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沖縄慰霊の日: 「平和とは、あたり前にいきること」(共同)

2018年06月24日 | 社会・経済

 

私は今を、生きていく。【日本ニュース】沖縄慰霊の日: 「平和とは、あたり前にいきること」(共同)

 

普天間の苦悩、辺野古の憤り 戦後73年、沖縄慰霊の日

  朝日新聞デジタル 2018年6月24日

 梅雨明けの青空の下、戦後73年の慰霊の日を迎えた沖縄。米軍普天間飛行場の移設工事は進み、戦争から始まった基地問題は今も島を揺さぶる。平和とは何か。人々は癒えない傷を抱えながら、悩み続けている。

 ■米軍に傷うずく

 米軍普天間飛行場がある宜野湾市。朝、遺族80人を乗せたバスが沖縄本島南ログイン前の続き部へ向けて出発した。糸満市の「平和の礎(いしじ)」や、無名戦没者をまつる「魂魄(こんぱく)の塔」などを巡った。遺族の一人、玉那覇(たまなは)秀子さん(82)は父と兄が現地召集され、沖縄戦で戦死した。自身は右腕のひじから先がない。

 米軍が沖縄本島に上陸した5日後の1945年4月6日、9歳だった玉那覇さんは母に手を引かれ、南へ逃げていた。米軍の艦砲射撃が雨のように降り注ぎ、日本兵は手投げ弾を持って米軍に突っ込んだ。「早く逃げないと」。母の声を聞き遺体を避けて歩いていると右手に激痛が走った。

 手のひらに穴が開き親指がぶらりと垂れていた。泣き叫ぶ母。義姉に背負われたが今度は右足を撃たれ、2人で倒れた。気づいた時は米軍の野戦病院にいた。

 2年後、宜野湾に戻ったが集落はなく米軍機がとまっていた。飛行場周辺の小屋に住み学校に通った。

 右腕に痛みはない。ただ、米軍基地をめぐる事件事故のニュースにふれると、右腕がうずく。21日も名護市の農作業小屋で米軍が使った可能性がある銃弾のようなものが見つかった。「ひどいね。恐ろしいことがまた起きた」。ふるさとは今も普天間飛行場のフェンスの内側にある。

 ■祖母の言葉響く

  宮城なつみさん(30)は、米軍嘉手納基地がある沖縄市から車で糸満市に出かけた。負傷兵の看護のために動員された「瑞泉学徒隊」の慰霊祭に出席するため。ただ、一緒に参列しようと約束していた祖母で元学徒の幸子さんが19日、心筋梗塞(こうそく)で死去。90歳だった。

 友達が死んだのに自分は生き残った罪悪感。故郷の渡嘉敷島の「集団自決」で両親が亡くなった苦しみ。なつみさんは幸子さんから沖縄戦の話を聞いてきた。幸子さんの自宅は宜野湾市。基地と隣り合わせの生活にいら立ちながら、名護市辺野古へ移すことにも憤っていた。「戦争につながる基地には絶対反対。それを誰かに押しつけるのはつらい」

 なつみさんは基地のまちで育ち、基地が近くにある生活に疑問を持つことはなかった。でも、辺野古の埋め立てが動きだして以降、祖母が基地を語り、なつみさんも考えるようになった。沖縄戦があって、米軍の占領があって、いまの基地問題がある。「祖母の言葉を聞いてきた自分に何ができるのか、答えを探していきたい」

 ■首相・知事、会釈のみ

 糸満市摩文仁(まぶに)の平和祈念公園であった沖縄全戦没者追悼式では、翁長雄志(おながたけし)知事と安倍晋三首相が顔を合わせた。昨年7月の故大田昌秀・元沖縄県知事の県民葬以来11カ月ぶり。首相の到着時と退場時に儀礼的な短い会釈をするのみで、言葉を交わすことはなかった。

 翁長氏は平和宣言で「辺野古に新基地を造らせない」などと政権を批判。安倍首相は「基地負担を減らすため、確実に結果を出していく決意だ」などと淡々とあいさつを終えた。追悼式終了後、首相は辺野古移設について記者団に「最高裁の判決に従って移設を進めていく」と語った。

 ■「生きる」 14歳祈りの詩

 糸満市摩文仁(まぶに)であった追悼式では、浦添(うらそえ)市立港川中学3年の相良倫子(さがらりんこ)さん(14)が「平和の詩」を朗読した。タイトルは「生きる」。相良さんは式の後、「とても緊張したけど、伝えたいことを一生懸命言えたと思う」と話した。

 〈みんな、生きていたのだ。/私と何も変わらない、/懸命に生きる命だったのだ。〉

 6分半にわたり、力強い声で暗唱した詩では「生きる」という言葉が繰り返される。「当たり前に生きる今が、とても貴重なものであることを伝えたかった」と言う。

 詩は94歳になる曽祖母のことを思いながら書いた。沖縄戦で友人を亡くし、収容所に入れられる過程で家族とも離ればなれになったと聞いた。「戦争は人を鬼に変えてしまう。絶対にしてはいけない」と幼い頃から何度も言われた。

