行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2019年4月18日(木)の日記

2019年04月18日 | 日記

どんどん暖かくなってくる。歩くと暑さを感じるぐらいほどで、会社へ着いて自分の席へ来たらすぐに上着を脱いで椅子の背に掛ける。先週ぐらいだと、オフィスの室温で身体が暖まるまで上着は着ていた。

別にボリュームは要らないが、やはりパワーが付くものを食べたいので、今日も肉ものの晩飯。東秀豚焼肉丼

東秀へはちょくちょく入るわりに、このメニューはまだ食べたことがなく、今回初めて。


2019年4月17日(水)の日記

2019年04月17日 | 日記

情報処理技術者試験まであとわずか。ここ数日は教科書に載っている午後1の過去問をやってきた。午後1はケーススタディの問題。そして、本番まで残りは4択問題である午前2の過去問をやる。午前2は教科書には載っていないが、ネットを探すと過去数年分のがある。午前2はあまり早くからやっても忘れてしまうから、やっぱり直前に集中してやることになる。

今回は午後2の論文の準備がほとんどできていない。教科書の模範解答を数個読んだぐらい。あとは直前に書くならこんなことというのを、ノートに書き出しておくぐらいだろう。

勉強を集中してやるのにもパワーがいるせいか、肉食気味になってきた。晩飯は松屋行徳南店ごろごろ煮込みチキンカレー生野菜セット


2019年4月15日(月)の日記

2019年04月15日 | 日記

先週や先々週の週初めとは大違いで、気持ちの良い陽気となる。

あとはこの気候が続き、情報処理試験の日にきつい寒の戻りなどないことを願いたい。

今日の晩飯は松乃家おろしロースかつ定食


2019年4月13日(土)の日記

2019年04月13日 | 日記

極端な寒の戻りはあるが季節は進んでいる。晴れると日差しが強くなっているので、今日から日が当たるところへ出る前に日焼け止めを塗ることにした。

今年は冬物をクリーニングに出すタイミングが難しい。ウールのコートにコーデュロイのパンツ、それとマフラーはもういいだろうと今日、出してくる。ダウンジャケットはもう少しようすを見て、来週ぐらいか。

 

南行徳のヤマダ電機で買い物があるので、行く途中に昼飯。南行徳一丁目にある南行徳壱番館へ行く。

前に来たのはいつだろうと過去日記を探すと、まだ南行徳に住んでいた2016年の2月で3年ちょっと前。

ランチのセットメニューから野菜カレー(1,170円税別)を選ぶ。昼間は歩くと暑かったので、セットドリンクは冷たいものでもいいと思い、炭火アイスブレンドにする。食事の前か後か聞かれたが、何となく前にした。

まずセットのスープが来て、その次に炭火アイスブレンドが来たがボトル型のグラスで、しかもでかい!

食べるものがカレーだから、食べつつアイスのコーヒーを飲むことも出来る。だけど、分量が多いから食事の前に出してもらうことにしてよかった。

そしてメインの野菜カレー。どちらかというと甘口のカレーだった。

ランチのセットには最後にデザートも付く。

 

今日も明日の日曜も、家事や買い物以外で時間があるときは試験勉強。

でも、今日は土曜日だし夜はやはりリセットで、飲むことにする。

ただ、今は父親の忌中。忌中の心得は身を慎んで祝い事は遠慮するとか、派手な行動・派手な遊びのようなものは避けるとか、世間ではいろいろあるようだ。だけど、自分の日々の生活の中の個々のケースでどうするか、線引きは自分で決めることになる。

自分としては酒を飲むときは、行ったことのない店に行ってみるとか、料理や酒にこだわるタイプの店、カラオケがある店(歌うとやはり楽しくなってしまう)へ行くとかは、四十九日で忌中が明けるまでは控えようと思っている。定食などのチェーンでチョイ飲みぐらいはするかもしれない。だけど、週末にゆっくり飲むときは基本、家呑み。

