行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2013年3月19日(火)の日記

2013年03月19日 | 日記

昨日に続いて今日も暖かな1日。コートどころか、シャツの上にセーターもいらないぐらいの、5月の暖かさだった。

夜は酔い処紗らさらへ行く。

お通し。まずは生ビール。

マスターのブログに銚子産の地金目鯛を仕入れたとあった。前に銚子で食べた金目鯛がおいしくて、また味わいたいと思っていたが、なかなか銚子まで行く機会がない。なので、今日はその金目鯛を食べたいと思った。

地金目鯛刺

途中でビールが終わって地酒に切り替え。最初は鳳凰美田。酒米に亀の尾を使っている純米吟醸生で、マスター本日一押しということ。そういうことなら、最初に味わいたい。実際、舌の上で転がしたときは、単にフルーティな香りがするだけでなく味わい深さがあった。

次は鯵の干物

マスターが言うには、あまり鯵は仕入れないが、この鯵を見たときに「これはぜひ干物にしたい。」と思って仕入れたとのこと。実際、身が肥えた鯵で、干物にすることでうまさが凝縮されている。前回来たときに、やはり干物を食べた咽黒のような高級魚ではないが、うまいものは徹底的に食べつくしたい。

なので今回も、目玉も含めて徹底的に食べた。

この2枚を写してから見比べたら、オキシジェンテストロイヤーで骨と化したゴジラが頭に浮かんだ。

鯵を食べている間に地酒は2杯飲む。百歳大倉 陽の光

締めは黒酢豆乳クリームうどん。最後の1杯の地酒は金澤屋

最近、繁華街などでおしゃれ系うどんの店を見かけたことがあったが、ショーウィンドウに並んだパスタみたいにしたうどんが、自分が子供の頃からなじんできたうどんとのあまりの違いに、「一体、何?この変なのは!」としか思えなかった。

だけど、酒を飲んだときの締めの食事だと、不思議と食べられる。この店のマスターが創作したおしゃれ系うどんを食べるのは実は今回で2回目。前は去年の11月に来たときだった。


2013年3月18日(月)の日記

2013年03月18日 | 日記

今日は朝から強い南風。夕方から夜にかけてが強くなるようだが、東西線が止まったりしたら帰れないから、定時からそれほど間を置かずに退社。

先週の金曜日に帰宅後、コートのライナーを外す。ところが今日はもっと気温が上がって、コートなしでいけた。暖かくなるときはこれぐらい急激なことも、けっこう多い。次の木曜ぐらいには寒の戻りらしいが。

晩飯は南行徳の松屋照りマヨチキン定食

今日はダンベルエクササイズ。上半身メニューをやる。


2013年3月17日(日)の日記

2013年03月17日 | 日記

朝飯は午前9時過ぎになったが、県知事選の投票に行って、帰りにホームベーカリーのホシナでパンを3種類買ってきた。

手前がやさいコロッケ。左上がハワイアンで、乗っかってる黄色いのがパイナップル。右上がマッシュルームパン。いずれも100円。

午後12時半頃の行徳駅前公園。

ソメイヨシノなどの桜の開花が、意外に早くなりそうだというので、駅前公園の桜はどんな状態だろうと見に来た。

まだ開花はしていなかったが、開く寸前の赤くなったつぼみが多く見られた。

そうなると、どうだろう? 見ごろは次の土日(23日・24日)か、それとも30日・31日か。

そのあと、行徳駅近くのメイプルで昼飯。

1,000円のお得セットから、ハンバーグ+ライス大盛+コンソメスープのセット

メイプルはカレーとハンバーグの店で、ハンバーグもカレーもいろいろと種類がある。ハンバーグで、チーズハンバーグとか和風ハンバーグとか、あるいはハンバーグカレーではない、無印の「ハンバーグ」(ソースはデミグラスソースの、まさに今日、食べたもの)をこれまで食べたことがあったかと考えてみても、どうも記憶がない。この日記の過去分を検索したら、メイプルが登場する一番古いのは、まだテキストベースの日記の頃の2004年の7月だった。過去分のどこにも無印のハンバーグは登場していないから、かなり長い付き合いで初めて食べたということになる。

