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雨宮処凛 植松聖被告の法廷に通って

2020年02月12日 | 事件

相模原事件裁判傍聴記〜「歌手とか野球選手になれるならなってると思います。(事件は)自分がなれる中で一番有意義だと思いました」(植松聖被告) 

  imidas時事オピニオン2020/02/11


    相模原の障害者施設で入所者を殺傷した事件の植村聖(うえまつ・さとし)被告について、雨宮処凛さんは、取材を重ねてきた。2020年1月から始まった事件の裁判、2月の法廷の傍聴記をお届けする。
   「あなたは小学生の時、『障害者はいらない』という作文を書いてますね?」
 法廷で、被害者側の弁護士にこう聞かれた植松聖被告は「はい」と言った。
 その瞬間、これまでの傍聴で積み上げてきた「植松聖」像がガラガラと崩れる音がした。それは法廷で初めて語られた事実だった。これまでの裁判での友人たちの供述は、「事件前年までは普通だった」「小中学校の同級生は彼から一度も障害者を差別するような言葉を聞いたことがない」「小中学校の時、障害がある生徒を同級生として受け入れていた」というものだったからだ。

私が植松被告の裁判に通う理由
 相模原市の障害者施設「津久井やまゆり園」で、入所者19人が殺されたのは2016年7月。事件前には衆議院議長に犯行を予告する手紙を送り、犯行直後、SNSに「世界が平和になりますように」「beautiful Japan!!! !!!」と投稿し、自首したのは26歳(当時)の元施設職員だった。
 事件から3年以上。20年1月8日、やっと裁判が始まった。
 そんな裁判に、私は通っている。2月7日現在、12回行われた公判のうち6回を傍聴している(1月20・24日の傍聴記はこちら)。なぜ通うかといえば、この事件と日本社会の空気には大きな関係がある気がするからだ。
 例えば植松被告は逮捕後、日本の借金を憂える発言を繰り返している。日本の財政は破綻寸前、そんな危機的状況の中、障害者を生かしておく余裕なんかない、という言い分だ。障害者を殺傷した犯人が口にすると、ことさら「異常さ」が際立つその言い分はしかし、私たちの日常に溶け込んでもいる。
 いつからか「高齢化」が報じられる時は「医療費としてこれだけの金がかかっている」などお荷物感とセットで語られ、「日本は少子高齢化で社会保障の財源がないんだから、ある程度“命の選別”をするのは仕方ない」という空気は気づけばこの国を覆っている。10年前だったら口に出すのがはばかられた考えだろう。が、残酷な「本音」が「建前」を打ち破り、「命は大切だ」というような「正論」を口にする者が「現実を何も分かっていない」と嘲笑される光景があちこちにある。
 そんなこの国に溢れる「生産性」「迷惑」「一人で死ね」という言葉。「失われた20年」を生きる私たちは、「障害や病気があれば公的に守られるけど、障害者でもなく病名もないなら自己責任で競争に勝ち続けてください。負けたら野垂れ死でよろしく」という無理ゲーをこの20年以上強いられている。

面会室で向かい合った植松被告の印象
 相模原事件は、そんな自己責任社会がぱちんと弾けた象徴のように思え、私はこの事件をずっと考えてきた。19年9月には『この国の不寛容の果てに 相模原事件と私たちの時代』(大月書店)という対談集も出している。
 そうして裁判が始まった今、傍聴を続けているのだが、公判を見れば見るほど謎は深まるばかりだ。植松被告は法廷でも、「障害者は不幸をつくることしかできません」といった事件前からのスタンスを崩すことなく主張し続けている。障害者がお金と時間を奪っている、障害者に使うお金を他のことに回せば戦争がなくせる、世界平和につながる、という荒唐無稽としか言いようのないものだ。
 一方で、公判を見ていると、植松被告は私が考えていたよりもずっと深刻な「妄想」状態だったのでは、と思わせるエピソードが次々と出てくる。世界の出来事を予言するという「イルミナティカード」への傾倒。「障害者を殺せばトランプ大統領が絶賛してくれる」「自分は選ばれた人間である」というような事件前の発言。また「UFOを見た」「日本は今年滅びる」「横浜に原子爆弾が落ちる」などと法廷で堂々と述べている。
 一体、彼の精神はどのような状態なのか、確かめるべく、1月30日には横浜拘置所に面会に行った(面会についての記事はこちら)。
 面会室で向かい合った植松被告は法廷で見るより「普通」で、しかし、同行した人が事件に触れると「自分の考えは正しいと思います」と頑なに主張。障害者がいらないなんて間違ってる、と言われると「それこそ間違ってる」「不幸な人がたくさんいるのに、ヨダレを垂らしてるような人が生きているのがおかしい」とぴしゃりと言うのだった。
 少しでも「攻撃された」と感じると、スッと心を閉ざして自分の主張を投げつける。面会の最後には唐突に「雨宮さんに聞きたいんですけど、処女じゃないですよね?」と私に質問。病気には見えないけれど、どこかが決定的にズレている。そんな印象を強く持った。

