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信州里山通信。自然写真家、郷土史研究家、男の料理、著書『信州の里山トレッキング東北信編』、村上春樹さんのブログも

続 武田別働隊はいずこへ、三滝山と戸神山の謎!(妻女山里山通信)

2009-03-27 | 歴史・地理・雑学
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『埴科郡誌』より31年前の明治12年に倉科村から長野県に提出された資料(『長野県町村誌』)によると。
●三滝山については、下記の通り。(句読点は読みやすく修正)
 --【三瀧山】高四百三間、周囲一里五町、村の辰の三分にあり。山嶺を四分し、東は小県郡傍陽村の山脈に連なり、南は当郡森村鏡台山に接し、北は本郡西條村と山峯を界して御姫山に接す。西は本村大峯まで山脈相続す。渓水九條(下流三瀧川に合す)登路一條、村の本標より山上まで一里十一町五間。--

 戸神山については、『埴科郡誌』で規定した山なので記載はありません。
 前回、「そもそも創作の疑いもある戸神山脈を実際の地理に当てはめようとした『埴科郡誌』自体に問題があるのかもしれません。」と書きましたが、山脈名や山名については、付記で、こう説明しています。

 --付記 本章に於いて鏡台山脈、奇妙山脈、五里ケ峯山脈と云ふものは古来よりこの称ありたるに非ず。戸神山脈亦然り。前者は其の山脈中著名なる高峰の名に因り、後者は甲越戦記に見えて著名なるを以て新たに命名したるものに係る。(中略)此の如く新名称を附したるは、地理文理の説明上及び古史沿革の研究上便利なるが為にして実に止むを得ざるに出づ観者之を諒せよ。--

 便宜上勝手に命名しちゃうけど了解してね。というわけです。写真は前回のものを参照してください。

 『埴科郡誌』では、「戸神山脈は高遠山三瀧山の中間より出でて北に走り」とあるので、戸神山と三瀧山は、別の山ということですね。

 続いて、「戸神山は倉科村に在りては三瀧山の東部とし、西條村に在りては之を森野と呼ぶ貴船の神祠あるのみ。戸神山の称なし。」ということで、西条の字森野の最高地点というのは、1185mになるわけです。しかし、三角の山ではない。森野の頂上といえば、1042mがもうひとつあり、これは海津城から見ると三角に見えるので、これが戸神山かと前回書きました。

 すると、三瀧山は、上の文章では、戸神山の西ということになります。では明治12年の倉科村村誌附図ではどうなのかといいますと、三瀧山は頂上ではなく、三瀧の谷の最上部に三瀧山と書かれています。つまり船ケ入というところです。現在だとサワグルミの木がある辺りの山一帯ということになります。鏡台山は、坂城の分になるので、昔の倉科村の村界は鏡台山北峯の北、1230m位の辺り、現在三滝山と呼ばれている1185mの尾根を南へ登って倉科コースの登山道に出た辺りが最高地点ということになります。鏡台山北峯が北に延びて大峯山と杉山(大嵐山)に尾根が分かれるところです。昔は、なになに山というときに必ずしも山頂を指すのではないこともままありました。茶臼山北の中尾山などもそうです。姥捨山も現在は、冠着山となっていますが、江戸時代の『信濃奇勝録』では、現在の三峯山辺りになっています。山名は、山の反対側で呼び方が違うこともよくありますし、調査の際に間違って伝わってしまうこともあったようです。

 では、戸神山はというと、『埴科郡誌』では、「本誌編纂に当り、山寺常山の『河中嶋合戦地理記』、高野莠叟の『古城考』明治三十五年五月廿一日松代町役場より、東宮殿下に献じたる川中嶋古戦場絵図写等により、永禄四年九月九日の夜甲軍一万二千西條村より倉科村に出でんとし迷ふて道を失ひたる戸神山は森野の頂上なりと決定し、尚当地を踏査して命名したるものなり。」と記して、現在三滝山と呼ばれている1185mを戸神山と規定しているわけですが、この東宮殿下に献じたる川中嶋古戦場絵図というのが、実に大雑把な絵で、「戸神山は森野の頂上なりと決定」と書いてありますが、実際は鏡台山を指しているようにも見えるのです。

 前回書いたように、戸神とは三角の尖った山をいいます。すると、『埴科郡誌』の1185mは、相応しくないのですよ。敢えていえば、1042mか前回書いたように鏡台山ということにならざるを得ません。戸神山脈は、鏡台山から薬師山までということになります。戸神山脈はともかく、『埴科郡誌』の戸神山自体はかなり怪しいといわざるを得ません。そもそも戸神山は、上杉景勝の家臣清野長範が書いたとされていますが、実際に現地に登ってみたり、取材(笑)をしたのか怪しいものです。むしろ、旧更埴市が1185mを三滝山としている方が、妥当性があります。ただ、『埴科郡誌』にも一応敬意を表して、これからもMORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)では、1042mを戸神山と表記することとします。戸神山は、三滝山の東という記述が誤記という前提でですが。

 ちなみに、『埴科郡誌』で規定した鏡台山脈は、保基谷岳を起点として鏡台山までと、鏡台山から太郎山までの、仮名のくの字状の山脈のことです。また、鏡台山から五里ケ峯、葛尾山から千曲川へ落ちる山脈を五里ケ峯山脈とし、保基谷岳から奇妙山、旧埴科郡大室と旧上高井郡川田の境の山脈を奇妙山脈としています。

★武田別働隊のルートを訪ねて三滝山(戸神山?)から鏡台山、鏡台山から戸神山脈を妻女山まで辿ったトレッキングは、フォトドキュメントの手法で綴るトレッキング・フォトレポート【MORI MORI KIDS(低山トレッキング・フォトレポート)】をご覧ください。

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