スーパーで買い物をして帰り、午後は録画いておいた映画を1本見る。

昼がライス大盛りのセットで、ハンバーグも自分には、けっこうボリュームがあるほうだった。だから、晩飯は軽めのほうがいいとおもったが、何を食べようかと迷う。

それで、これが頭に浮かんだ。なか卯で、しばらく前から店頭のポスターやテーブル上のお品書きで盛んに宣伝をやっている、期間限定の親子得トクセット。これにする。

そのセットとは、親子丼ミニ小うどんはいから。どちらも小さいサイズのだから、軽く食べるときにはよい。

今週は水曜日が祝日なので、日曜日の夜もいつもより気分が楽。


2013年3月16日(土)の日記

2013年03月16日 | 日記

前の土日と同じように脱衣場に干した洗濯物は除湿乾燥機の速乾で乾かして、そのあと浴室のカビ取りの続きをやる。 

昼飯は南行徳メトロセンターの一心亭白味噌ラーメン

もやしorゆで玉子の無料トッピングは夜だけだが、昼は半ライスが無料サービスで付く。

浴室のカビ取りは、洗面台の下など、残りの細かいところだからそれほど時間はかからずに終わる。

夕方までは録画しておいた映画を見る。「男はつらいよ」の1969年の第1作。

「男はつらいよ」のシリーズは自分の年代から言って、劇場で見たことはなくテレビかビデオで。第1作は中学か高校の頃、テレビ放映で後半だけ見ている。頭から終わりまで見たことがあるのは1995年の最終作だけ。あとは、沢田研二と田中裕子が結婚するきっかけとなった共演作を途中まで見たことがある。会社でまだ社員旅行があった頃、バスの中でビデオを流したのを見たが、帰りのときで、途中で都内の下車場所に着いてしまった。

第1作がどんなだったか見ておきたいと思ってので、今回、見てみる。

冒頭で寅さん(渥美清)が堤防から眺める江戸川。柴又の対岸の矢切の側から眺めていた。なので、画面に映った橋は最初、どこだろうと思ったが、これは国道6号の新葛飾橋、その向こうの鉄橋は常磐線。

寅さんは矢切の渡しで柴又へ帰ってくる。しかも、ワイシャツにネクタイ姿。これには驚いた。第1作はこんなスタイルだったのかと思った。

でも、これは最初だけ。約30分弱で、見慣れた寅さんのスタイルで登場。ワイシャツとネクタイは20年ぶりの故郷へ帰ってきたという話なので、そのため、寅さんも身なりをきちんとしてきたということなのだろう。

倍賞千恵子演じるさくらは丸の内の会社に勤めるOL(劇中の寅さんのセリフで「BG」というのも出てくる)で、キーパンチャーという設定。

IBMが開発した事務用データ処理のパンチカードシステムか、あるいは1969年ならコンピュータシステムへ、紙の伝票からデータエントリーをするための業務。当時は先端的な仕事というイメージだったのだろう。

こうした機械は自分にはちょっと懐かしくもある。自分が大学でプログラムの初級コースで実習をやり始めた頃(1980年)は、カードパンチの機械が並べてある部屋があって、そこでプログラムをカードに打っていた。コンパイルとリンクと実行をやるプロシジャーを指定したJCLのカードを付け、カードリーダからコンピュータに投入し、結果がラインプリンタから打ち出されてくるのを待つ。パソコンはようやく世に出始めた頃で、学生の実習で使うのは大学のコンピュータセンターのメインフレームだった。

社会人になって最初の1、2年は会社でもデータエントリーにパンチカード(IBMが最初に作った仕組みなので、年配の人たちは「IBMカード」と呼んでいた。)が使われていたが、間もなく端末から電子データでエントリーするように変わって、パンチカードは使われなくなった。

かつて自分が第1作をテレビ放映で見たのは、さくらと博(前田吟)の結婚式の場面あたりから。博の両親がスピーチで、グレて家を飛び出した息子が立ち直ってちゃんとした生活をするようになって結婚することを祝い、親としての至らなさを悔いて詫びて、登場人物たちが涙する場面だが、こういう場面は記憶に残る。

父親役が誰かまったく意識していなかったが、志村喬だった。

CS放送で昔の邦画をいろいろ見るようになって、志村喬が出ている映画もいろいろと見たが、それ以前は、やはりテレビ放映で見た「ゴジラ」をはじめとする東宝特撮映画で博士の役をやっている俳優という印象が強かった。

ちなみに「男はつらいよ」では北海道の大学で農学部の教授という役柄だった。

 

