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仁藤夢乃“ここがおかしい”第31回 守るべきは何か?

2018年11月28日 | 社会・経済

 バスカフェ運営で感じたこと

  Imidas 連載コラム

 10代女子無料のバスカフェオープン!

 2018年10月17日、バスを使った無料の夜カフェ「Tsubomi Café(ツボミ・カフェ)」を歌舞伎町(東京都新宿区)でオープンさせた。開催初日は女の子たちが来てくれるか心配していたが、オープンの1時間以上前から待っていてくれた少女たちがいた。

 ツイッターで「#家出」や「#神待ち」といったハッシュタグを調べて、バスカフェのことを知ったという中学生や、親に首を絞められて「家に帰るのが怖い」と話す中学生、「これからホスト(クラブ)に行く」「ネットで知り合った彼氏に浮気されていて、家にも居場所がないし死にたい」などと話す高校生がやってきた。

 家出をして何日も路上をさまよっている時にバスカフェのことを知り、ここへ来ることを目標に過ごしてきたという2人組の高校生や、漫画喫茶で生活をしていたり、体を売って生活をしていたりするという高校生もいた。「お腹すいたー」「早くご飯食べたい」と言い、提供した食事をたくさん食べてくれた。

 バスカフェの周辺で、スタッフに声を掛けられたのがきっかけで来てくれた人もいた。「寝られる場所が欲しい」「お風呂に入りたい」という人もいた。初日は15人が利用し、こうした場所が必要とされていることを改めて感じた。カフェに備え付けていたベンチで仮眠する高校生もいた。

 バスカフェには15歳頃からColabo(コラボ)とつながり、今は20歳前後になった女の子たちが手伝いに来てくれている。オープンを知り、「手伝いたい」と連絡をくれた。「うちが中学の時こういう場所があって、今日なにがあったとか話せれば良かった」と話してくれた人もいる。彼女たちが、カフェにやってくる子たちに「ここ座る〜?」「どこから来たの?中学生?」と声を掛けてくれるのを、うれしく思っている。

 新幹線に乗り家出をしてきていた少女

 2回目の開催は渋谷神宮前(東京都渋谷区)。中心街から少し離れた公園での開催だったが、この日も12人の少女が利用してくれた。

 前回、女の子たちから「寒い!」「温かい物が欲しい」という声があったので、寄付を募ってブランケットやカイロを増やし、お湯を用意して即席の味噌汁やスープを作れるようにした。また、育ってきた環境のせいで手作りの食事を受け付けず、レトルトパウチに入った加工品しか食べることのできない少女もいたため、フードバンクからカップ麺や袋入りのパンを提供してもらった。野菜が苦手で食べられなかったり、煮物など食べ慣れていないものを口にしなかったりする子も多く、今回はボランティアの協力でドライカレーやリンゴのパイも用意した。

 バスカフェ開催日は、スタッフやボランティアが街で少女たちに声掛けを行っているが、この日、渋谷のハチ公前交差点で声を掛けた少女は地方から新幹線に乗り、家出をしてきていた。バスに迎え入れた時のにおいで、何日もお風呂に入れていないのだろうと感じた。家族の虐待から逃れるため「遠くに行きたくて」東京に来たものの、行くあてがなく、お金も尽きて困っていたという。私たちの前にも数人の男性に声を掛けられ、「付き合わない?」「よかったら4人でセックスしない?」などと言われていたそうだ。

 児童相談所にも保護されたことがあるが、自分の言い分を信じてもらえなかったことから、児童相談所は頼れないと思っていたそうだ。もし私たちが出会っていなかったら、どうなっていただろう。性的搾取を目的とする男性に狙われ、さらなる傷を負うことになっていたのではないかと思わせられる出会いだった。

