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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

信州の鎌倉・塩田平探訪。安曽岡山パノラマ展望台・安曽神社・塩野神社・野倉夫婦道祖神・国宝安楽寺三重塔・馬肉うどん・生島足島神社(妻女山里山通信)

2018-05-31 | 歴史・地理・雑学
 信州の鎌倉といわれる上田市塩田平の独鈷山や安曽岡山の麓を巡りました。鎌倉幕府の時代、北条氏が庇護したために神社、寺院、城跡などが盛りだくさん。本当に魅力的なところです。特に戦没画学生慰霊美術館の「無言館」はぜひ訪れて欲しい。二回入館しているので今回は入りませんでしたが、県内外からたくさん訪れていました。

(左)ネットニュースで、上田市塩田平の安曽岡山中腹にパノラマ展望台がリニューアルされたというので行ってみました。標高は約600m。無言館から遊歩道もあります。車では前山寺の右の林道を登り、最初の分岐で左の未舗装の林道を3分ほど走ると展望台です。その先に駐車スペースがあります。(中)展望台から北西の長め。塩田平と子檀嶺岳が見えます。(右)四阿の柱は、生島足島神社の御柱です。

 同じく展望台からの眺め。左に夫神岳。右に台形の子檀嶺岳。こちらは拙書で紹介しています。その難しい山名の由来にも言及しています。夫神岳は、ブログのブログ内検索で記事が読めます。

 展望台に設置されている山座同定の看板。こういうのはいいですね。多くの山に設置して欲しいと思います。

(左)林道を下って安曽神社へ。安曽は阿蘇と繋がります。神武天皇の皇子といわれる神八井耳命(かんやいみみのみこと・かむやいみみのみこと)の孫、あるいは4世孫のひとりが阿蘇から科野に移り、崇神天皇の命により科野國造に任命されたと古事記にあります(森将軍塚古墳に埋葬されていると思われる建五百建命:たけいおたつのみこと)。
 社伝によると貞観年代(860年頃)、国々の諸神及び仏像経巻を収め、後に信濃権守峯嗣が阿曾山舎社をとして再建。寿永年代(1185)に源頼朝が諸国の神社を修復。当地の地頭芳沢民部介光綱が石上布留社の境内に阿曽社を建立し遷座したといいます。観応二年(1351)に兵乱が東国より此の地におよび、芳沢城が落ち、芳沢氏と阿曽社の事蹟は失われてしまいました。(中)随身門:楼門文政7年(1824)建立。入母屋の楼閣造り。(右)左右の二神はかどもり神(かどもりのかみ)と看督神(かどのおさ)で俗に矢大神と左大神ともいわれています。二神の裏側には神馬の像があります。

(左)戦没画学生慰霊美術館「無言館」のオリーブの読書館から見上げる安曽岡山。「無言館」は一度ぜひ訪れてください。平和の大切さが沁み沁みとわかる美術館です。第二展示館「傷ついた画布のドーム」の前庭にあるモニュメントの裏の一文には、『画家は愛するものしか描けない 相手と戦い 相手を憎んでいたら 画家は絵を描けない 一枚の絵を守ることは 「愛」と「平和」を守るということ』と記されています。(中)満開のヤマボウシの花。(右)俯いて咲くエゴノキの花。
「無言館」探訪記。ブログ記事ふたつ。ぜひお読みください

 山王山公園の看板。塩田平の全貌が非常に分かりやすい。上が西なので間違えない様に。インフォメーション・デザインもしましたが、北を上にして設置を南向きにすると、現地の風景と照らし合わせやすく一般の方々も把握しやすいと思います。朝日新聞やキヤノン、凸版印刷や某政党のサイトのアートディレクターやデザインプロデューサーをした私の経験上のアドバイスです。インフォメーションデザインやエンバイロメントグラフィックスは、そういう知識のない一般の人達にも分かる様にデザインすることが大事なのです。

(左)真田昌幸・信之も信仰した塩野神社。珍しい二階建ての楼閣造の拝殿と奥に流造の本殿。祭神は、素盞嗚尊(スサノオノミコト)・少名彦命(スクナヒコナ)・大己貴命(オオナムチノミコト:大国主命)。拝殿は棟札により寛保3年(1743)。本殿は寛延3年(1750)棟札。大工は上田房山の大工棟梁、末野忠兵衛。
 創立年月は不明。当初鎮座の地は独鈷山(1266m)の鷲ケ峰に祀る。現在も奥社が鎮座。白鳳元年4月出雲大社より分霊を勘請。永禄11年(1568)4月武田信玄社領十貫文。天正15年(1587)真田昌幸七貫文を寄附。元文年間(1736-41)塩野の本号に復帰。明治6年44月村社。明治28年9月郷社。明治40年神饌幣帛料供進社。(中)尾垂木には竜の彫刻が施されていますが、この竜が脇障子の上の鉢木を飲み込むという珍しい意匠になっています。(右)神社の右裏手に月見堂の看板が。誘われて登り始めましたが、10曲がりのあるちゃんとした山登りでした(笑)。眺望は抜群です。

