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仁藤夢乃“ここがおかしい”第29回 バスを使ったアウトリーチを考えた理由

2018年10月10日 | 社会・経済

   imidas 連載コラム

   私が代表を務める女子高生サポートセンターColabo(コラボ)は、「すべての少女に衣食住と関係性を。困っている少女が暴力や搾取に行き着かなくてよい社会に」を合言葉に、中高生世代を中心とした女の子を支える活動を行っている。家に帰れず夜の街にいる少女たちへの声掛け、SNSなどを使っての相談業務の他、児童相談所や警察、学校、病院などへの同行支援、虐待や暴力などから逃れた少女たちが一時的に泊まれるシェルターを運営して食事、風呂、衣類、宿泊場所などの提供を行っている。

 さらなる支援が必要な場合は中長期シェルターで暮らしを支え、同じような境遇を生き抜いた女の子たちによる自助グループの運営、就労支援も行っている。2011年の団体設立から年間100名ほどの少年少女と出会ってきたが、18年度は相談が増え、半期ですでに200名以上と関わっている。

 「難民高校生」だった高校時代

 十数年前、中高生だった私自身も、父のDVや母のうつ病、その両親の離婚などで家は安心して過ごしたり眠ったりできる場所ではなく、街を徘徊(はいかい)する生活を送った。家族と顔を合わせれば暴言や暴力が飛び交うため、キッチンやトイレ、風呂、洗面所などの共有スペースを使うのにも気おくれした。家族が包丁を持ち出して、殺すか殺されるかしかない、と思った日もあった。

 そのため、親が仕事に出ている日中に家で仮眠し、夕方から街に出る生活をしていた。ファストフード店や漫画喫茶、居酒屋、カラオケの他、お金がない時にはビルの屋上に段ボールを敷いて一夜を明かしたこともある。空腹を満たすため万引きしたり、誰かが買ってきた安焼酎を回し飲みして体を温めたり、自傷行為のようにタバコを吸ったりもした。それが生き延びるための方法だった。そんな生活をしていたので、私はいつも体がだるく、月経が半年間止まったこともある。

 街では、自分と同じような苦しみを抱える中高生と出会った。雑居ビルの屋上で生活するホームレス状態の男友達もいた。彼はいつも、自動販売機の下に小銭が落ちていないか探し歩いていた。たまに500円玉を見つけると、牛丼か安いラーメンを食べるので、その日は顔色と機嫌が良くなっていた。

 当時「ネットカフェ難民」が社会問題化し、インターネットカフェで寝泊まりする30代男性がテレビでよく取り上げられているのを見ながら、「うちらも難民じゃね」「ホームレスだよね」とつぶやいていた。大人だけでなく、中高生にも家に帰れず生活をしている人がいるのに――と思っていたことから、当時の経験を『難民高校生 絶望社会を生き抜く「私たち」のリアル』(2013年、英治出版/16年、ちくま文庫)に書いた。自分と似た状況にある子どもたちの問題が「不良少年」「非行少女」として、子どもの問題、子どもが悪さをしている、という文脈でばかり語られるたびに「私たちにも事情があって街に出ているのに」「本当は家にいたいのに」と思っていた。

 無断外泊で安心して眠れない日が続くと、学校では遅刻や授業中の居眠りが増えて、先生から注意されるようになった。この生徒はなぜ眠そうなのか? ご飯をきちんと食べられているのか? と考えて声を掛けてくれたり、事情を聞いてくれたりした先生はいなかった。授業についていけず、成績もどんどん悪くなり「問題児」扱いされるようになった。

 日に日に少年補導が厳しくなる中、夜11時になると繁華街から移動し、住宅街の公園やベンチで隠れるようにして朝を待った。「死にたい」と願い、マンションの屋上から飛び降りようとしたり、自殺の方法をネットで検索したりしたこともある。朝帰りする電車の中で、同年代の高校生が部活の朝練に向かうのを眺めながら、自分を情けなく感じた。そして高2の夏、私は高校を中退した。