 この少女のような場合には、一時的な宿泊場所を提供し、その後も本人の希望を尊重しながら必要な支援を行っていく。

 「相談」や「問題解決」を目的としない場

 3回目のバスカフェも、13人の少女が利用した。経済的に厳しい生活をしていることから服や下着をとてもありがたがって、持って帰った人もいた。

 この日は有志の人が作ってくれたおでんや、リンゴの蒸しパンを提供した。新宿区の協力で、おでんを温めながら提供することができた。おでんの具は大根と玉子が人気で、練り物を選ぶ人は少なかった。手作りお菓子はうれしいようで、蒸しパンはすぐになくなった。

 白米のご飯は、食べない人も多いことが、だんだん分かってきた。協力してくれた有志の人は、私たちから聞いた女の子たちの反応を受けて、「野菜を、和食を食べさせてあげたい!という当初の意気込みは、やはり心のどこかに上から目線がありましたね。女の子たちが食べてくれる物なら何でも作ります! メニューのご提案をよろしく」と言い、次はどんなメニューにしようかと考えてくださっている。

 まだ3回の開催だが、延べ40人の少女たちが利用してくれた。2回、3回と来てくれた人もいる。困難な状況にある人だけでなく、「声を掛けられたから来た」「タダでご飯を食べられるからラッキー」「携帯充電したかったからちょうど良かった」という理由で立ち寄ってくれる人たちもいる。そういう女の子たちが来てくれる場になることで、本当に困っている人も駆け込みやすくなる。

 以前のエッセーにも書いたが、この活動は「相談」や「問題解決」を目的としない場作りを意識している。「困っている人、集まれ!」などと言ったら、本当に困っている人は来られなくなる。困っていてもいなくても、早い段階でつながり、顔見知りになることで、何かあった時に思い浮かぶ顔の一つになれればと思っている。

 10代女子限定にしなければならなかった理由

 開催初日、新宿区役所前でバスカフェを運営していた私たちに、たくさんの男性たちが「これはなんですか?」と声を掛けてきた。性売買斡旋業者のスカウトが偵察にきたり、「区民なんだから中を見せろ」と言ってくる人もいたりした。

 私たちは、少女たちが安心して過ごせるように「10代女子限定の無料カフェ」としてこの活動をしているが、「なぜ女子だけなのか」「男子だって困っている人はいる」「男性差別だ」などと言う人もいる。こうした反応は「女性専用車両は男性差別だ」「女子大はあるのに男子大がないのはなぜだ」などと同じくよくあるものだが、女性差別の歴史や、男女平等が実現していない現代社会への理解が足りない人々によるものだ。

 私たちは活動で出会った少年に対しても支援を行っており、男性でも被害に遭うことは知っている。しかし日本では、圧倒的に女性の方が搾取されやすく、特に若年女性に対する性暴力や性の商品化が深刻だ。

 参考にした韓国の支援バスは、男女問わず青少年が利用できるようになっていて、日本でもそうできたらいいなと考えていた。しかし日本では同じような境遇の少年たちが、少女を搾取する側のスカウトやホストなどとして使われていることが多いため、「10代女子」を基本にしようとしたのだ。

 初日から早速、少女たちの知人や友人のふりをして偵察に来るスカウトや、バスに女性を送り込んでカフェに来ている少女の様子やシェルターの場所などを探りに来る業者もいた。私たちは、少女たちが安心して利用できる場にするため、「10代女子限定」を徹底せざるを得なくなった。

 そのクレーム対応、ちょっとおかしくない?

 カフェの初日、活動に関係のない男性がやってきて中をのぞこうとした。警備担当者が「何かご用ですか?」と声を掛け、少女たちのための場所であることを説明すると、「区民として何をやっているのか見るくらい、いいだろう」「どこの誰の許可をもらってこの場所を使っているのか」などの質問をしつこく繰り返した。

 クレームを言うことを目的に来ていたように思えたが、都や区と連携して活動していることを伝え、これ以上は行政窓口に問い合わせて欲しいことを伝えてお帰りいただいた。

 すると、「その場で丁寧な対応をしてもらえなかった」「質問にはその場で答えて欲しかった」「次回の開催日に確認に行く。それまでに団体を教育しておくように」「本当は団体に問い合わせたかったが電話番号も公開されていない」「都の事業としてやっているならしっかり教育すべきだ」「テントの中にいる女の子たちの顔や制服が見えており、どこの誰だか特定される恐れもある。プライバシーへの配慮をした方が利用者もより利用しやすいのではないか」「どこの誰が何に基づいてやっているの分わかるようにして欲しい」などと都と区にその男性が連絡を入れたようだった。