 そこから見る拙書でも紹介の子檀嶺岳。「こまゆみだけ」と読みます。ルビがなければとても読めない山名です。拙書では、『日本三代実録』まで遡る山名の由来を説明しています。塩田平は瀬戸内同様に日本で最も降水量の少ない地域なので溜池がたくさんあります。写真は舌喰池。

 女神岳の南を巻いて別所温泉に向かいます。野倉の里から見るこれは富士山(別名:鹿教湯富士)でしょうか。独鈷山を挟んで東には富士嶽山もあります。左奥は美ヶ原。

(左)野倉の夫婦道祖神。衣冠束帯の男神と十二単の女神。夫婦和合、家庭円満、子宝の神として信仰厚く、遠方から訪れる人が多い。と記されています。(中)そこから別所温泉に向かう途中の三島神社の上にある別所氷沢の風穴。蚕種保存に使われたそうです。気温30度の日に内部は5度だとか。いや驚きました。昔の人の知恵は凄い。(右)沢には山菜のアイコ(ミヤマイラクサ)が。信州では無名ですが秋田では山菜の女王といわれます。クセがなく非常に美味しい。

 別所温泉の安楽寺へ参拝。国宝の三重塔を観に行きました。四重塔に見えますが、一番下の屋根は裳階(もこし)です。建立は、鎌倉時代末期の1290年頃。わが国最古の禅宗様式の建築で、中国宋代の先進技術であった唐様(からよう)を用いています。なんとなく和風ではなく中国風に見えるのはそのためです。現存する唯一の八角の塔です。

(左)上へ歩いて石湯。斜め向かいに駐車場があります。入浴料は150円。今回は入りませんでしたが、いい湯です。(中)その向かいにある日野出食堂へ。つるし雛が。(右)名物の馬肉うどん(600円)をいただきました。上田駅前の中村屋、信州新町の旭家食堂とともに私が勝手に三大馬肉うどんと認定させていただきます。

(左)戻る途中に真田昌幸と幸村の鎧のレプリカの展示。ここにもつるし雛。(中)北向観音。(右)未完の塔と呼ばれる前山寺の三重塔。鎌倉幕府滅亡の年に建立されたため未完で終わってしまった様ですが、未完と感じさせないほど美しい塔です。もうひとつ塩田平には国宝の三重塔があります。拙書でも載せていますが、子檀嶺岳麓の国宝大法寺三重塔です。あまりの美しさに振り返られずにはいられないことから「見返りの塔」といわれます。本当に美しい三重塔です。
大法寺三重塔の記事一覧です。私はわが国で一番美しい三重塔だと思っています

 最後は、生島足島神社に参拝しました。大国主命の子で諏訪大社の祭神・健御名方命(たけみなかたのみこと)が諏訪に赴く前に、この地を鎮めたと伝わる神社で、大地の神であり御神体(御霊代)は、内陣にある土間。つまり、大地そのものです。神社は周囲を池に囲まれており、「池心の宮園池(いけこころのみやえんち)」といい、出雲式園池の面影を残す、日本でも最古の形式の一つとされるものだそうです。
 生島足島神社は、日本の臍(へそ)といわれる神社ですから、歴代の帝の崇敬も非常に厚く、醍醐天皇の廷喜の代(901年~922年)には名神大社に列せられています。 その後も北条氏、真田昌幸・信之の戦国武将を始め、代々の上田城主も神領を寄進し、社殿を修築するなど、崇敬を表しています。
 また、神社の一角には回り舞台やせりのある歌舞伎舞台(県宝)があり、そこには武田信玄が必勝を祈った「願文」や忠誠を誓わせた「起請文」などの古文書(レプリカ)が常設展示されています。(入場無料) 。信玄の願文は、パターンが決まっていて上杉謙信を極悪人と称して徹底的に罵倒し、戦に勝たせてくれたらたくさん寄進しますよというもの。
 今回は、ローズクォーツの勾玉(まがたま)のお守りを買いました。塩田平の知名度が全国的にどうなのかは知りませんが、非常に魅力的なところであるのは間違いありません。
生島足島神社 by Wikipedia
 創建は不詳。社伝では、建御名方富命(摂社諏訪神社祭神)が諏訪へ向かっていた時、この地に留まり、生島・足島両神に米粥を煮て献じたという。この伝承から、生島・足島両神は当地の地主神であると見られており、伝承自体は現在も特殊神事の「御籠祭(おこもりさい)」に名残を残している。
 一方『延喜式』神名帳には、宮中の神祇官西院で祀られる神23座のうちにも生島神・足島神の記載がある。このことをもって、科野国造の多氏(並びに同族の金刺氏・他田氏)が国魂として宮中から両神を勧請したという説もある。この中で、金刺氏がのちに諏訪大社下社の大祝を務めたことと、摂社諏方神社の関連性が併せて指摘される。
 なお、生島足島神社の南西方にある泥宮を旧鎮座地にあてる説もある。


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本の概要は、こちらの記事を御覧ください

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