 親を悪く言いたくない、他人に親を悪く思われたくない、大ごとにしたくない、という思いから家で起きていることは誰にも話さなかった。学校では「家族は支え合い、親には感謝をするもの」と教えられていたので、「家族を大切にできない自分が悪いのだ」と思い込んでいた。親にも病気や障害があったり、経済的な事情があったりして、親も孤立していることを分かっていたので、余計に声を上げられなかった。

 そんな私たちに関心を寄せて声を掛けてくるのは、支援の手を差し伸べる大人ではなく、買春者や性売買あっせん業者など、危険に取り込もうとする大人ばかりだった。

 理解者であるかのように近づく危険

 今でも、そうした少年少女に路上やネット上で声を掛けるのは、手を差し伸べる大人ではないのが現状だ。少女の場合は買春者や、女子高生(JK)ビジネス店、違法の風俗店、児童売春などのあっせん業者。少年の場合は振り込め詐欺グループ、違法労働をさせる建築会社、除染作業のあっせん業者などが声掛けをしている。少女を違法風俗店にあっせんするスカウトマンとして、同じような境遇の少年が利用されることもある。

 東京都内の渋谷や新宿などの繁華街では、毎晩100人ほどのスカウトマンが街角で少年少女に声を掛けている。そうして被害に遭う子どもが後を絶たないのは、困っている子どもたちが支援につながる前に、危険に取り込まれているからだ。

 ある中学生の女の子は、父親に殴られて裸足で家を飛び出した真冬の深夜2時頃、街路で階段に座っていると男に声を掛けられた。事情を話すとコンビニでおにぎりを買ってくれ、手を握られて「怖くて抵抗できなかった」と言う。男の家に着き、おにぎりを食べると「歯磨きかお風呂、どっちかやる?」と聞かれ、断ったが強姦された。

 彼女は「声を掛けてくるのは、そういう人だけだった。眠くてもどこで寝たらいいか分からないし、関心を寄せてくれるのも、頼れるのもその人たちだけだった」と話した。

 父親からの性的虐待や兄の友人からの性暴力を受けて妊娠した少女が、妊婦専門の風俗店で売春して働き、出産後も「母乳」を売りにして性売買に縛られるしかないと思っていたことや、障害のある少女が狙われて性的搾取をされているケースもあった。

 あっせん業者や買春者は、少年少女に必要な「衣食住+関係性」を、支援者よりも先に与えることを手段として近づく。話を聞き、理解を示し、帰る場所がないと言う子には「寮」を用意し、少年補導から逃れられるよう「宿泊場所」も提供し、食事を与え、学習支援をしている店もある。彼らは子どもたちを「担い手」として捉え、仕事を与えて取り込む。

 女子高生の性を売り物にするJKビジネスの経営者たちは、ブログやTwitter、LINEなどに求人情報を掲載して組織ぐるみで巧みに少女を勧誘。店のTwitterアカウントを開設し、女子高生のアカウントをフォローして関心を引いたり、店で働く女の子のSNSで求人情報を拡散させたり、同世代の少女も使ったりしてスタッフ集めをしている。私はこれまで、JKビジネス店で働いた少女160名以上と関わっているが、その全員が客引き中、買春や性交渉を持ちかけられたという。

 子どもを利用しようとする大人たちは、どこに困っている子どもがいるのか、どうしたら子どもたちから信頼を得られるのかを知っている。

 公的機関や学校などでは、そうした子どもたちは「ケア」が必要な対象ではなく、「非行少年」「問題児」として扱われてしまうことがある。が、そうした孤立した子どもを狙う大人は、子どもたちの文化を学び、生活を否定しない形で、むしろ彼らの生活に入り込むようにして理解者であるがごとく近づいている。

