行徳生活日記

「行徳雑学館」作者の日記。

2011年2月20日(日)の日記

2011年02月20日 | 日記

冬場の洗濯は土日に半分ずつやるので、昨日の分は出かける前にやって、脱衣場の突っ張り棒に干して除湿機の速乾モードをタイマーで動かして行った。今日は洗濯の残り分と掃除とクリーニング出しをやる。 

昼頃、散髪をしに葛西の床屋へ行く。今日も空はどんよりとした曇り空。南関東だけがこうらしい。写真は南行徳駅のホームの一番行徳寄りから。

散髪をして葛西メトロセンターのロッテリアで昼飯。

無印のハンバーガーのセットデカチキンを食べる。セットのドリンクはコーンポタージュにする。

葛西のロッテリアは2階の客席があり、窓際の席に座って駅前の光景を眺めながら食べるのはいい気分。このロッテリアができたのは1985年(昭和60年)の2月か3月。もう丸26年になる。

自分が社会人になったのが1984年で、葛西にあった独身寮に入った。その頃の葛西メトロセンターは、ロッテリアがあるほうの区画はまだ何もない、単に高架下の通路だった。高架と交差する道を渡った先の西葛西側の区画だけがあった。

駅南側のバスターミナルは、歩道部分もタイル舗装ではなくアスファルトのままだったと思う。乗り場の雨除けの屋根もまだなかった。

1984年の3月頃、独身寮のあたりがどんなか下見に来たときは春の強い風が吹いていて、バスターミナルは砂埃が舞っていた。
「葛西ってこんなとこなのか!」
と、ちょっと陰鬱な気持ちになった。もっとも、周りはすでにビルが立ち並んでいて、その後も新しいビルも建ったが、駅前から見た印象は今も変わらない。街の中に入ってみると、そんなにひどいという感じではなくて、駅前の様子で損をしているように思えた。

その年の秋ぐらいからバスターミナルも高架下の通路だったところも整備が始まって、1985年春にはきれいになった。でも自分のほうは、残念ながら、会社の都合で原木中山の独身寮に移ったので、あまり恩恵がなかった。

 

帰ってから、火曜日に買ったデアゴスティーニの東宝特撮映画DVDコレクション「日本誕生」(1959年(昭和34年))を見る。ちょうど3時間かかる長い映画。

特撮映画コレクションにラインアップされる作品だけに、最初から特撮映像が炸裂。イザナギの神とイザナミの神が日本列島を作る場面。

物語は日本武尊(三船敏郎)が主人公で、古事記や日本書紀を元にしたということ。神話の話は劇中で語り部の老婆(杉村春子)が語る物語として描かれる。

神話の場面で天岩戸にお隠れになった天照大神を呼び出すために、神々が歌と踊りの祭りを催す場面。ここで流れる岩戸神楽の曲はどこかで聞いたと思ったら、「ゴジラ」に登場する大戸島の神楽の曲とほとんど同じだった。

DVD付属の解説を見ると、やはり音楽は「ゴジラ」と同じ伊福部昭だった。

作曲家が同じだから、他にも「ゴジラ」で流れたのと似たような曲が登場する場面があった。ヒロインの弟橘姫(司葉子)が入水したあとの場面。神に仕える巫女で男に恋することも御法度の身ながら、日本武尊を慕うあまり東国遠征について来てしまう。だが、尊の船団が突然の嵐で危機に瀕したとき、神様の罰だと言って海に飛び込んでしまい、そして嵐が静まる。ここで流れる曲が、「ゴジラ」で少女合唱団が歌う平和の祈りの歌にメロディが似た感じだった。

天照大神役は原節子。

特撮映画で原節子を見るとは思わなかった。原節子が引退したのは1962年(昭和37年)で自分などはまだ赤ん坊の頃。だから、原節子と言うとメディアを通して伝説の女優という話しか聞いていないから、神秘的で男たちを魅了していたであろうというイメージしか持っていなかった。一方、特撮ものと言うと子供向きという世間一般のイメージがあるし、当時もあっただろうから、伝説の女優とは結びつかない。最近、昔の邦画をいろいろと見るので、原節子が決していつも微笑んでいるだけの女神様のような役ばかりやっていたわけではないということが分かってきた。スターと呼ばれた人が引退して伝説化すると、現役だった時代の実際のイメージは正しく伝わらないものだ。

「日本誕生」は東宝の製作1000本の記念映画だったそうで、相当にお金をかけていたということだ。三船敏郎、原節子、杉村春子以外にも田中絹代や鶴田浩二をはじめ当時、映画界の大スターだった俳優が大勢出ている。

特技監督は当然、円谷英二。神話の場面でも八岐大蛇が最も怪獣映画的。

後のキングギドラの原型を見たと思えた。

ずっと前、「知ってるつもり」の円谷英二特集でちょっとだけ流れたのは、ラストの火山の噴火場面だった。

円谷英二も特撮の中では、火と水の特撮が一番難しいと感じていた、とかいった話だったと思う。

東宝の特撮と言うと怪獣やメカアクションの印象が強いが、そうしたものをウリにしない作品もいろいろと試みられていたのが分かる。自分が覚えているのは中学生の頃(昭和40年代の終わりごろ)にやっていた「日本沈没」などだが。昭和30年代の作品は物心が付いていないか生まれる前だし、テレビ放映も怪獣もののように視聴率が取れないからかもしれないが、あまりやらないので存在を知る機会も少ない。見たことがあるのは「世界大戦争」がぐらいだ。

怪獣やメカがウリでない特撮映画が少ないのは、やっぱり観客を動員できないからだろうと思う。「日本沈没」は小松左京の原作小説のヒットしたし、映画も大ヒットだったが、そういうのは例外だったようだ。すると、東宝がかなりのお金をかけた、この「日本誕生」がどれぐらいヒットしたか興味が湧くが、そうした情報はなかなかない。

 

晩飯はバイパスのめん組正油海老ワンタンメン

ラーメン屋を出たら、弱い雨が降り出していた。南関東はなかなか天気がよくならない。