突然季節が一ヶ月以上は進んだような気温の急変。タオルケットで寝ていたら、明け方に脚が攣った。それだけ室温も下がったということだ。気を付けないと風邪を引くだろう。
洗濯の半分をやって掃除して、昼前に映画を見に行く。
渋谷のシネマライズだが、はじめていく劇場。渋谷でも足を踏み入れたことのないあたり。そのあたりだと東急ハンズへは行ったことがあるが、それ以外は知らない。NHKのほうにも行ったことはないし。地図で場所は見たが、かなり漠然と覚えてきていただけだったのでなかなか見つからない。表通りから入った細い道が交わるところにあるので、わかりにくい。上映時間の15分前になってやっと到着。昼飯抜きで見ることになる。
1986年に竣工の建物ということだが、作りが古い映画館っぽい。シネコン普及のまだ前だからそうなのかも知れない。
見たのは「サッド ヴァケイション」。
「すべてを包み込む・・偉大な母性」が描かれるのだが、物語で起こるような悲惨な事件があっても受け入れていくような女性が実際にいるだろうかと思う。これはおそらく理想化された母性なのだろうと思えてくる。
今回、石田えりが演じた母親がすべてを包み込んで受け入れる母性であるのに対し、その対局に位置する、子供の全てを支配して思い通りにコントルールしようとする母親が似合う女優なら、やはり野際陽子だろう。もう15年ぐらい前だけど、佐野史郎が演じたマザコン男「冬彦さん」の母である。今日の映画の石田えりを見ていると、十分、野際陽子に対抗できるように思えた。
すべてを包み込み受け入れるというと、「北風と太陽」の話で言えば太陽のように思えるけれど、この映画での描かれ方を見ているとすべてを呑み込むブラックホールのような恐ろしさとも取れる。劇中での浅野忠信が「なんでも受け入れる懐の深さが怖かったのではないか」と言われているのを見ると、そうだとも思えてくる。
自分では石田えりの母親ぶりを見ていて、こんな言葉を思い出した。
「ウルトラの母は太陽のように」
ウルトラの母が初登場した「ウルトラマンタロウ」(1973年)第1話のサブタイトルである。
これが頭に浮かんだのは、今回の映画でのすべてを包み込み受け入れる母親像が超越的な存在に思えたことと、もう一つは石田えりが「ウルトラマン80」(1980年)で隊員役をやっていたから、超越的-ウルトラマンのつながりからという単純な理由である。
そう思ったら今日の映画とは全然関係ないけど、こんなことを考えてしまった。
ウルトラシリーズには作品世界を異にするシリーズがいくつかあるが、最初の「ウルトラQ」、「ウルトラマン」からつながり、去年の「ウルトラマンメビウス」へと至るシリーズ(ウルトラの父やウルトラの母も登場するシリーズ)と同じ作品世界のものがまた作られてウルトラの母の人間体が登場するなら、石田えりにやって欲しいと思った。
「ウルトラマンタロウ」でウルトラの母の人間体を演じたのはペギー葉山だったが、二代目人間体、いや人間体別バージョンが出てくるなら、石田えりが見せた偉大な母性が似合いそうだ。
さて抜いた昼飯だが、映画が終わって午後4時過ぎに劇場のすぐそばのフレッシュネスバーガーで軽く食べる。
そのあとは神田小川町へ行って自転車用のサプライ品を買い、浦安で途中下車して通勤定期の継続分を購入。
夜は録画しておいた映画を見ながら飲んで食べる。
笹かまと、今日は初めて買ったチーズ焼かまなどを海苔で手巻きにしたのをつまみに飲む。
予報を見ると明日も雨みたい。涼しくなるのが遅くなった分、秋の長雨が後ろにずれるとしたら、来週末の祭りが心配だ。