今日はヤマダ電機へ行ったあと、イオンの惣菜コーナーで買ったにぎり寿司、それとコンビニで買ったものなどをつまみにする。

食べるものの見た目は、こういうにぎり寿司の盛り合わせは華やかになっているが、別に気にすることはなかろう。葬儀のあとや、あるいは火葬場で納棺後に終わるまでの間、”精進あげ”で食べる料理はけっこう豪勢だ。今もそうだが、昭和の最後の数年から平成の最初の数年の間に、自分の父方・母方合わせて4人の祖父母が他界した頃でもそうだった。よほど大昔でもない限り、もっと前でもそうだったのだろう。

酒はアサヒスーパードライの瞬冷辛口の500ml缶と、地酒は仁勇の300ml瓶生酒。

そのあとは、家に置いてある芋焼酎の木挽BLUEを炭酸で割って飲む。

そして飲み食いしつつ、録画してある映画から昭和30年(1955年)頃のを1本見る。


2019年4月12日(金)の日記

2019年04月12日 | 日記

気温は低いが今日は風が穏やかだったのでコートなしでいく。

試験勉強もあるが、身体のメンテナンスもしないといけない。先週、ダンベルが出来なかったが、そろそろ体調も整ってきたので今日やることにする。試験勉強は短めにやる。

その前に晩飯は肉をしっかり目に食べることができるものにする。やよい軒へ行ってから揚げ定食

ダンベルエクササイズは上半身メニュー。


2019年4月11日(木)の日記

2019年04月11日 | 日記

月曜からこっち天気は日替わり。今日はすっきりと晴れる。

行徳駅前で写した写真ではコートの人もいるが、日差しで暖かいので自分はコートなしでいく。

だけど、帰りの時間はやたら風が強くて寒い。そして、明日はコートがいるかいらないか微妙なところ。

晩飯はすき家サラ旨ポークカレー(並盛)サラダセット(サラダ、みそ汁)

 

月曜から情報処理試験の勉強を再開したが、月曜、火曜は教科書を読み始めると眠気が襲ってきてなかなか読み進められない状態だった。でも、昨日はそんなに眠気を感じず、読むのと過去問をやってみるのができた。

自分は技術的なことは得意だが、リーダーとして人をコントロールすることなどは非常に苦手。プロジェクトマネージャーの試験は、春の科目ではもうそれしか受けられそうなのがないので申し込んだ。だけど、なかなかはかどらない。そうするうちに先週はまったく勉強ができない状態になる。

受かるとは思えないが、過去問のケーススタディ問題をやるのも少しは仕事に役立ちそうな勉強のうちだと、割り切ることにする。試験本番へ向けてもやれることはやるつもりでいる。

あとは、もう少し遅い時間までできればよいのだが、とっくに睡眠が足りないと翌日の仕事に差し障りが出る歳だ。できれば6時間は眠りたいが、今のところぎりぎりの5時間半程度になっている。


2019年4月10日(水)の日記

2019年04月10日 | 日記

2,3日前からの予報が的中して今日は強烈寒の戻り。おまけに冷たい雨。テレビでも冬の寒さが戻ってきたと言っている。自分も、無理せずコートを着ていく。そうしないと風邪を引きそうだ。

朝の行徳駅前だが、やはり厚いコート姿の人が多かった。

雨は1日降り続く。こういう日は温まるものが食べたいが、鍋物の定食などはとっくに終わっている。それなら、めん類で辛味スープのものを食べようと思う。

それで、東秀酸辣湯麺

確かに辛い分、温まる感じだった。


2019年4月8日(月)の日記

2019年04月08日 | 日記

自分の日常がふたたび始まった。

と思ったら、さっそく行きも帰りも雨で、特に帰りは冷たい雨になる。先週前半の冬のような寒の戻りが、明後日ぐらいにまたやってくるようでうんざりする。

そして朝の電車は週初と雨、それに学校が始まったこともあるようだし、おまけに年度初めによくある混雑がまとめて押し寄せたような混み方。途中から何度も信号待ちで停まり、勤務先最寄り駅には10分あまり遅れ着く。でも、ちゃんと時間通り走ったら勤務先へは13,4分は余裕で着く電車に乗っているから、今日も定時には間に合った。