 これを受けて都や区から、バスの入り口に「『平成30年度 東京都若年被害女性等支援モデル事業』という看板を掲げさせていただければ……」という連絡があった。

 本事業は、公的機関に自ら相談したり支援を利用したりすることにハードルを感じ、つながれていない少女たちとつながることを目的として始まった。

にもかかわらず人目に付く場所に「若年被害女性等支援モデル事業」などと張り出していたら、本末転倒だと分からないのだろうか? もしあなた方が中高生で、そのカフェを利用するだけで「被害女性」などと思われたら、嫌ではないのだろうのか? とがっかりした。

 問い合わせは全て行政窓口に……では困る

 バスカフェを利用する少女たちが虐待や性暴力の被害に遭ったり、孤立困窮した少女たちとして好奇の目で見らたりすることをなくすためにも、「若年被害女性」などと掲げることは危険である。そうした危険から少女たちを守りつつ、利用のハードルを下げて本当に困っている人と出会いつながるためにも、被害に遭っている/いないにかかわらず、どんな少女たちも利用できる場にすることが必要だと考えている。

 被害に遭った少女たちを隠そうとする社会や、「保護」の名の下に社会から隔絶するようなやり方で彼女たちを管理しようとする公的支援の在り方に問題と限界があるため、このような事業が始まった。開かれた場所に、少女たちが気軽に来たいと思える場所を作ることが必要で、そのためにカフェという形で「街中に、普通に存在すること」を重視してバスカフェを始めたのだ。

 少女たちの利用しやすさを守るためにも「それはできない」と伝えたが、理解を得るには時間が掛かった。東京都からは、こうした行政に対するクレーム対応をColaboが引き受けられるよう業務用の携帯電話を契約し、問い合わせ専用番号を公開して、専用のスタッフを付けることもお願いされた。

 彼らによると、「こうした問い合わせをされるのは高齢の方が多く、連絡手段は主に電話で、話を丁寧に聴くには面談となる」「Colaboは事務所の電話番号が非公開で、所在地も明かせないとしている。それだけで自分たちの問い合わせには答える気がない、と受け取る方が今後も出てくるだろう」という。そうして「このようにクレームを入れたり、メールは嫌なので電話で問い合わせをしたいという方々は、若者を低く見る傾向があるので、年かさの理事などに業務用携帯電話を持たせて対応担当者にするといい」「電話での問い合わせは全て行政窓口に……では困る」などと言われた。

 こうした意見をある程度受け止めたり、対策を考えたりする必要はあると思う。しかし行政と違い、小さな組織で予算も人も限られている私たちは、活動に支障が出ない範囲で可能な対応をしないと本来の目的が達せられなくなる。

 ギリギリまでシビアな活動なのを分かって欲しい

 私たちは、虐待の加害者や買春者、性売買斡旋業者、児童ポルノ愛好家など、活動自体を良く思わない人から過去にさまざまな妨害行為を受けており、相談者やスタッフを守るため拠点の住所や電話番号は非公開としている。問い合わせはメールやホームページからできるようになっているが、レイプ予告を書き込まれたりする。また、「自分は同世代の女性には相手にされない性的弱者だ。少女を眺めて楽しむことくらい許して欲しい」「Colaboに来る子にお尻を拭いて欲しいのでトイレットペーパーを寄付したい」などと言いながら、講演会や活動現場でつきまとう男もいる。そのためスタッフは必ず2人以上で行動し、講演会などではしっかりとした警備をお願いしなければならない状況がある。

 バスカフェについても、性的搾取を企む業者らが盛んに少女たちへのスカウト行為をしている場所であることなどから、暴力団対策に長けた弁護士に警備をお願いしている。カフェに入ろうとしたり、関心を持って声を掛けてきたりする人には、対象者でなくてもできるだけ丁寧に対応するが、あまりにしつこい場合や危険を感じた場合は警察を呼ぶことも考え、都や区にも相談した上で警察署の協力もお願いしている。

