その痛々しい跡は、茶臼山からもはっきりと見えます。鎖場が楽しいさるすべりコースは、未だ登山禁止のままです。この山も拙書では、その歴史とともに紹介していますが、コースの復旧は叶うのでしょうか。

 茶臼山山頂は、展望がないので小休止の後、茶臼山自然植物園へと下ります(左)。ガマズミが真っ赤な実をたくさん付けていました(中)。この実を焼酎に漬けると、真っ赤な薬酒ができます。抗酸化作用が強く、滋養強壮、老化防止に効きます。砂糖は入れずに、飲む時に蜂蜜を加えます。適度な酸味と甘みがあり、お湯割りにすると最高です。植物園は、来年の植樹祭に向けて大整備中だそうです(右)。階段の両側に、色々な植物が植えられています。

 途中の展望所から薄っすらと白雪をまとった四阿山と根子岳。手前は奇妙山。その左手前に重なるように尼巌山。いずれも拙書で紹介しています。今年は根子岳で、県の天然記念物のミヤマモンキチョウの撮影に成功しました。その手前には、AC長野パルセイロのホームスタジアムが見えます。

 植物園に咲く花にアサギマダラが吸蜜。海を渡る途中でしょうか。翅の透けた部分が浅葱色の、非常に美しい優雅な蝶です。夏の聖山では、この大群が見られました。

 お昼には、きのこ汁が出てのんびりと昼食後、インストラクターの話。私は本の紹介と、そこに記述されている内容などをお話しました。そして歌の時間。係の方々の歌とダンスも。
 川辺書林さんが出張販売をしてくれました(右)。拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』をたくさんお買い求めいただき、本当にありがとうございました。キノコは、ムキタケとムラサキシメジが少し採れたぐらいだった様ですが、けが人もなく遭難者もなく、無事にハイキングを終えることができました。係の皆さんも本当にご苦労様でした。 

★以下は、茶臼山関連の私のリンク集です。
2014年の中尾山・茶臼山トレッキング(茶臼山の名前の由来や歴史の記述があります)
10月26日(日)の中尾山・茶臼山ハイキングの下見に。黄金色の棚田で見つけた信州の秋:ワレモコウ、ノコンギク、アキアカネ
2013年の中尾山・茶臼山トレッキング
2011年の中尾山・茶臼山トレッキング
2010年の中尾山・茶臼山トレッキング
4月、満開の桜とショウジョウバカマの咲く中尾山--茶臼山:トレッキング・フォト・レポート
5月、リンゴの花とマルバアオダモの花が咲く中尾山--茶臼山:トレッキング・フォト・レポート
10月、旗塚から紅葉狩りとキノコ狩りの茶臼山:トレッキング・フォト・レポート
34度! 猛暑の茶臼山で真夏のキノコ狩り
早春の雪景色の茶臼山で地名考
★茶臼山や妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。


2:05のオオカサモチは誤りで、正しくは、トウキです。訂正します。シロヨメナも少し怪しい。ノコンギクの白花の可能性。

 この日の夜は、千曲市で「里山の歴史と自然」について、スライドをお見せしながらの講演会を行いました。地元の方々も知らないような山名や歴史と、豊かな自然。しかし、それが農薬の空中散布で脅かされ、市民に重大な健康被害が出る恐れなども具体的にお話しました。ネオニコチノイド系農薬は、金沢大学や群馬大学の研究で、もはやこれは農薬ではなく農毒というべきもので、即刻使用を中止すべきだと警告しています。欧州の先進国では、すでに製造販売使用が禁止されている国があります。信州の素晴らしい自然環境を守るためには、住民の方の勉強と意識改革が必要です。放射能汚染の問題も無関心でいてはいけません。長野県産の農産物を輸入規制している国もあります。
◉必見!新農薬ネオニコチノイドが脅かすミツバチ・生態系・人間(要保存のPDFファイル)
千曲市森の杏が最盛期、朝採り杏で焼酎漬。松枯れ病が深刻。ネオニコは農薬でなく農毒!(妻女山里山通信)
妻女山山系のゼフィルスが壊滅状態なのは千曲市による農薬の空中散布だと断言するKさん(妻女山里山通信)
松枯れ病の原因は、本当にマツノマダラカミキリのセンチュウだけなのか!?(妻女山里山通信)
松枯れの原因は松くい虫じゃなかった。大気汚染で土壌が強酸性化したことによる(妻女山里山通信)


【要保存】浸透性農薬「ネオニコチノイド系殺虫剤」が生態系と人体に与える影響について
ネオニコチノイド殺虫剤の特徴「神経障害症状(手指の震え、うつろな眼、注意力散漫、うつ病のような症状、
協調運動障害、記憶障害、暴力行動、自殺、心電図の異常)、それから、免疫症状(アレルギー症状の悪化、ヘルペスや他のウィルスに対する抵抗力の低下)など

ネオニコチノイド系農薬は、ラウンドアップだけではない。こんなにも色々な果樹や野菜で使用。あなたも毎日食べている
殺虫剤の一覧と代表的な商品名 :害虫だけに効いて、人間には無害などというのは嘘。日本の残留基準は極めて高い

天敵を利用して、マツノマダラカミキリを駆除しようという研究長野県の例野鳥利用した松くい虫被害の防除。ネオニコ農毒の空中散布だけは、絶対に止めさせなければならない。これはあなたの近くの里山でも行われているかもしれない。あなたが使っているかもしれない殺虫剤やペットのノミ取りにも使われている。決して無縁のものではない。チェックを!