 〈壊されて、奪われた。/生きた時代が違う。ただ、それだけで。/無辜(むこ)の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。〉

 見たことのない戦争の情景や、変わってしまった沖縄の風景を想像した。

 〈小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。/優しく響く三線(さんしん)は、爆撃の轟(とどろき)に消えた。/青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。〉

 詩を作り始めるまで、同級生や友人と戦争の話をしたことはほとんどなかったという。「詩を発表したことで、みんなと話題にできる。戦争や平和について一緒に考えたい」。そんな思いも込めた。

 〈私は、今を生きている。/みんなと一緒に。/そして、これからも生きていく。/一日一日を大切に。/平和を想(おも)って。平和を祈って。/なぜなら、未来は、/この瞬間の延長線上にあるからだ。/つまり、未来は、今なんだ。〉

 

 

沖縄慰霊の日

平和の詩「生きる」全文

  毎日新聞毎日新聞2018年6月23日

 沖縄県浦添市立港川中学校 3年 相良倫子

私は、生きている。

マントルの熱を伝える大地を踏みしめ、

心地よい湿気を孕んだ風を全身に受け、

草の匂いを鼻孔に感じ、

遠くから聞こえてくる潮騒に耳を傾けて。

 

私は今、生きている。

 

私の生きるこの島は、

何と美しい島だろう。

青く輝く海、

岩に打ち寄せしぶきを上げて光る波、

山羊の嘶き、

小川のせせらぎ、

畑に続く小道、

萌え出づる山の緑、

優しい三線の響き、

照りつける太陽の光。

 

私はなんと美しい島に、

生まれ育ったのだろう。

 

ありったけの私の感覚器で、感受性で、

島を感じる。心がじわりと熱くなる。

 

私はこの瞬間を、生きている。

 

この瞬間の素晴らしさが

この瞬間の愛おしさが

今と言う安らぎとなり

私の中に広がりゆく。

 

たまらなく込み上げるこの気持ちを

どう表現しよう。

大切な今よ

かけがえのない今よ

 

私の生きる、この今よ。

 

七十三年前、

私の愛する島が、死の島と化したあの日。

小鳥のさえずりは、恐怖の悲鳴と変わった。

優しく響く三線は、爆撃の轟に消えた。

青く広がる大空は、鉄の雨に見えなくなった。

草の匂いは死臭で濁り、

光り輝いていた海の水面は、

戦艦で埋め尽くされた。

火炎放射器から吹き出す炎、幼子の泣き声、

燃えつくされた民家、火薬の匂い。

着弾に揺れる大地。血に染まった海。

魑魅魍魎の如く、姿を変えた人々。

阿鼻叫喚の壮絶な戦の記憶。

 

みんな、生きていたのだ。

私と何も変わらない、

懸命に生きる命だったのだ。

彼らの人生を、それぞれの未来を。

疑うことなく、思い描いていたんだ。

家族がいて、仲間がいて、恋人がいた。

仕事があった。生きがいがあった。

日々の小さな幸せを喜んだ。手をとり合って生きてきた、私と同じ、人間だった。

それなのに。

壊されて、奪われた。

生きた時代が違う。ただ、それだけで。

無辜の命を。あたり前に生きていた、あの日々を。

 

摩文仁の丘。眼下に広がる穏やかな海。

悲しくて、忘れることのできない、この島の全て。

私は手を強く握り、誓う。

奪われた命に想いを馳せて、

心から、誓う。

 

私が生きている限り、

こんなにもたくさんの命を犠牲にした戦争を、絶対に許さないことを。

もう二度と過去を未来にしないこと。

全ての人間が、国境を越え、人種を越え、宗教を越え、あらゆる利害を越えて、平和である世界を目指すこと。

生きる事、命を大切にできることを、

誰からも侵されない世界を創ること。

平和を創造する努力を、厭わないことを。

 

あなたも、感じるだろう。

この島の美しさを。

あなたも、知っているだろう。

この島の悲しみを。

そして、あなたも、

私と同じこの瞬間(とき)を

一緒に生きているのだ。

 

今を一緒に、生きているのだ。

 

だから、きっとわかるはずなんだ。

戦争の無意味さを。本当の平和を。

頭じゃなくて、その心で。

戦力という愚かな力を持つことで、

得られる平和など、本当は無いことを。

平和とは、あたり前に生きること。

その命を精一杯輝かせて生きることだということを。

 

私は、今を生きている。

みんなと一緒に。

そして、これからも生きていく。

一日一日を大切に。

平和を想って。平和を祈って。

なぜなら、未来は、

この瞬間の延長線上にあるからだ。

つまり、未来は、今なんだ。

 

大好きな、私の島。

誇り高き、みんなの島。

そして、この島に生きる、すべての命。

私と共に今を生きる、私の友。私の家族。

 

これからも、共に生きてゆこう。

この青に囲まれた美しい故郷から。

真の平和を発進しよう。

一人一人が立ち上がって、

みんなで未来を歩んでいこう。

 

摩文仁の丘の風に吹かれ、

私の命が鳴っている。

過去と現在、未来の共鳴。

鎮魂歌よ届け。悲しみの過去に。

命よ響け。生きゆく未来に。

 


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