行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2012年3月14日(水)の日記

2012年03月14日 | 日記

先週から予告のポスターが出ていたが、なか卯は今日から季節メニューの鴨つけうどんが登場。そのかわり、辛味噌うどんは終わったようだ。

鴨つけうどんには温のあつもりと冷のひやもりがある。

コートを着ている今の季節はやっぱりあつもりのほうがいい。

 

昨日行った、南行徳メトロセンターの庭のところに昔あった、炉端焼の竹笛の思い出話を書くことにする。

行徳雑学館を作って公開した1999年7月の時点で食の部屋飲んで食べる店には載せていた。竹笛が閉店したのは翌年2000年の11月末か12月上旬だが、12月終わり近い頃のトップページレポートにそのことを書いていた。でも、当時は食の部屋コンテンツに閉店リストは作っていなかったので、閉店した店の部分は削除して痕跡はない。

行徳雑学館のWebページのHTMLファイルや画像ファイルは、今は1年に3回か4回、DVD-Rにフルバックアップを取る。圧縮してからバックアップしている。そして、あとは更新するたびごとに更新したファイル、追加したファイルだけを差分ということで、これもDVD-Rにバックアップしている。しかし、保管するのもせいぜい2年か3年程度。なので、過去時点のものは残していない。ところが、去年、不要なCD-RやDVD-Rを整理していたら、1999年の11月とそれから2000年に2回、その時点のファイルをバックアップしたCD-Rが出てきた。そして、1999年の食の部屋の飲んで食べる店に、竹笛について書いた文章も残っていた。

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■竹笛 炉端焼き(南行徳駅高架下メトロセンター)

駅の高架下なので、かなり以前からあるようです。僕も引っ越してきてからちょくちょく来ています。

カウンターの冷蔵トレーにずらっと魚貝類や串焼きが並んだ店です。カウンターに座ると目の前で焼いてくれます。
この店は、何といっても魚貝類が豊富なことでしょう。だから、魚類を食べたいときはここに来ます。値段を見ると、平均的な居酒屋料理より高めですが、一品あたり量が多いです。切り身などにしても、大きめです。(前、太刀魚をたのんだときは、大きい切り身だった^^)
もっとも、高いものだけではなくて、魚貝類でも牡蛎などはそんなに高くはないです。

上手な飲み食いの方法としては、魚貝類を一品頼み-これは割と量があるので、あとは、串焼きや、それ以外のつまみ類をいくつか頼むということになるでしょうか。
昨今の、世の中の景気の状況に合わせて、この店も客単価を下げるように努力しているようです。串焼き類も1人前あたりの量を減らして、値段を下げています。以前も、一部の魚貝類以外は、そこそこの値段でしたが、より一層入りやすくなった感じです。

営業時間:夕方は5時頃からやっているようですが、閉まるのは11時頃のようで(11時台に前を通ると、後片付けをしているか、もうシャッターが降りている)、ちょっと早めです。
それから、昼食時間帯には定食をやっているようです。

それから、竹笛は行徳の行徳駅からちょっと南行徳駅方向にいったところの東西線高架下と、西葛西の駅高架下メトロセンターにもあります。


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当時は「^^)」や「^^);;」のような表現もけっこう使っていた。年を取るに連れて忘れてしまったが。たしかに魚介類は量が多いが高めで、魚介類一品とあとは2,3品の一品料理を頼んで食べていたのを思い出した。

竹笛は駅の高架下にあったためか、引っ越してきて次の週末に南行徳で最初に入った飲み屋だった。その翌週がオンドリ。その次は、はっきりと覚えていないがたぶん養老乃瀧だったと思う。

1999年や2000年の当時は薄型で小さいデジカメなど持っていなかったから、食べ物屋で写すことはなかった。でも、2000年の4月に放映されたケーブルテレビの番組に登場していて、それをビデオに録画して後にDVDにコピーしたのが残っていた。再生してテレビの画面を撮影したが、当時の竹笛のようすが分かる。

メトロセンターの通路側から。

店内にはU字型にカウンターを設け、目の前に冷蔵トレーを配置していた。

冷蔵トレーに並んだ魚介類。

カウンターの後ろのテーブル席。

行徳店(おそらくそちらが本店だったと思う)は、行徳駅から少し南行徳側に歩いたところの高架下にあった。今は中華の独一処餃子になっている場所だ。そちらはU字型のカウンターが2つ設けられていた。自分が入ったのは南行徳に引っ越してきた1989年に1度だけ。父親がどんな部屋に越したのか見に来た。見に来ても狭くて泊められないので、行徳ステーションホテルに泊めた。そのとき、晩飯に一緒に入った。日曜日の夜だったからあまり混んでなくて、U字型カウンターは1つだけでやっていた。

西葛西にあるというのは店の案内などで見ていただけで、実際に店を見たことはなかった。

店内は装飾などは特別豪華な感じでなく、庶民的な店のように思えていたが、今から考えるとカウンターの前に冷蔵ケースでなく、冷蔵できるトレーを置いて魚介類をずらっと並べる造りは電気代などのコストがかかるだろし、やはり平均より一つか二つぐらい上を志向したバブル景気時代のものだろう。1990年代になってバブルが崩壊した後は、この店も徐々に左前になっていった。週末はカウンター席はもちろん、テーブル・座敷も埋まっていたが、1990年代の終わりごろになるとテーブル・座敷は閑古鳥が鳴いていることが多くなった。さすがに駅の高架下だけあってか、カウンター席はざっと埋まるぐらい客は入っていたようだが。

1989年に最初に入った頃、一品料理の自家製さつま揚を食べて、これは絶品だと思った。そう思ったのは自分もまだ20代で、それほど舌が肥えていなかったからだろうと思う。今、もし同じものを食べてもどれぐらいおいしいと思えるかは分からない。実際、その後、1990年代の後半にかけて、自家製さつま揚を注文しても、徐々に小さくしょぼい感じになってきて、食べても最初の頃に感じたようにおいしいとは思えなくなった。

2000年の12月頃に閉店したわけだけど、ケーブルテレビに登場したのはその年の4月だった。そこで紹介されたのがこれ。

高級和牛ステーキの定食。

これが登場したのは閉店する1年か1年半ぐらい前だったと思う。自分は食べる機会はなかったが。思うに、店が左前になってきたので、起死回生を図ってこうしたメニューを入れて、ケーブルテレビに店のことを売り込んだのではなかったか。結局、あまり功を奏しなかったようだ。

自分が最後に竹笛に行ったとき、カウンター席はまだわりと埋まっていて、メトロセンターの通路とは反対側-高架沿いの道路側入口のそばの席に通された。ところが、入口の自動ドアが不調で、一度開くと完全には閉まらない。外から冷たい空気が入ってきて居心地が悪かった。そういう気候のときだったから、梅雨寒の時期か、あるいは9月下旬か10月頃ではなかったかと思う。思えば、そのときでもう不調のドアの修理も難しい状態だったのかもしれない。それから行かずにいたら、年末にシャッターが降りたままになり閉店となった。

竹笛もオンドリもバブル景気の頃の風潮を受け、平均より一つ上を志向した店だが、オンドリがバブル崩壊から20年余り何とか続いたのに対し、竹笛はほぼ10年で力尽きたことになる。カウンター前の冷蔵トレーに魚介類をずらりと並べて豪勢さを強調した店の造りが、状況が変わると経営を圧迫することになったのだろう。時流とか時代の風潮への乗っかり方が大きいほど、店の寿命が尽きるのも早くなるということでもあるのだろう。

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