林野庁の、森林の放射能汚染に関するレポート。これは読んでおいた方がいい。杉はセシウムを溜めやすい
 基本的に高汚染された森林の除染は不可能だと分かる。

 中尾山・茶臼山ハイキングの下見の時に出遭った年配の方が、茶臼山自然植物園北の新田からキノコ狩りをしながら登ってきて、途中に石像や石祠がたくさんある不思議な場所があると聞きました。その方は、このハイキングにも参加されたのですが、友人の事務局長に聞くと、あるあるということで、行ってきました。下から登るのではなく、茶臼山山頂から下ってみました。どこかにあるという菱形基線測点も探したいと思ったのですが・・。

 尾根道はこんな感じで非常に快適です。山頂付近で不明瞭になりますが、50mほど下ると明瞭な尾根道が現れます。

下って行くと空堀がありその上に楕円形状の広い台地があります。地形図では671mと書かれた場所です。ここに石像や石祠がたくさん並んでいました。中央には塚があり、その上にも石像が。東側には2段の帯状の削平地があり、これは空堀と合わせて山城の構えだと分かります。この下には篠ノ城跡、茶臼山山頂は茶臼ケ城跡。その中間の城跡ということになります。

 石像や石祠は、見たところ割りと新しいもので、江戸後期と明治初期のものの様な気がします。菱形基線測点は、見つかりませんでした。妻女山奥の陣馬平の標高が530mということを考えると、もっと下の篠ノ城跡辺りにあるのかも知れません。これは次回に探索しましょう。この尾根道は非常に快適でした。整備してハイキングの下りのコースに設定しても面白いと思いました。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。もちろん茶臼山も載っています。

本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。順次アップしていきます。
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色づき始めた鏡台山へ。深まる秋に寂寥感を想うまもなくキノコが大収穫(妻女山里山通信)

2015-10-19 | アウトドア・ネイチャーフォト
 旧埴科郡の中心で、観月の山として有名な姨捨山から見る鏡台山の月は、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』にも描かれています。この場合の姨捨山は冠着山のことではなく、姥岩と棚田のある長楽寺付近から描かれたものです。近くにはJR篠ノ井線の姨捨駅と長野自動車道の姨捨SAがあります。「雪降りしきる冬の姨捨駅と長楽寺」。鏡台山と冠着山(姨捨山)も拙書ではコースをたくさん紹介しています。冠着山(1252.2m)の方が、飯山方面からの北風が直接吹き付けるため、鏡台山(1269.1m)よりも冬の訪れが若干早めです。

 今回は林道芝平樽滝線の三滝沢上部から出発(左)標高850m。更埴ジャンクションの辺りが見えています。西山はまだ雲の中。色づき始めた林道から登山道へ(中)。森の中からキノコ狩りの鈴の音が聞こえてきましたが、雨が降っていないのでこの標高ではほとんど出ていないでしょう。登山道脇にも毒キノコさえありません。再び林道に出て、林道終点へ。この辺りで標高1120mぐらい(右)。この辺だと朝晩霧に覆われるので、ポツポツキノコも見られます。ここから道を外れ、正面の暗い植林帯に突入します。熊の生息地のまっただ中なので警戒しながら。

 クリタケとトキイロラッパタケを発見(左)。トキイロラッパタケは、バターの香りで、乾燥するとチーズの香りといわれますが、今年その美味しさに初めて魅了されました。このクリタケは間違いありませんが、今回猛毒のニガクリタケに見えるクリタケがたくさんありました。その都度噛んで確認。嫌な苦味のあるニガクリタケも中にはありました。うっかり間違えたでは済まない死亡例もある毒キノコです。
 赤松の倒木に生えた多孔菌類の一種(中)。針葉樹なのでツガサルノコシカケの幼菌でしょうか。ゼリー状の水滴が美しく、まるで宝石の様でした。笹ヤブに見つけたキノコ(右)。おそらく食菌のカヤタケだと思うのですが、ドクササコだったら大変です。手足の先や性器が赤く腫れ、激痛が1ヶ月以上続くという恐ろしいキノコ。薬はありません。結局採りませんでした。今回はキノコ狩りはついでで、珍しいキノコの撮影に来たのですが、なかなか出合えません。

 標識のある正規の登山道の一本上の作業道を進みます(左)。途中の檜林で、チャナメツムタケとクリタケをたくさん採取しました。ヤナギ科のヤマナラシの黄葉(中)。ヤマナラシはその樹皮の模様が特徴的で、すぐに見分けがつきます(右)。

 笹薮を抜け、正規の登山道に出て北峰へ登ります(左)。ハウチワカエデや大きなホウノキの葉も染まっています。北峰にあるシラカバ(中)。落葉松の黄葉も始まりチリチリと落葉しています。大正時代に旧埴科郡下の小学校高学年が集まってキャンプと運動会をした記述の看板(右)。

 北峰から鞍部へ下り、笹の道を南峰へ向かいます(左)。10分足らずで鏡台山山頂(中)。ズミの熟した真っ赤な実が鈴生り(右)。山頂には一足早くトレランで有明山から来た男性が。これから鞍骨山経由で斎場山、薬師山へ走るというので、ちょうど持っていた拙書の地図を見せました。安曇野在住で、このコースは初めてらしいので、スマホで撮影させてくださいと。これで迷わないでしょう。本を買ってくださいねと言って、お仲間にもとパンフをたくさん渡しました。この本は、トレランの人やサイクリストなども使える様に、ループコースやロングコース、林道の紹介もしています。五一山脈と鏡台山と斎場山の地図をつなげると、約20キロのトレランコースが設定できます。健脚には、米子大瀑布からの四阿山カルデラ周回コースをお勧めします。

 彼が走り去った後、昼食をしてから撮影。以前、ここで昼食中に熊に遭遇したので、鈴が鳴らない昼食中は時々ホイッスルを鳴らします。左に冠着山(姨捨山)。右に聖山。山頂はもう少し右。冠着山の右奥には、京ヶ倉と大城のシルエットが見えます。そしてその奥には北アルプスのスカイライン。槍ヶ岳の尖った穂先がはっきりと見えました。

 上のカットの右手。アンテナのあるのが聖山。その右奥に続く峰には、気象庁の丸いアンテナのあるタララ山も。手前に霞んでいるのは、姨捨辺り。
鏡台山からの北アルプス山座同定は、こちらをご覧ください。鏡台山から富士山が見えると看板があるのですが、私も2度かすかに見ただけです。その貴重なカット。Mt.FUJIの矢印の下を見てください。微かに富士山のシルエットが!