夜は行徳駅前公園の西側そばにあるかぶ家へ行く。

お通しと生ビール。

最初は串焼きで、手羽先ももアスパラ

ビールの次は焼酎。まずは芋焼酎で鬼の隠れ家。食べるほうはインドまぐろ切落

2杯目の焼酎は匠乃甕。そのあと、こちらも匠乃甕。食べ物はホッキ貝酒むし

締めは、なの花からし合え。焼酎ロックは3杯にして、あとは角ハイボール

朝はエアコンの暖房を入れないと寒いぐらい冷え込んだが、どんどん気温が上がって昼間はエアコンなしでも大丈夫だった。だけど、飲んで帰るときは、北風が強くなってきた。明日の昼間は15度止まりで、春の暖かさはイマイチのようだ。


2013年3月15日(金)の日記

2013年03月15日 | 日記

帰りに快速から各駅停車に乗り換えるときの浦安駅。

西船橋方面ホームの前のほうに工事用の囲いが設置され、ホームが狭くなっていたが、2、3日前に撤去されていた。壁材も黒と白のツートンが取り付けられて、リニューアル工事も完成間近という感じだ。

晩飯はなか卯肉うどんライスつけものを注文して、”勝手に肉うどん定食”にして食べる。

帰ってからは録画しておいた映画を1本見る。

今朝はまだ寒かったが、明日からは春らしい気候になりそうだ。


2013年3月14日(木)の日記

2013年03月14日 | 日記

昨日はコートなしで大丈夫なぐらい暖かくなったが、今日はコートの、それもライナーを付けたのでないと寒いぐらいだった。だけど、アンダーウエアは発熱素材でないもので大丈夫だった。暑さ寒さも彼岸までというから、今日のような寒さもあとわずかだと思う、というか、思いたい。

晩飯は南行徳メトロセンターの天善かつ壱番屋。春のハンバーグフェアというのをやっていた。

ハンバーグメニューの中から、目玉ハンバーグ定食を食べる。

ハンバーグと目玉焼きの間のは、なすのフライ。

前回からちょっと間が空いたダンベルを再開。前が上半身メニューだったから、今日は下半身メニュー。


2013年3月12日(火)の日記

2013年03月12日 | 日記

帰りはジャズライブのHot Houseへ行く。

晩飯もこの店でライブを聴きつつ食べる。食べたのはドライカレー。それと、まずビールを1本。

そのあとは、ジャックダニエルの水割り。土曜日のライブのときなら2杯飲むが、平日は1杯にしておく。

今日はデュオ。松井節子さんのピアノと佐々木悌二さんのチェロ&ベース。まずはチェロの演奏から開始。

このコンビのデュオは何度か聴いたが、自分の耳もようやくジャズのチェロになじんできたようだ。弦によるチェロの演奏で、まず「黒いオルフェ」、「I'm a fool to want you」...と、この店ではおなじみの曲が続いたが、自分の気持ちの中にスッと入ってくる感じで、聴き入ってしまった。いや、自分が音色の中に入っていけるように思えた。

前にママさんのブログに、佐々木悌二さんの弦によるチェロは絶品ということが書いてあったのが記憶に残っているのだが、ようやくそれが分かる気がした。

ベースに持ち替えての演奏。

「リクエストない?」と聴かれたので、Holy Landをリクエスト。

一昨年の震災のあと、メディアから流れてくる悲惨なニュースにさらされているうちに、Al HaigのHoly LandをiPodに入れたのを、かなり聴きまくって気持ちのバランスを保っていた時期があった。松井さんはこの曲は知らなかったので、自分でスコアブックを入手してHot Houseへ持って行き、演奏をしてもらった。

そして、デジカメで演奏を動画撮影し、初めてYouTubeへの動画投稿をした。ソロとトリオの2つの演奏だったが、こちらのページに埋め込んである。


2013年3月11日(月)の日記

2013年03月11日 | 日記

朝の空は快晴だったが、北風が強く冷たく真冬の朝が戻ってきたような天気。マフラー、手袋をして出勤する。帰りの時間は、どちらも必要ないぐらい気温があがっていて、コートの前をはだけても大丈夫なぐらいだった。

晩飯はなか卯牛丼ミニはいからうどん

 

 

今日が東日本大震災の発生から2年。直接、被災したわけではないにせよ、当初はメディアを通して伝わってくる大災害のようすに、振り返ると異常なほどハイテンションになっていた。落ち着いているつもりでも、何か自分に出来ることはないかといつも思い、なにか焦っていたと言ってもいいような状態。そうなっていた人も多いのではないかと思う。

それも、丸1年を過ぎ、まったく落ち着いた状態になり、平穏な日常を毎日、送るようになった。昨日の日曜と今日と、メディアから被災地の今の状況が伝わってきて、自分の意識から震災のことが遠のいていたことに気がつく。そうなると、何を言っても空虚なように思えてきて、どうにも言葉が出てこない。