晩飯は松屋豚肩ロースの焼肉定食


2019年4月7日(日)の日記

2019年04月07日 | 日記

父親の死去に伴う役所関係の速やかにやるべき手続きも、葬儀や病院関係の清算も母親に付き添って済ませた。あともまだ手続きはあるが、紙に書き出しておいた。母親にしても、父親の特別養護老人ホーム関連や入院での手続きなどはやってきたのだし、道筋は付けたからあとは1人でもできるだろう。

今日は午前中の新幹線に乗り、午後の早めの時間に行徳駅へ着く。

妙なことだけど、自分が住んでいる場所は数日、離れただけでも、戻ってきたときは元のままかどうか気になる。もちろん、行徳駅前の風景も変わっているわけではない。

 

一休みしてから荷物を片付けたり、メールをチェックしていたら夕方になる。今日は千葉県の県議選の投票日。いつも投票日の数日前に新聞折り込みで選挙広報が入り、候補者が写真入りでずらりと並ぶ。ところがこの1週間、新聞を止めていたのでそれが手元にない。しかもどういう人が立候補していたか、大阪へ行く前もあまり意識していなかった。

でも大丈夫。ネットで調べたら選挙広報の情報もちゃんとあった。投票は午後8時までだから、日が落ちてからだがコンビニへ晩飯を買いに行くときに投票所のほうへも回ってくる。

 

3月30日の土曜日に地域イベントで講談 南総里見八犬伝(下総行徳の段)を聞いたが、その分は行徳雑学館のトップページレポートにその日の夕方、ジャズライブを聴きに行くまでに作っておいた。3月31日に開業50年の行徳駅と開通したばかりの妙典橋を写してそれぞれレポートを作り、まとめてUPするつもりでいた。

ところが31日にやるつもりだったことが出来なくなった。さてどうするか考えたが、すでに作ってあった講談の分だけを今日、3月30日付の更新ということでUPすることにする。

行徳駅と妙典橋の地域の社会インフラ(交通インフラ)の話題は、情報処理の試験が済んでからにする。となると、もうゴールデンウィークの期間になってしまうが。


2019年4月3日(水)の日記

2019年04月03日 | 日記

今日、父親の葬儀が終わる。

日曜のまだ夜が明ける前の時間に病院から母親へ連絡があり、母親から自分にも連絡が来た。そして急ぎ大阪へ向かい、昼頃には病院へ着く。父親はもう酸素マスクを付けていて意志疎通もできない状態。そして、日付が変わって月曜になってすぐ、ついに最期が訪れた。

3月初めに入院したときの直接の原因は誤嚥性肺炎ということで、2週間もすれば退院して特別養護老人ホームへ戻れるものだと思っていた。母親からも最初はそう聞いた。ところが、2週間ぐらい経って検査の結果、身体機能の低下で口からの食べ物が食道へ入らず気管のほうへ入ってしまうためと分かる。

そうなってしまうと点滴で命をつなぎ、あとは老衰で最期を待つしかないという。医者によると多くの場合は2ヶ月から3ヶ月というので、4月中旬から5月にかけてだろうと思っていた。だが、父親の場合は多くの場合より早くてひと月弱だった。

5年ぐらい前から足腰も普段の様子もいかにも弱ってきて、あと1年か2年で別れが来るのではと思えたが、そのときに思ったよりは長かった。でも、ついに別れがやってきた。

 

葬儀のときは確かに悲しい。ところが、人が一人死ぬ、それも親が死ぬとなると、いろいろと大変だ。昨日も妹と母親とで早くやるべき手続きを、ノウハウ本を見ながら遅い時間まで洗い出していた。そして、今日も葬儀が終わったら、公的機関の窓口へ電話して問い合わせたり、ネットで調べたりとなる。

あと何日かは速やかにやるべき公的機関などの手続きで母親のサポートをしなくてはならない。