 帰路で撮影したカメバヒキオコシの残花(左)。赤紫は花ではなく、青い花が散った後の萼片です。モミジガサの残花(中)。この他には、猛毒のヤマトリカブトも。黄葉が逆光に映えるサワグルミ。

 車に戻り、林道芝平樽滝線を沢山方面へ。まず縄文の名水を汲み、沢山峠方面へ。女陰の滝に寄りました(左)。「この滝の名称は女性の神秘をただよわせていることから生まれた」とあり、滝に打たれ身を清めると恋人が現れ結ばれる「ロマンの滝」だそうです。ちょっと滝行するには、肌寒い季節です。夏にしましょう。沢山峠手前から、さっきまでいた鏡台山山頂(中)。沢山峠から和平高原へ。黒柏木(くろかしゃぎ)登山口を目指しますが、広い舗装路が突然この様なススキの畑道に(右)。信州ではよくあることです。

 そこから振り返って拙書にも載せている蓼科山(左)。左の八ヶ岳連峰の左裾に見えているのは富士山でしょうか。蓼科山の手前は、これも拙書で取り上げている上田市の虚空蔵山。里山ですが、大変厳しい山です。しかし、歴史の詰まった面白い山でもあります。

 沢山峠へ戻り、あんずの里森の観龍寺へ。里の紅葉は、まだです。杏の木もまだ青々としています。足元にはマルバルコウソウの群生。拙書では、同じ位置からのあんずの花が満開のカットを載せています。見比べると面白いです。観龍寺は、山陰にあったため信玄の兵火に焼かれずに残ったという古刹です。

 マルバルコウソウは、熱帯アメリカ原産で、江戸時代、観賞用として持ち込まれ野生化したヒルガオ科のツル性植物なんですが、意外なところに群生地があります(左)。拙書では、松代の奇妙山で紹介しています。今回の収穫(右)。チャナメツムタケ、クリタケなど、大袋いっぱい採れました。どちらも放射性物質に汚染されやすいので、除染を念入りにします。濃い目の塩湯に浸けて一晩。その後茹でこぼして洗い、小分けして冷凍します。もちろん高汚染地のものは食べるべきではありません。県のホームページに野生キノコの汚染状況が出ているので確認してください。

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。その山の名前の由来や歴史をまず書いているので、歴史マニアにもお勧めします。
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姨捨からの観月の名山鏡台山へ。クリタケとニガクリタケの見分け方(妻女山里山通信)

2015-10-08 | アウトドア・ネイチャーフォト
 姨捨から見た浮世絵、安藤(歌川)広重が江戸時代後期に描いた『信濃 更科田毎月 鏡台山』の鏡台山(1269m)へ。キノコの様子を見に千曲市倉科の奥から林道芝平樽滝線へ。今回は登山が目的ではないので、三滝からではなく百瀬の下の林道出合いから登りました。途中、何台ものキノコ狩りと思われる車を見ましたが、日曜の聖山の山行で、ここのところ雨が降っていないので、雲や霧に覆われる標高1000m以上でないと出ていないだろうとの判断です。

 三滝沢上部の林道出合いのカーブに駐車して出発。遠く西山地域と右奥に虫倉山が霞んでいます。標高900mぐらいは地面も乾いていて毒キノコさえでていません。今年はドングリやヤマグリが豊作で、月輪熊は麓に下りずにいそうです。その分山中で出会う確率も増すので熊鈴とホイッスルは必携です。
 林下に咲くノコンギク(中)。ヤマトリカブトの残花(右)。他にはアサマヒゴダイなども。

 百瀬の県有林沿いに登り、最初の林道出合いから落葉松林を急登。ハナイグチは全く見られませんでした。さらに林道出合で広い林道歩きから、標識に従ってサワグルミのある山道へ。このサワグルミは、三滝沢のほぼ最上部の舟ケ入というところにあります(左:地図参照)。三本のサワグルミの伸びやかな枝ぶり(中)。その後ヒノキ林の道を登っていく途中で見つけたキノコ。色々調べたのですが同定できていません。なんでしょう。

 標高1200mを超えた辺りからキノコが散見されるようになりました。まずクリタケ。次もクリタケ。これは傘が開いていました。そして死亡例もある猛毒のニガクリタケ。かなり黄色いとすぐに分かるのですが、こんな色合いだと迷います。時には黄色っぽいクリタケもあるので厄介です。
 しかし、簡単で確実な見分け方があります。それは、傘を軽く噛んでみることです。クリタケは特に味がなく、ニガクリタケは吐き出さずにはいられないほどの嫌な苦味があります。すぐに吐き出せば大丈夫。念の為に口をゆすいでもいいですが。

 標高1267mの鏡台山北峰。広い台地で、大正時代にはここで旧埴科郡下の小学校高学年の児童がキャンプして運動会をやったということが書かれています(中)。熊を追い払うために鐘を鳴らしました。ここから南峰(1269.1m)までは、10分ぐらい。南峰山頂にはズミの赤い実が鈴生りでした。

 山頂から西の眺め。以前より樹木が育って眼下が見えにくくなりました。日曜日に仲間と登った聖山が見えます。この日はいい天候だったようですが、先日は山頂だけ厚い雲に覆われ、激寒でした。聖山、三峯山、風越山とも拙書には載せています。両山とも展望がよくファミリー向けのいい里山です。風越山の左手には冠着山(姨捨山)があります。右下の姨捨は姨岩のある名月の里信濃三十三番札所第14番、姨捨山長楽寺と篠ノ井線の姨捨駅、長野自動車道の姨捨SAがあります。

 山頂でクリタケの炊き込みご飯のおにぎりを食べて出発。北峰へ。写真では笹に埋もれて道が見えませんが、はっきりと道筋は分かります。だれがどう見てもこれはニガクリタケ(中)。これはちょっと迷うでしょう(右)。噛んでみることです。

 往路と同じでは面白く無いので、三滝山へ寄ることにしました。しかし、登山道はありません。笹ヤブを突っ切って行きます(左)。ツタウルシの綺麗な紅葉(中)。しかし、ウルシの中では最も毒性が強く触ると危険です。落ちている枯れ葉も綺麗だからといって拾ったら酷くかぶれます。この辺りが三滝山山頂だと思うのですが・・(右)。ここからは、左の山道に下りるルート、右の旧山道を下りて左へ行くルート、稜線をそのまま北へ植林地を下りるルートがありますが、いずれも山道らしき体はなしておらず、ただの笹薮にしか見えません。知らない人が迷い込んだら、間違いなく遭難するでしょう。今回は右へ(下の地図参照。青い線が今回のルート)。ところが旧道は完全に笹に埋もれ完全に見失いました。やがて笹は胸の高さにまで。熊の生息地のまっただ中で立ち往生。藪山に慣れていない人がこんなところで迷ったらパニックになること必至。足元は見えず、隠れて倒木が散乱していて非常に危険です。