そもそも彼はなぜ障害者施設で働いたのか
 そんな植松被告、これまでの裁判では「事件前年の15年から急におかしくなった」というのが友人たちの供述調書から浮かび上がってきたことだった。それまではフットサルやバーベキューが好きな「チャラい」若者。が、やまゆり園で働き始めて2年目の15年頃からしきりに「障害者はかわいそう」と言うようになったという。「食事はドロドロ」「車椅子に縛りつけられている」等々。また、この頃から妄想じみた言動がひどくなり、約50人に「意思疎通のできない障害者を殺す」と言うようになる。行きつけの理髪店の担当者にまで言っている。
 しかし、2月6日に傍聴した第11回公判で、冒頭のように被害者弁護士に「あなたは小学生の時、『障害者はいらない』という作文を書いてますね?」と問われた植松被告はそれを認めた。書いたのは低学年の頃だという。
 また、この日の裁判では、中学生の頃に一学年下の知的障害者の生徒が同級生の女の子を階段から突き落としたのを見て、その障害者の腹を殴ったと発言。これも初耳だった。ではなぜ、そもそも障害者にいいイメージを持っていなかったのにやまゆり園で働いたのか。裁判でそう聞かれると、「仕事として考えればそんなに辛いことはないと思いました」と答えた。やまゆり園の前には配送会社で働いているのだが、そちらの給料について被害者側の弁護士に聞かれると、「23、4万円」と回答。一方、やまゆり園は19〜21、2万円で年60万円のボーナスも出たという。これまでの友人の供述調書によると、植松被告は配送会社を体力的にキツいという理由でやめている。

自分ができる一番有意義なこと、と言い放った植松被告
 さて、2月5日の法廷では、二人の被害者家族からの質問があった。一人は事件で亡くなった甲Eさん(女性・当時60歳)の弟。もう一人は事件で怪我をした尾野一矢さん(46歳)の父・剛志さんだ。ちなみに「甲Eさん」というのは被害者の多くが匿名を希望しているからで、法廷ではこのような名前で呼ばれている。
 姉の遺体と対面した時の話をしながら涙を拭い、どうして殺したのかと問いかける男性に、植松被告は淡々と言った。
「意思疎通のとれない方は、社会にとって迷惑になっていると思ったからです」「殺したほうが社会の役に立つと思ったからです」
 男性が「(あなたの)コンプレックスが事件を引き起こしたのではないですか」と問うと、植松被告は答えた。
「あー……確かに、えー、歌手とか、野球選手になれるならなってると思います。自分がなれる中で、一番有意義だと思いました」
 ポロッと出た本音に思えた。が、歌手や野球選手というキーワードは、30歳になった男性が持ち出すものとしてはかなり幼く思えた。この件については、翌6日の法廷で被害者側の弁護士に以下のように質問されている。
  弁護士 昨日、コンプレックスが事件を起こした、野球選手になれば事件はなかったということでしたが。
  植 松 そうだと思います。
  弁護士 人前に出たり、注目されたいということですか?
  植 松 人前や注目じゃなくて、楽しそう。
  弁護士 楽しそうだと事件を起こさなかった?
  植 松 こんな事件に興味なかったと思います。
  弁護士 あなたの人生楽しくないから事件を起こした?
  植 松 そうではなくて、楽しみたいから思いつきました。人の役に立つことを。
  弁護士 有意義な人生を別の形で送れていれば、事件を起こさなかった?
  植 松 興味なかったと思います。
  甲Eさんの弟の後に質問したのは尾野剛志さんだ。
「今、幸せですか」と聞かれ、「幸せではありません」「あーどうだろう」「面倒だからです」と答えた植松被告は「今のはちょっと失礼だな、不自由だからです」と言い直した。施設に勤務し始めてすぐの頃は「障害者はかわいい」と言っていたのに「必要ない」という考えに変わったのはなぜか、という尾野さんの問いに、植松被告は答えた。
「彼らを世話している場合ではないと思いました。社会に不幸な人はたくさんいるし、日本もそれどころではないと」
 なぜ、それが正しいと思ったのか、その根拠について聞かれると「お金と時間を奪っているからです」。
 翌2月6日の公判は、被害者側の弁護士からの質問だ。裁判を前に家族が実名を公表した美帆さん側の弁護士が質問する。美帆さんは、植松被告に刺され、19歳で亡くなった女性だ。
 美帆さんは人に幸せを与えていなかったと思いますか? と問われ、「そこだけ見ればそうかもしれませんが、施設に預けていることを考えれば負担になっていたと思います。お金と時間を奪っている。それで幸せになってはいけないと思います」。葬儀に多くの人が来たことに触れ、美帆さんがいることを喜ぶ人がいなかったと思うか? と聞かれると、「喜んではいけないと思います」と答えた。
  弁護士 あなたは美帆さんが人間でなかったと思うんですか?
  植 松 人間として生活することができないと思います。
  弁護士 人間と考えるべきでないということですか?
  植 松 そういうことです。
 法廷では、植松被告の両親についても被害者側の弁護士に質問された。植松被告は自分の親のことになると「言う必要はないと思います」など口をつぐむことがある。「自分は愛されて育ったと思いますか」と聞かれると、言った。
「比較的、いろいろ手をかけて頂いたと思います。学習塾、部活動、不自由なく生活させてもらいました」
 一方、親が障害者になったら殺すのかという主旨のことを問われると「自分で死ぬべきだと思います」「そうなったらおしまい。安楽死させられても仕方ない」。(「あなたが手を下す?」と聞かれて)「家族任せは心理的負担が大きいので医者がすべき」と答えるのだった。

