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宝もの育てる社会に

2019年04月21日 | 社会・経済

  東京新聞社説 2019年4月21日

 平成の三十年が終わります。生活を支える社会保障制度は時代に寄り添えているか。何が働いて子どもを産み育てることを難しくしているのでしょうか。

「正社員になります」

 三月、東京都内のある小学校の卒業式でした。子どもたちは壇上で一人一人卒業証書を受け取り、これからの夢を宣言していました。目指す職業や進学する中学での目標を語る中で一人の男子が、こう言ったのです。

 職種ではなく働く身分を希望に挙げたことに戸惑いました。

 本来、働くことはやりがいや喜びを感じるものです。そして自分が社会の役に立っている実感を得る大切な営みです。

 だから職業に憧れを持ち目指す目標にもなる。この男子がなぜそう考えたのか分かりませんが、「正社員」でなければ将来の夢を持てないというのなら、その責任は大人にある。そう自問しました。

 平成の世に入りバブル経済が崩壊し経済が低迷する経験をしました。生き残りへ企業は賃金を抑える非正規雇用を増やしました。

 今春卒業した小学生たちが生まれた約二年後の二〇〇八(平成二十)年にリーマン・ショックが起きました。多くの派遣労働者が仕事と住居を一度に失いました。非正規雇用の不安定さを社会に突きつけた出来事でした。

◆非正規労働者は倍増

非正規で働く人はこの三十年で働く人の約二割から四割近くに増えました。人数は約二千万人と二倍以上です。

 一度、非正規で働きだすと技能向上の機会は少なく正社員になることは容易ではありません。働き方の多様化は必要なことでしょうが、低賃金で不安定な仕事では未来へ生きる力は湧いてきません。

 誰でも汗を流して働けばやりがいと生活できる賃金が得られる。そういった労働に戻さねばなりません。しかし、そこからますます遠ざかっています。それは人の出産や子育てにも影響します。

 一九八九(平成元)年は、女性が生涯に産む子どもの数・出生率が丙午(ひのえうま)を下回る一・五七となったショックから始まりました。出生率は今も低迷したままです。

 年間の出生数も同様です。かつては二百万人を超えた年もありましたが、故・堺屋太一氏は近未来を描いた小説「平成三十年」で二〇一六(平成二十八)年に晩婚化で百万人を割ると予測していました。小説が発表された一九九〇年代から有効策がないまま時間が過ぎ、それが現実となりました。

 子育ての困難さを表すこんな言葉があります。

「女性が一人目を産むには結婚できるかどうかが問題になる。二人目を産むには夫の子育て参加がカギを握る。三人目を産むには教育費など経済力が要る」

 低賃金で雇用も不安定だと結婚もままならない。長時間労働で仕事に追われる夫では子育てができない。安定した高収入がなければ学費を賄えないというわけです。

 平成時代、社会保障制度は高齢化には年金や医療が備えてきました。介護保険も始まり介護を社会で引き受けました。だが、政府は現役世代の生活を支える雇用は劣化に任せました。子育て支援も保育所整備など女性の仕事との両立支援などに限定されてきました。

 出生数百万人割れの年に「保育園落ちた」とのネット投稿が国会で問題になりました。入園の希望がかなわなかった保護者の叫びです。政府はやっと重要な政治課題だと気づいたように見えました。

 しかし、対策は保育所拡充など代わり映えしません。政府も社会も子育ては家庭が担うべきで、社会の役割はその「支援」だとの姿勢から脱していないようです。

◆「支援」から発想転換を

平成は現役世代を疲弊させました。このまま次世代に新時代を渡せません。子育てはもはや家庭の自助だけでは乗り切れません。介護をそうしたように社会が担う発想へ転換したい。希望すれば子どもを産み育てられるよう雇用や教育、税制、住宅もあらゆる政策を社会が育て合う視点で捉え直す。

それは地域でも、保育所新設に反対の声が上がる現状をもっと包容力のあるご近所付き合いに変えなければなりません。

 なぜなら子どもたちは社会の宝ものなのですから。少子化克服の知恵はそこからしかでてこない。

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今朝も強い霜。日中は15℃近くまで上がり過ごしやすい天気だった。それでも夕方になると寒い。
 雪の重石も取れて、笹が立ち上がってきた。刈払機を出し、笹刈り始め。いい汗かいた。

誰か、ガーデニングしたい人いないかなぁ。

無償で庭貸します。

 


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