 さすがにこれはまずいと左手に見えるヒノキの植林地へ(左)。するとなんということでしょう。幸運なことにチャナメツムタケの群生を見つけました(中)。地元では地ナメコ、または地なめと呼ばれるぬめりが強く美味しいキノコです。30本ぐらい採れたでしょうか。地形は頭に入っているので、さらに進んで稜線に乗り下ると、林道終点の広場に出ました(右)。この手前の藪の中でもクリタケの株を発見。チャナメツムタケとクリタケは放射能汚染され易いので、高汚染地のものは食べるべきではありません。また、高汚染地でなくても数時間濃い塩水に浸けて、一度茹でこぼして除染することです。これで7~9割は除染できます。それでも食後に口内炎ができたり下痢をした場合は、放射能汚染と考えるべきです。

 戻る途中のコムラサキ(左)。ムラサキシキブより実は小粒ですが鈴生りになります。タケニグサの実(中)。振るとカラカラ音がします。中空の茎中には黄色い毒液があり、除虫効果があります。リュウノウギクで吸蜜するヒラタアブの仲間。眼が赤いのが特徴的。鏡台山は農薬の空中散布がないので、ハナアブがたくさん見られます。同じ千曲市でも土口、生萱、倉科の山とは大違い。

 出発点へ戻りました。黄色く実った水田では、あちこちで稲刈りが行われています(左)。樽滝の崖に咲くリュウノウギク(竜脳菊)(中)。天然の竜脳は熱帯アジアに分布するフタバガキ科の常緑高木、リュウノウジュの樹脂を加工したもので、樟脳のような芳香があるらしいのですが、この花の竜脳菊はそれほど強い香りでもありません。花ではなく葉をもむと香るようです。
 ヤクシソウ(薬師草)。花後に細くなって下を向くので他の花と区別できると思います(右)。鏡台山では、尾根の南の林道で群生地を見かけます。

 帰りに拙書の扉の写真にも使っている三滝の最上部の三の滝へ寄りました。紅葉は10月下旬から11月上旬にかけてで、まだ先です。滝を見学に男性が一人来ていました。滝マニアの人も結構いますね。拙書でも米子大瀑布ほか滝も紹介しているので本の話をしたら、興味を持っていただいて、帰りにパンフをお渡ししました。本でも紹介していますが、この三滝は条件さえ揃えば、見事な氷爆が見られます。この冬はどうでしょうか。

国土地理院25000分の一地形図使用 拙書『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林の国土地理院承認の地図より一部抜粋加工

『信州の里山トレッキング 東北信編』川辺書林(税込1728円)が好評発売中です。詳細は、『信州の里山トレッキング 東北信編』は、こんな楽しい本です(妻女山里山通信)をご覧ください。Amazonでも買えます。でも、できれば地元の書店さんを元気にして欲しいです。パノラマ写真、マクロ写真など668点の豊富な写真と自然、歴史、雑学がテンコ盛り。分かりやすいと評判のガイドマップも自作です。驚愕と発見の面白いコラムも10本掲載。信濃毎日新聞や新潮社のSINRAの書評欄でも高い評価をいただきました。
 本の概要は、こちらの記事を御覧ください
お問い合せや、仕事やインタビューなどのご依頼は、コメント欄ではなく、左のブックマークのお問い合わせからメールでお願い致します。コメント欄は頻繁にチェックしていないため、迅速な対応は不可能です。

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■『国分寺・国立70Sグラフィティ』村上春樹さんの国分寺「ピーター・キャット」の想い出。はてなブログに移動しました。
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信州の里山は萌黄色から初夏の濃い緑へ。山椒味噌と伽羅蕗を作りました(妻女山里山通信)

2015-05-10 | アウトドア・ネイチャーフォト
 夏日の声を聞くと山桜もズミも咲き終わり、貝母とカタクリも消え始めました。忙しいので、早朝に朝食もそこそこで妻女山奥へ向かいました。山椒の若葉とフキを採るためです。採集は1時間少しで終了。慌ただしく帰って料理をしました。午後の善光寺平は、8mを越える北東または東風(こち)で、畑にはまだほとんど作物がないため、猛烈な砂嵐が吹き荒れました。こういう日は、倒木や落枝が多く、里山を歩くのは危険です。午前中は見えた北アルプスも、午後は雲に隠れてしまいました。

 妻女山展望台からの北アルプス。左から蓮華岳、針ノ木岳が少し見えて、右へ爺ヶ岳、その右が鹿島槍ヶ岳。猫耳の様な双耳峰がそれです。右へ武田菱の雪形が現れる五竜岳。写真には写っていませんが、更に右へ目をやると白馬三山が見えます。
 千曲川河川敷の柳やハリエンジュも色濃くなってきました。芽吹きの頃は、樹種により若葉の色が異なるので、遠目でもだいたいの樹種が分かるのですが、濃くなると判別が難しくなります。北陸新幹線の白い高架橋が目立ちます。

 妻女山への道沿いには、シナノタンポポが咲いています。背丈が高く、私が見つけたものでは80センチというものがありました。花も大きめで総苞が太く、セイヨウタンポポや交雑種の様に反り返っていないのが特徴です。しかし、この辺りでも交雑種が増えました。その右はクサノオウ。上杉謙信槍尻ノ泉の上に群生地があります。結構花期が長いので、楽しめるのですが、毒草です。一番右は、一輪だけ咲いていたイカリソウ。他は全て咲き終わっていました。イカリソウの根は、淫羊霍根(いんようかくこん)といい、強壮、強精の薬効があります。

 マルバアオダモの花が満開です。先日登った高社山でも中腹に咲いていました。妻女山には大木はないのですが、向かいの茶臼山にはかなり大きな木があり、大きな花穂が咲き誇っています。
 真ん中はガマズミの花。万歳をしている様な雄しべが可愛い花です。ガマズミは樹高が2.5m位で葉が大きめですが、林下のコバノガマズミは、樹高も1m以下で葉も花も小さめです。秋になる酸味の強い赤い実は、果実酒になり、抗酸化作用があります。
 ヤマフジもいつの間にか咲き終わっていました。これはほとんど日の当たらない日陰に咲いていたものです。ヤマフジは山菜で、新芽や若葉、花は天ぷらで食べられます。また、実は炒って食べられます。やや青臭いものの甘い甘い珍味です。また、今頃は一日で8センチも伸びるのです。太くなると50センチにもなり、大木を絞め殺してしまいます。