 最近、東京都港区では児童相談所の開設に、地元区民が反対の声を上げている。困難を抱えた子どもたちに偏見を持つ大人がたくさんいる社会の中で、「モデル事業」の貼り紙をすれば、「これはなんだ」「どうしてこんな子どもたちを支援するのか」「問題を抱えた子どもをこんなところに集めたら困る」などと言い出す人も現れるのではないか。

 さらに新宿区からは、「行政からの委託を受けていれば、その事業は“行政”なのです」とも言われた。でも行政からの委託を受けていようが、私たちは民間支援団体だ。私も構成員をつとめる厚生労働省の「困難を抱える女性に対する支援のあり方に関する検討会」においても、「行政だけではできない部分を民間に委託したり連携したりする場合、行政と民間との対等な関係性が必要だ」ということが今後の課題として上がっている。が、この間、モデル事業に関する行政とのやりとりの中に「対等な関係性」はほとんど感じられなかった。職員の方の個人的な人柄や想いはよくても、組織としてそういうやり方が染み付いてしまっているのかもしれない。

 私たちは、民間だからできることを今後も行政とも連携しながらもやっていきたいと考えているが、行政の都合に支配されないためにはかなりの時間や労力が必要で、負担も大きいことを身に染みて感じている。このままでは行政との連携のため少女たちが支援を利用できなくなってしまう。

 クレーム対応のための電話やスタッフを確保する費用、現地へ押し掛けてきた人に説明するための場所に掛かる費用、その間の警備費用、応対スタッフのケアに要する費用などを用意してくれるのなら前向きに検討する。だけどそれ以前に、こうした意見する人たちから少女たちを守ろうとするのではなく、ボランティアや寄付金で運営している民間団体にその対応まで押し付けようとする行政に疑問を抱かされた。

 一番大変なのは無自覚に無理解な大人たち

 バスカフェを利用する少女たちやスタッフ、また活動を見守り支えてくれる人の中にも区民や都民はたくさんいるのに、声の大きい人からの意見には過剰に反応し、声を上げられない人への配慮が全然ないのはおかしいのではないか。同時に、「こういう活動は大事!」という声を、多くの市民が行政に届ける必要もあると感じた。

 活動を応援してくれている多くの人は、直接支援することも、声を上げることもなくそっと見守ってくれているだろう。そうした人々が少しでも声を上げ、少しでも支援をしてくれたなら、行政に対して一言でいいから意見してくれたなら、こういった本来の活動からずれた苦労を私たちがしなくても済むかもしれないと思った。

 それとバスカフェの開催中は、活動の邪魔になるのでスタッフへの挨拶や差し入れは遠慮して欲しいと繰り返し伝えているにもかかわらず、取材や見学希望者が相変わらず後を絶たない。Colaboは活動への理解、スタッフや女の子たちへの配慮が感じられない人の取材はお断りしている。応援者の寄付金などに支えられてなんとか運営している以上、スタッフには極力負担を掛けないでもらえるよう理解を求めたいし、何より大人がたくさんいるとカフェに中高生が来なくなってしまう。

 住所公開のオープンな場所に、いつでも駆け込めて、泊まれる場所を作りたいと思い続けて実現できないのは、虐待者や性売買斡旋業者などの加害者、攻撃目的や興味本位で来る人たちから女の子たちやスタッフの安全を確保するためだけではない。自分の都合を優先させる大人たちによる、無自覚な暴力を避けられないからだとも感じている。

 活動していて「大変では?」とよく聞かれるが、女の子たちとのかかわりは苦ではなく、楽しくうれしいこともたくさんある。一番大変なのは、無自覚に無理解な大人たちとのやりとりだ。こんな世の中を少しでも変えたいと思うけど、途方に暮れかける。そんな繰り返しの中で、やれることをやり続けていきたいと思っている。

 


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