2013年3月10日(日)の日記

2013年03月10日 | 日記

昨日と同様に、残り半分の洗濯物を除湿乾燥機の速乾で乾かし終わったら、浴室のカビ取りの続きをやる予定。 

一方、妙典の江戸川放水路堤防に植えられている河津桜が咲いているかも気になる。洗濯物の乾燥をしている間に、カメラを持って自転車で行ってくる。

もう咲いていて、見ごろに近い感じだった。来週にしようかとも思っていたが、今日、見に行って正解。

これは、妙典公園の歩道橋しおみばしの上から。

トップページレポートに使った以外のものを何枚か載せる。
これも妙典公園側(東西線より下流側)。

同じく、東西線鉄橋の手前。

東西線鉄橋をくぐって、妙典小学校の前。

旧成田街道を通ってバイパスへ出たところにあるくるまやラーメンで昼飯。ちょっとずついろんなものをトッピングした、得とく味噌ラーメンばかり食べている感じなので、今日は味噌チャーシューメンにする。

スーパーで買い物をして帰ると、まもなく洗濯物の乾燥も終わった。今日も安全ゴーグルやマスクをして、浴室のカビ取りに取りかかる。残りの壁やドアを順にやっていく。

午後2時ごろに外を見たら、雲が広がっていて、しかも黄色っぽく見えた。午前中から北日本の低気圧に強い南西の風が吹き込んでいたが、ついに中国からの黄砂が首都圏に達したのかと思った。

でも、夕方にニュースサイトを見たら、これは煙霧というものだったそうだ。寒冷前線の接近で強風が吹いて地上の砂埃を巻き上げたためらしい。

午後3時頃、カビ取り剤が効いてくるのを待つ間、カメラを持って南行徳公園へ。

この時間には空はもう黄色っぽくなかった。そのかわり、空気が冷たくなっていた。午後4時を過ぎると、再び日が差してきたから、午後2時から3時ごろに寒冷前線が通過したのだろう。うちのあたりでは雨は降らなかった。

風呂のカビ取りで、壁、ドアなどの面積の広いところは終わった。あとは、細かいところが残っているが、次の週末以降にする。

妙典で写してきた河津桜の写真でトップページレポートを作り、夕方にUP。

予報どおり、今日は寒暖の差が極端に大きくなった。晩飯を食べに外へ出ると、午前中の暖かい南からの強風に対して、もう冷たい北風が徐々に強くなってきていた。

南行徳の駅前。

左端に写ったカレーのCoCo壱番屋で食べることにする。食べたのはやさいカレー1辛

明日は冬の寒さが戻ってくるようなので、コートにライナーを再装着。発熱素材アンダーも着用したほうがよさそうだ。


2013年3月9日(土)の日記

2013年03月09日 | 日記

前の週末のトップページレポートで、加藤新田で始まった大規模複合開発のことを取り上げたが、そのマンションの広告が昨日(いや、一昨日だったか)の新聞折込で入っていた。

だが、見ると頭に「?」が浮かぶ。

少し前に東西線車内で見た広告には「ヴェレーナシティ行徳」の文字が大きく出ていたのに、この折込チラシには

「Mint Garden City」(ミントガーデンシティ)

の文字がデカデカと。これは一体、どうしてかと、ようくチラシを見てみたら、やっと分かった。

マンションがヴェレーナシティ行徳。予定されている医療街区や商業街区も合わせたエリア全体がミントガーデンシティということだ。

別にこのマンションを買おうと思っているわけではなく、単に地域についての個人サイトで話題として取り上げているだけだが、こういうふうに「シティ」の文字を含む名前が2つあると、どうもややこしい。

折込チラシの下のほうには公式サイトのURL。ヴェレーナシティ行徳公式サイトのURL(http://www.ns-jisho.co.jp/sp/mint364/)とは違う。

このwww.mint364.comにアクセスしてみた。すると現時点ではヴェレーナシティの公式サイトへジャンプするようになっていた。商業街区や医療街区のもっと具体的な情報が公開されるようになったら、また違うようになるかもしれない。

 

冬の間は洗濯物は脱衣場の突っ張り棒に干して、除湿乾燥機で乾かしている。除湿乾燥機は去年の夏に前のが古くなったので買い替えたものだが、衣類乾燥の標準モードでも、それまでのものより乾燥時間が短い。今日は標準よりも強力な速乾で乾かす。