 陣場平の奥では、林下のあちこちでヤマツツジが満開です。子供の頃は、花を摘んでおしりの蜜を吸ったものです。一番右はレンゲツツジ。これは自生のものではなく、今は亡きKさんのログハウスに植えられたもの。この花は毒性が強いので、蜜は吸えません。誤って子供が吸ったりすると危険なので、庭木には向いていません。ログハウスには、琉球白ツツジも植えられているのですが、万葉集に確かそんな歌があったなと思い、帰って調べました。
「風早の 美保の浦廻の 白つつじ 見れどもさぶし なき人思へば」河辺宮人
(風が強い美保の浦には、白つつじが美しく咲いているが、亡き人のことを想えば、寂しく思うだけだ)

 氷河期の生き残りのウスバシロチョウも舞い始めましたが、この時期は、まだ吸蜜するハルジオンなどが咲いておらず止まらないため、撮影できませんでした。

 左は山椒の若葉です。これを摘みます。枝にトゲがあるのでゴム手袋が必須。これをたくさん集めるのは結構大変です。一本の木から採らずに、群生している何十本もの木から少しずつ採っていきます。これで山椒味噌を作り、ご飯のおかずや酒の肴、焼きおにぎりにしたり、焼き魚に塗ります。特に鮎の塩焼きには合います。山のものなので猪や鹿の焼き肉にも合います。レシピはこちらです
 ヤマフキは、はさみで根の近くから切り、何本かまとめて葉を切り落とします。フキの向こうは咲き終わった貝母(アミガサユリ)。種ができています。右は作った伽羅蕗。まず塩水で柔らかくなるまで煮て茹でこぼします。ニガリか重曹を少し入れてもいいでしょう。アクも抜けますが、もしわずかでも放射能汚染されていたら、除染になります。新鮮なヤマフキは柔らかく、里フキの様に皮をむく必要がありません。その後、出汁、干し椎茸、昆布、黒糖、酒、味醂を入れて煮含めます。添加物は入っていませんし、市販のものより薄味です。毒性の強い砂糖は使いません。日本料理は砂糖を使うようになって堕落しました。フキは畑に植えている人もいますが、味はヤマフキの方が格段に上です。

 Kさんのログハウスからの北アルプスと千曲川。周りではウグイスやシジュウカラが盛んに鳴いています。もうじきサンコウチョウの鳴き声も聞けるかも知れません。農薬の空中散布のせいで、シジミチョウが全く見られなくなりました。ハナアブも見ません。一見、昔と変わらない様に見える、この長閑で美しい風景も、農薬や放射能で確実に汚染されているのです。小さな命が消えていけば、いずれ人間にもその影響は必ず出ます。
詳しくは、下の記事をお読みください。
松枯れ病の原因は、本当にマツノマダラカミキリのセンチュウだけなのか!?
千曲市森の杏が最盛期、朝採り杏で焼酎漬。松枯れ病が深刻。ネオニコは農薬でなく農毒!
松枯れの原因は松くい虫じゃなかった。大気汚染で土壌が強酸性化したことによる

 台風6号は、あっという間に過ぎ去りました。大きな被害がなくて良かったと思います。うちのお隣さんと、そのまた向こうのお隣さんは、いずれも家の前に畑があるのですが、農薬や除草剤は使っていないのでしょう。なんとノスリが野ねずみや蛙、蛇の子供などを捕まえに来るのです。特に嵐の後などに来るような気がします。ただ、鷹の仲間なので非常に目がよく、レンズを向けると逃げてしまいます。
 以前、庭に出たら留まっていたので慌ててカメラを取りに行き、隣のブロック塀の陰から撮影しようとしたのですが、裏のおばさんに「なにやってんの?」と話しかけられ、逃げられたこともありました。まあ、どう見ても怪しいですもんね。ノスリと言ったら、え!スリ?なんて言われるし。
 そこで二階の窓にカメラをセットして、カーテンでカモフラージュ。一階の仕事場のカーテンを開けてたまに空を見ます。ノスリが旋回し始めると二階に上がって待つのですが、別の場所に下りてしまうことが多いのです。ニホンカモシカの様に、だいたい毎日同じ所を歩く様な習性はないのです。目がいいですから、上空からでも小さな野ねずみが見えるのでしょう。しかし、鳥の撮影は難しい。まあ、鳥を撮る様な良いレンズを持っていないというのもありますが、何よりシャッターチャンスが来ないのではどうにもなりません。

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久しぶりに妻女山山系を歩いて出会った冬の宝物達(妻女山里山通信)

2014-12-13 | アウトドア・ネイチャーフォト
 晴れていると忙しく、明日は行けるかなと思うと氷雨だったりと、妻女山ともご無沙汰でしたが、やっと撮影に行けました。紅葉やキノコ狩りの季節も終わり、山は積雪期を前に閑寂としています。生憎の曇り空で、北の山では雪模様になっているのが見て取れました。

 まず、妻女山里山デザイン・プロジェクトの仲間とやっているシイタケ栽培の場所へ。前回まだ小さかったので残してきたものを確認に行きました。育っていましたねえ。雨が多かったので、傘が割れたドンコにはなっていませんが、肉厚でいいシイタケです。6本ほど収穫。加えて10本ほどが出始めています。
 林道を登って行くと、まだ緑が多いことに驚かされます。リョウメンシダとヤブソテツは、冬のニホンカモシカの食料にもなります。カンスゲは、食痕を見たことはありません。シイタケは、噛った痕を見たことがありますが、積極的に食べることはなさそうです。色々なものを食べるということが、氷河期から生き延びた理由のひとつでしょう。他にはミツバアケビやヤマガシュウの葉の緑が残っています。ミツバアケビの葉もニホンカモシカは食べます。ロゼット(根生葉)も沢山出ていますが、これらは、雪の下で越冬して春を待ちます。

 5番目のカーブの先で、落葉松の風倒木を発見。軽トラックは通れそうですが、いずれ片付けなければいけません。ところが、撮影を終えて帰りに見ると、誰かがチェーンソーで落としてくれていました。森林組合の人が伐採作業をしていたので、切ってくれたのでしょうか。感謝です。助かりました。
 長坂峠へ行くと北風が吹き付けて凍えました。分岐を右へ行くとすぐに斎場山(旧妻女山)。第四次川中島合戦の時に、上杉謙信が最初に本陣を置いたと伝わる場所で、山頂は円墳です。分岐を左へ行くと信玄が海津城に全軍を入れた後、謙信が陣城を建て本陣を置いたと伝わる陣場平を経て天城山(てしろやま)。この山頂にも円墳があります。