全身にみなぎる「万能感」
 2月5、6日の法廷での一つのキーワードは「共生社会」だった。
 事件を起こしたことで、社会はあなたの考えるようになったか? と問われた植松被告は「キョウセイ社会に傾いたので、やっぱり無理だよね、となればいいと思います」と言った。
 キョウセイ社会? 共に生きる、ですか? と裁判官が確認したほどに、その言葉は植松被告にそぐわなかった。が、翌日もこの言葉について補足している。
「共生社会を目指す方向にいったのが、ある意味一歩前進したと思います。安楽死を認める上でそういう段階を踏まなくてはいけない。共生社会になれば現実的でないと分かる。実践として無理だったと分かる」
 共生社会という奇麗ごとはどうせすぐに破綻する、その結果、安楽死が認められると主張するのだ。また、「犯行前に戻れるとしたら、殺害以外の方法はないのか?」と聞かれると「デモなどしても意味がないと思います」と言った。
 さらにこの日は、植松被告が事件後につくった「心失者」という言葉にも触れられた。彼は意思疎通のできない重度障害者を「心失者」と呼んでいるのだが、それ以外の「心失者」はどんな人かと聞かれると、自分に手紙を出してきた殺人犯の話をした。手紙には、「若い女を監禁して殺しまくる小説が面白かった」と書かれていたという。その犯人は、女性を殺したそうだ。
「どうしようもないと思いました」
 梅松被告は軽蔑の滲んだ声で言った。そのような人も心失者に入るらしい。続けて「植物状態の人は?」と聞かれると、「絶対回復しないわけではないのですぐ殺すべきではありませんが、安楽死させるべきだと思います」。「名前、年齢、住所が言えない人は?」とさらに問われると、「安楽死させるべきです」と答えた。
 このような時、植松被告の全身に「万能感」がみなぎっているのを感じる。あらゆる者の生殺与奪の権利を自分が一手に握っている、という陶酔感。そんな権利、植松被告には微塵もないのに、どのような人間を生かし、どのような人間を殺すべきかという話になると、端から見ても脳内麻薬が出ているのが分かるほどに高揚するのだ。
 この「神目線」の快楽が、事件を読み解く一つの鍵のような気がする。何一つ思い通りにいかない若者(20代なんてだいたいそんなものだ)がすがった「自分が支配者だったら」という脳内ゲーム。すらすらと答える姿を見れば、誰もが「ずーっとこのことを考えていたんだろうな」と思うはずだ。
植松被告には一体、何が見えているのだろう?
 さて、2月6日の裁判の終わり頃、裁判員の一人が、殺害方法に触れた。植松被告は最初、心臓を狙って刃物を刺していたという。が、刃物が骨に当たって曲がったりし、自身も怪我をしたことから首を狙うようになる。
「やわらかい首に変えました」
 その「やわらかい首」という植松被告の言葉に、思わず自分の首を押さえそうになった。やわらかな首の皮膚に、刃物がスッと当たる冷たい感触。目の前の植松被告はあの日、無防備に寝ている43人を刺し、19人を殺害したのだ。刺し傷だけで100箇所以上。なのに、犯行当時、血の匂いはあまり感じていなかったという。
 ゾッとしながら、もう一つ、背筋が凍ったことを思い出していた。1月30日の面会で、私は植松被告に真鍋昌平氏の漫画『闇金ウシジマくん』(小学館)について聞いていた。1月24日の法廷で「横浜に原子爆弾が落ちる」「6月7日か9月7日に落ちる」などと言っていた植松被告だが、それが「『闇金ウシジマくん』に書いてあります」と述べていたからだ。面会でそのシーンが何巻にあるか聞くと「最終巻です。それの一番最後のところです」と言うので入手して読んでみた。
 しかし、『闇金ウシジマくん』の最終巻に、彼が言うシーンは存在しなかった。
 彼には一体、何が見えているのだろう?
               ◆
 2月7日の裁判で、植松被告の精神鑑定をした医師は、「意思疎通のできない障害者を殺す」という動機を「妄想ではない」とし、「病気による発想ではなく、園での勤務経験や世界・社会情勢を見聞きしたことにより形成されていった」と述べたという(神奈川新聞「被告の精神鑑定した医師が証言、事件への大麻の影響否定」、20年2月7日)。
 私の謎はまた一つ、深まった。
 判決は、3月16日に出る予定だ。


 ようやく、先ほど「解放」されました。この間、更新も不定期ながら、なんとかできました。この3日間江部乙にも行ってないし、散歩もあまりできていません。体がなまって腰痛気味。明日から普通の生活です。



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