乾燥をやっている間に昼飯。バイパスの吉野家牛焼肉定食キムチ・味噌汁セット

そして洗濯物の乾燥が終わったあと、前からやろうと思って、用具などを買い揃えておいたが、そのことをやる。浴室のカビ取り。

ゴム手袋はふだんの風呂掃除、トイレ掃除で使っているものだが、それに加えてマスクに安全ゴーグル、そして壁や天井などにカビ取り剤を塗るための塗装用ローラーや刷毛。塩素系のきつい薬剤を使って、天井や壁全体を含めた広い面積をやるのだから、気分が悪くなったりしないように重装備でやる。

一度に全部やると、薬剤も大量に使うことになるから、最初は天井だけ、次は壁2枚半、そして壁半枚分とやっていく。徐々に塩素系のきつさが効いてくるから、今日だけで全部やらず残りの壁やドアなどは明日。明日でまだ終わらなければ、次の週末にしよう。

 

夜はしばらく前から気になっていた店に行ってみる。行徳駅前公園の東側、去年の夏まではB2ドゥブルベがあったところに、冬ぐらいに新しい店がオープンした。店頭の提灯は昼間でも置かれていて、「湊や」と書いてある。

ネットで「湊や」で検索すると、海鮮居酒屋のチェーンがヒットする。でも、ここはチェーン店ふうの大きな店ではない。

提灯をようく見ると、「湊や」の文字とともに「行徳」や「ためろ」の文字がある。

「ためろ」というと、神輿の行徳揉みで神輿の動きをしっかりと止めるときの、音頭取りの掛け声。それで、この店は地元の人、それも湊の人がやっている店ではないかと推測した。

ネットで検索して、個人ブログの12月の記事がやっと1件、ヒットした。それによると、マスターは神輿好きな人だということ。そうなると、自分の推測はかなり当たっていそうだ。

店に入ると、午後6時半をちょっと過ぎたぐらいだったが、なかなかの賑わいだった。カウンターの向こうに、店名板があった。やはり店名は「みなとや」が正式なようだ。

店内に飾られた祭りでの神輿揉みの写真。この写真で音頭取りをやっている人が、みなとやのマスターとのこと。

写真では茶髪の感じだが、今は黒い髪だった。

カウンターの後ろの壁にも、祭りの写真が飾ってあった。

やはりマスターは地元の人。小上がりも地元らしき人たちの飲み会だった。外の提灯に「湊や」となっているのは、地元の”湊”に対するこだわりだろう。

改装はされているが、カウンターや厨房、小上がりなど店内のレイアウトはB2ドゥブルベのころと変わっていなかった。

それで、今日の自分の飲み食いはというと。最初は生ビール。となりの小鉢はお通し。

脇の透明ケースに入ったのが本日のおすすめメニュー。

カウンター越しにホワイトボードに書かれたのが、レギュラーメニューのようだ。

まずは、本マグロの中おち。お好みで手巻きにできるように海苔も付いてきた。

地元にこだわりがある店なので、気になったから聞いてみると、この海苔は行徳海苔。マスターによると、季節によっては必ずしもそうでないということだったが。

次は牛すじのピリ辛煮こみ。ビールの次は地酒で梅一輪

その次は、初ガツオ刺身。地酒は出羽桜

自分の悪い癖だが、初めての店で地酒がいろいろあると、つい飲んでしまう。次は三十六人衆。食べるほうは、塩辛とキムチの冷やっこ

飲み過ぎないように、今日はこれで打ち止め。マスターも地元の人で、他のお客さんも地元の人が多いとはいえ、旧道沿いの地域ではなく、東西線より海側で駅前公園のそばにある店だ。自分のような新住民にとっても、居心地が悪い店ではない。B2ドゥブルベの店を受け継いだ、小さいが居心地のいい店だし、これは好きになりそうだ。

今日は賑わっていたから、マスターとはお会計のときぐらいしか話が出来なかった。まず、B2ドゥブルベに来ていたことを話し、それから箸紙に行徳雑学館とこの行徳生活日記の名前を書いて、暇なときにでも検索して見てくださいと言うと、知ってますと言われ、出口のところで深々とお辞儀をされてしまった。

それから、湊、湊新田、香取、欠真間の4つの集落の呼び方だが、自分は「四ヶ町」だと思っていたが、地元の人は「四ヶ村」のようだ。ネット上の地元関係の情報も数年前よりも増えていて、そういうところで見る情報でも、今日、となりに座った地元の人の話でも、やはり「四ヶ村」というのが伝統的な呼び方のようだ。

このサイトでも、できるだけ早く、四ヶ町となっているところを四ヶ村に直しておこう。