 仙人草が咲いていたギャップを訪れると、種になっていました。それでも花の面影が残ります。満開時には、ブライダルブーケの様な清楚さと華やかさを誇り、野草の中では、一二を争うほどのいい香りを振り撒きます。目にも鮮やかなカラコギカエデの落ち葉が、林道の真ん中にありました。
 長坂峠から250mほど林道を歩くと陣場平入り口。ちょうど写真の正面の切岸の上が陣場平になります。写真矢印の踏跡を50mほど登ると陣場平。『甲陽軍鑑』の編者・小幡景憲の絵図には、ここに七棟の陣小屋が建てられたことが描かれています。昔は灌木やバラが生い茂り、とても入れなかったのですが、私が2年ほどかけて除伐し、現在は春に編笠百合が咲く桃源郷に変わり、オオムラサキや小鳥も来るようになりました。

 冬枯れで、松代城方面も見えるようになりました。信濃柿(豆柿)が木になったまま干し柿になっています。これらは鳥の餌や、落果すると狸などの餌になります。クスサンという蛾の繭、スカシダワラがありました。幼虫は白髪太郎といって、昔は5mもある長い腸をとりだして、釣りのテグス(天蚕糸)として使ったそうです。成虫は翅を広げると10センチ近くもありますが、口が退化してありません。そのため8-9月に出現するとなにも食べずに過ごし、交尾出産するとすぐに死んでしまいます。
 山桜に上から下までびっしりと 多孔菌科のハカワラタケが付いていました。広葉樹の枯れ木に発生する木材腐朽菌(木材に含まれる難分解性のリグニン、セルロース、ヘミセルロースを分解する能力を持つもの。ダイオキシンもまた分解する事から利用が進められている。wiki)森の掃除屋さんですね。

 陣場平を抜けると、タラノキの冬芽に出会いました。今年はクスサンの繭が少なめです。鮮やかな緑が、冬枯れの森で非常によく目立つので、例年ならちょっと歩いて20や30は見つかるのですが。今回は、たった3つでした。これを沢山集めて布を織る男性を知っています。清野古墳への山の斜面で美しい苔を見つけました。苔の同定も難しいです。スギゴケ科であることは間違いだろうと思うのですが、種類までは分かりません。ウマスギゴケでしょうか?

 天城山(手城山:てしろやま)手前の痩せ尾根まで来ました。ここから尾根通しで戻ります。鞍骨城跡が見えます。ここから1時間ぐらいです。山城マニアがよく訪れるようになりました。以前ろうあ者の若い夫婦が5歳ぐらいの男の子と登って下りてきたので、自分で登ったの?偉いね、凄いねと言ったら、ニコニコしてペコちゃんキャラメルをくれました。
 清野古墳は二基、ヤセ尾根上にあります。清野古墳1は、隣にもうひとつ石室があると生前の父に聞いたことがあります。夫婦でしょうか。清野古墳2は、かなり崩壊が進んでいます。ここを30mほど下ると、登山道に出ます。

 山桜の倒木のある森の中へ。なんとムキタケがまだありました。前回ヒラタケを1.5キロ採った倒木にもヒラタケがひとつ。どちらも今回は採りませんでした。胞子を撒き散らしてもらいましょう。その後、昨年急逝した山仲間のKさんのログハウスへ。現在は、身内の方が管理されていますが、彼が毎日のように来ていた頃と違い、ひと気が少なくなったので、猪など野生動物の痕跡があちこちに見られるようになりました。ログハウスでお茶を飲んで一休み。

 帰りに斎場山(旧妻女山)へ。二段の墳丘裾がある北信でも最大級の円墳です。山頂は円形で、ここに上杉謙信が盾を敷き、陣幕で囲い、床几を据えて猿楽に興じた、或いは謡を唄ったともいわれています。冬枯れと獣害対策の除伐で、川中島が見えるようになりました。ここから西へ、旗塚とも呼ばれる塚が七基並んでいます。古墳時代後の県司、郡司の墓ではないでしょうか。その脇の森の中に、落葉松の倒木の穴を掘り広げた猪のヌタ場(泥浴び場)があります。ヌタ場としては、例外的に大きなものです。一昨年、この近くで140キロの巨大なオス猪が罠にかかったことがあります。やつが掘ったのでしょう。満月の蒸し暑い夜に、星を見上げながらこの水風呂に浸かったのでしょうか。今回、残念だったのは野生動物と出会えなかったことです。積雪期になれば、アニマルトラッキングができるので待ちましょう。

 その先に、御陵願平と呼ばれる平地があります。よく見ると大きく二段に分かれていて、私はここが上杉謙信が庇護していたために、武田信玄により焼かれてしまったという会津比売神社があった場所ではと推察しています。会津比売命は、諏訪大社の祭神建御名方神(タケミナカタノカミ)の孫で(つまり大国主の命のひ孫で出雲系)、森将軍塚の埋葬者といわれる、聖武天皇より科野国の国造を任じられた神武天皇の後裔といわれる武五百建命(タケイオタツノミコト:つまり大和系)の妻といわれています。
関連記事★上杉謙信も庇護した妻女山(斎場山)の祭神、会津比売命について(妻女山里山通信)
 帰路に見つけたアオツヅラフジ。有毒ですが、薬にもなります。コバノガマズミの実は、抗酸化作用が強く、いいリキュールができます。

 樹状に土の塊が。ドロバチの巣ですね。もう壊れかかっていて宿主はいません。天蚕と呼ばれるヤママユガの繭。これも集めると美しい絹織物ができます。
 有毒のヒヨドリジョウゴ。有毒の実は、虫も鳥も食べないことが多いいので、いつまでも残っています。冬の森の宝石と私は呼んでいるのですが、間違っても口にしてはいけません。ただ、微量だと薬にもなります。友人の医師はそういう研究もしているようですが、そこが閾値のない、完全有毒の放射性物質との決定的な違いなのです。

 妻女山展望台から茶臼山の眺め。中央が茶臼山で、左の小さな三角が崩壊した南峰です。左手前の青い屋根の倉庫の右に、農道が2本平行に右上から左下にありますが、この間が千曲川の旧流の跡です。川式(敷)という地名がそれを物語っています。川は、妻女山に突き当たると右へ流れました。眼下の高速道路ができる前は、ここに蛇池という旧流の痕跡を示す池がありました。戦国当時は、この流れだったと思われます。
 写真の右の千曲川河川敷は岩野十二川原といって戦記にも出てくる地名ですが、当時は堤防がなかったので、流れは川敷だけでなくいくつにも分流していたのでしょう。右の方の畑を起目沖といいますが、江戸時代後期の大洪水の戌の満水後の瀬直しで出来上がった(起き上がった)畑なのです。この地方では、畑に行くことを沖へ出ると昔は言ったそうです。尾根の先端には、韮崎とか関崎とかの様に、崎の字が付くのも特徴です。松代の古名、海津は会津比売命から来ているともいわれています。津とは港を指します。千曲川は、千曲市の塩崎で折れると突然流れが非常に緩やかになります。そのため、古代より河川輸送の港が発達したのでしょう。
 眼下の畑は長芋畑ですが、多くは掘り終わっています。長芋はインフルエンザの予防効果があるそうです。とろろや山かけもいいのですが、お好み焼きに入れると上品に、エビや牡蠣やイカのしんじょ、ヒコイワシやアジのさつま揚げになどすると、料亭料理になります。お試しください。

 最後に、会津比売神社に立ち寄りました。現在は山陰にひっそりと佇んでいます。ここが古代科野国の産土神(うぶすながみ)という祭神の終の社かと思うと寥々とした気持ちになります。上杉謙信鞍掛けの松の石碑がありますが、もちろん明治以降のものです。松も先代は枯れてしまい何代目か分かりません。そもそも鞍掛の松の伝説自体が怪しい。まあ、歴史なんてそんなものです。時の権力が都合のいいように捏造するのが、古今東西世の常です。
 さて、北信の冬の味覚といえば、野沢菜漬けですね。今年は野沢菜の生育がよく、甘みも乗ったようです。うちは、荒塩と煮干し(放射能検査済み)と鷹の爪だけしか使いません。それでも年を明けて乳酸発酵し、飴色になった野沢菜は美味いのです。まさに滋味。これのじゃこチャーハン福建炒飯は、息子達が大好きです。カブもおやきにすると絶品です。信州を訪れた時は、ぜひ即席漬けのではなく、少々高くなりますが、添加物のない本漬けの野沢菜漬けをお求めください。雪の深々と降る寒い夜に炬燵にあたりながら野沢菜漬けを食べ、世話に興じるのが信州人のライフスタイルです。信州人が、日本のアイルランド人とかギリシャ人とかいわれる所以です。ただ、くれぐれも「俺に言わせりゃあ。」が口癖の信州人にはお気をつけください(笑)。
妻女山については、「妻女山」「妻女山 行き方」「妻女山 地図」「斎場山」「さいじょざん」「さいじょうざん」や、妻女山の歴史研究のページ「妻女山の位置と名称について」をお読みください。
 今晩から雪なので、選挙の明日の朝は、この風景が真っ白でしょう。

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★茶臼山や妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
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今回の妻女山SDPは、カラコギカエデと悪戦苦闘。癒しの天使がまた(妻女山里山通信)

2014-09-24 | アウトドア・ネイチャーフォト
 今回の妻女山里山・デザイン・プロジェクトは、立枯した樹木の伐採や、以前伐採して枯れるまで放置してあったカラコギカエデの除去、そして除草でした。里山の雑木林というのは、理想的には葉が一層がいいのですが、二層三層となると、地面にはほとんど光が差さず、暗い森になってしまいます。特に、株立したカラコギカエデやダンコウバイは、森を暗くします。加えてヤマフジやミツバアケビが絡みつくと、樹木の葉を覆ってしまい、立ち枯れを引き起こします。そこで、除伐をするのです。
 昔は、木山といって、薪の採取や山の畑のために常に除伐や除草が行われていたので、里山は整備されていました。現在は、人の手が入らず荒れ放題。しかし、リテラシー(読解力)がないと、それも分かりません。整備されることで繁栄してきた生物達もたくさんいるのです。その代表的な例が、国蝶のオオムラサキです。

 株立して複雑に絡み合ったカラコギカエデは、下の枝が枯れ死します。それを伐採して取り除くのですが、生木だと難しいので、2年ほど前に切って枯らしたものを引き抜きました。かなり乾燥しているのでいい薪になります。既に腐朽菌のキノコが繁茂していました。真ん中は、ノイバラやミツバアケビに巻きつかれて枯れ死したズミ。主幹は生きているので、枯れ死した太い枝を切り落とします。右は、二層になった下の部分のカラコギカエデを切り落とし、光を入れます。

 ノイバラの除草をしています。ノイバラも森の縁に繁茂すると高さ3m位になり、幹も太く木質化。森へ入ることができなくなってしまいます。西洋の数々の新種のバラを作り出すためにこの日本のノイバラが使われたそうですが、里山ではなかなかに厄介なしろものなんですよ。シューベルト作曲、ゲーテ作詞で有名な「野バラ」なんですが・・。真ん中は、2本に株立したカラコギカエデの1本を伐採したところです。左から斜めに生えたヤマザクラに掛かり木になりましたが、これは計算済みで、この後ヤマザクラを伐採して両方共倒しました。これで暗かった森に光が入りました。右は、ヤマグワの高木ですが、真ん中に枯れた株があったので、これを伐倒。ヤマグワの実は森の動物や昆虫たちの大切な食料です。林下には、ガマズミなどがあるのですが、これも適度に除伐。ガマズミの赤い実は、果実酒にすると抗酸化作用のあるいいリキュールになります。カラコギカエデは、旺盛に株立するので、年に3回ぐらいは株立を切る必要があります。

 除伐した木は、適当に玉切して積み上げます。伐倒した木にはミツバアケビの実がたくさん成っていました。これはまだ熟れていませんが、紫色に熟しているものもありました。昼のおやつになりました。少し手の込んだ料理ですが、「アケビのブルーチーズ入りミソバーグ」はおすすめです。酢水に浸けてアク抜きの塩梅がポイントです。抜きすぎると味も落ちます。
 2時間ほどで作業は無事に終了。森にも適度に光が差すようになりました。当日の朝の冷え込みのためか、煩いクロメマトイが姿を消したので、作業もイライラすることなく快調に進みました。そこいらじゅうに付くヒッツキムシを除いては。

 そして、昼餉の準備。今回も7月に来てくれたYさん親子を招待しました。今回は、前回来られなかったお兄ちゃんも一緒です。K氏がミツバアケビの中の果肉を口に含んで甘い果汁を吸ったあとで、大量の種をブブブッと吐き出す技を披露してくれましたが、失笑されていました。
 今回は、K氏が作った幻の小麦、伊賀築後オレゴン(通称イガチク)で焼いたパンをS氏やN氏なども焼いて持ってきてくれました。そこへ私が作った手作りベーコンを焼いて、ガーリックトーストに乗せたり、S氏が作ったローストビーブを乗せたりして頂きました。ベーコンやローストビーフは、二人のキッズに大好評でした。タマネギを炒めたり、丸ナスを焼いたり。更には秘密のシロで採ったウスヒラタケ(除染済み)をベーコンとガーリックバター炒めに。これも絶品でした。
 最高気温は25度で、里は暑かったようですが、山は風もあり日陰は涼しいほどでした。そして、食後は私が汲んできた鏡台山の縄文の名水で入れたコーヒー。超軟水なので、非常に柔らかい味のコーヒーになります。

 食べるだけ食べてお腹がいっぱいになったところで、今回の隠し球、ハンモックを吊りました。これは私が南米アマゾンを旅していた時に使っていたものです。これで、小さい頃の息子達も遊びました。適当に吊る木と場所がないので、林道を塞ぐ形で吊ることにしました。ずっと雨もなくキノコも出ていないので、キノコ狩りの車も来ないだろうとの判断です。ハンモックはメチャクチャ気に入ったようです。もっと揺らして!下ろして!乗せて!と大はしゃぎ。オフロードバイクの二人が来ましたが、笑いながら端っこをくぐり抜けてくれました。ありがとう!
 挙句に地面を覗いていた次男のR君が、砂の中に大量の茶色いウジ虫が隠れているのを発見して大騒ぎ。ヨトウガの幼虫、ヨトウムシの一種でしょうか。このハンモックは、後でお母さんも乗っていましたが、大変気に入ったようです。ハンモックを森に吊って読書したり、お昼寝したりって最高の贅沢です。ちなみに森林組合に勤めている長男は、お昼休みにこれをやっているそうです。
 更にオオスズメバチの死体を発見して大騒ぎ。持って帰る持って帰るとわめくので、K氏が針だけ抜いてくれました。周囲には死体が散乱。なにがあったのでしょう。気がかりです。初夏にスズメバチが多いとハイカーに危ないのでハチトラップを仕掛けることもあるので、ハチのサンプルはたくさん持っていますが、千曲市のネオニコ(神経毒)空中散布もあるので、今年は仕掛けませんでした。ミツバチが全滅すると、人類も4年で絶滅するとアインシュタインが言ったとか。愚かです。無知なるが故に、静かに滅亡は迫っているのです。

 そんなこんなで、ゆるゆると午後が過ぎて行きました。妻女山から見た松代の城下町と里山。奥に根子岳と四阿山が見えます。左の奇妙山の右上や、空に見える黒い粒は、アキアカネです。ヤマザクラが色づき始めました。まだミンミンゼミとツクツクボーシが鳴いていますが、夜は家の周りでコウロギが鳴いています。少しずつ少しずつ秋が深まっていく信州です。

★『伊賀筑後オレゴン種(通称イガチク)』は、 三重県伊賀上野市の農林省関西試験場が、筑後平野で作っている小麦と、アメリカ西部のオレゴン州の小麦を交配して作った硬質小麦です。日本の小麦は、軟質小麦。アメリカのオレゴン種はグルテンが多い硬質小麦です。この二つを交配して作られたのが伊賀筑後オレゴン種で、準強力粉です。信州の善光寺平から上田にいたる間の千曲川の沿岸で、大正時代から戦後まで作られた人気の小麦でした。 わが家でも父が昭和30年代半ばまで作っていました。60俵も収穫していたそうですが、イガチクは小麦の粒がこぼれやすく面積あたりの収量も少なかったので、新品種に取って代わられたということです。現在、その懐かしい味を再現しようと、有志の方々が再び作り始めています。わずかに市販もされていますが希少です。これで食べる、埴科更科名物の郷土料理「おしぼりうどん」は絶品です。うどん通垂涎の、幻の小麦です。本当のうどん通ならぜひイガチクを食べてから薀蓄を語ってください。

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◆この度、「信州 山の日」制定に伴い、「信州 山の達人」の募集がありましたが、私がそのひとりに選ばれました。妻女山SDP(里山デザイン・プロジェクト)の活動や、ブログ「モリモリキッズ」や当サイトでの情報発信活動が、「独自性」「継続性」「有効性」「発信力」の観点から優れていると認められ、選考されたということです。今後も、里山保全活動や、里山インタープリター、ネイチャーフォトなどに力を入れていくつもりです。
妻女山SDPの活動記録は、■MORI MORI KIDS Nature Photograph Galleryのインデックスの妻女山SDPか当ブログ「モリモリキッズ」をご覧ください。


必見!◆新農薬ネオニコチノイドが脅かすミツバチ・生態系・人間:JEPA(pdf)ネオニコチノイド系農薬は、松枯れ病だけでなく、水田の除草剤やカメムシの除虫、空き地の除草剤や家庭用殺虫剤に使われていますが、元はベトナム戦争の化学兵器の枯葉剤と同様で(代表的なのがラウンドアップ:グリホサート剤)、脳の発達障害、多動性障害(ADHD)を引き起こす強力な神経毒の『農薬』ではなく、『農毒』です。

★妻女山山系の自然については、【MORI MORI KIDS Nature Photograph Gallery】をご覧ください。キノコ、変形菌(粘菌)、コケ、花、昆虫などのスーパーマクロ写真。滝、巨樹、森の写真、森の動物、特殊な技法で作るパノラマ写真など。蝶の写真はこちらにたくさんあります。

★ネイチャーフォトのスライドショーは、【Youtube-saijouzan】をご覧ください。粘菌やオオムラサキ、ニホンカモシカのスライドショー、トレッキングのスライドショーがご覧頂けます。
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