 行政の「保護」を恐れる子どもたち

 危険に取り込まれる子どもたちが後を絶たない一方で、困難を抱えた少年少女が公的支援を受けるには高いハードルがある。子どもを守るはずの機関で不適切な対応をされたり、大人に傷つけられたりした経験から、少年少女たちにとって「保護」は恐れるものとなっていることがあるのだ。

 私たちも、街で声を掛けた少女に「保護じゃないよね?」と、おびえた様子で言われたことが何度かあった。

 子どもを保護するための体制が、困難を抱えた少年少女の実態と合っていない点も日々感じている。例えば児童相談所の開所時間はその多くが平日の日中のみで、午前8時半頃〜午後5時頃しか管轄児相での対応はされない。午後の遅い時間に子どもが保護を求めても翌日まわしにされることがほとんどで、放課後に相談するのだと開所時間に間に合わない。

 金曜日の午後3時頃、ある高校生が「親に殴られるので今日家に帰りたくない」と電話で相談したところ、「もうすぐ閉所時間だし、土日は休みだから月曜日にまた電話してください」と言われたこともある。児童相談所は夜間・休日を問わず、いつ駆け込んでも助けてくれる機関になるべきだと思う。

 保護のニーズが高まる夜間や土・日・祝日、年末年始に駆け込める公的機関は警察だけだが、警察は福祉的な視点で子どもに関われる機関ではない。

公的機関で唯一、積極的に困っている子どもを発見し、つながる活動をしているのも警察だが、それは「補導」という形になり、補導された子どもは生活態度を注意されたり、親や学校に連絡されたりし、家に連れ戻される。補導回数が重なると、犯罪を起こす可能性が高い「虞犯(ぐはん)少年」として鑑別所や少年院に送られることもある。

  だから私は中高時代、警察は「見掛けたら逃げるものだ」と思っていた。

  非行や家出に関わる子どもたちを「困った子」として、指導や矯正の対象とするのではなく、「困っている子」として捉え、家庭などの背景への介入や、福祉、医療、教育的なケアに子どもをつなげる「ケア付き補導」が必要だと思う。

 会いに行かなければ出会えない

 日々、私たちが関わっている中高生について、「そういう子どもたちは相談窓口には来ない」という声を支援の現場でよく聞く。家庭や学校などで傷ついてきた子どもたちが、自ら相談機関を調べて、面談の予約を取り、交通費と時間を掛けて相談に行くというのは現実的ではない。あきらめ感が強かったり、自暴自棄になったりしている子どもたちの多くは、「大人にあきらめられた」と感じる経験をしていたり、自己責任論の中で「自分が悪い」と思い込み、声を上げられずにいたりすることもある。

 私たちはこれまで、夜の街で家に帰らずにいる青少年を「発見し、出会い、つながること」を目的に、街に出て声を掛けるアウトリーチ活動を行ってきた。中学生の時に声を掛けられたのがきっかけで、その2年後、虐待で家に帰れなくなった時、生活を変えたいと連絡をくれた人もいた。街で出会ったことがきっかけで、ColaboのSNSでの発信を見ながら連絡をしてみるか迷い、1年以上たってから勇気を出して連絡をくれた人もいる。

 その時すぐに支援につながらなくても、「こういう人がいるんだ」と知ってもらうため、支援者側から顔を見せることが重要だ。

 そして、支援を利用することや、生活を変えることを強要するのではなく、本人が求めるタイミングで、何が必要か、どうしたらいいか、一緒に考えていける大人が増えてほしいと思っている。

 そこで私たちは、韓国における実践例を参考に、繁華街に停車させたバスを拠点にしたアウトリーチを今年(2018年)10月から開始する。韓国では首都ソウル市だけでも行政機関を含む7団体ほどが、バスを使ったアウトリーチや食事提供などを行っているという。

 このプロジェクトは渋谷区、新宿区と連携し、繁華街にキャンピングカー仕様のマイクロバスを停車させ、バスの周りにテントを置き、イスやテーブルを並べて食事をとったり、話をしたりできるような場を作る。そこを拠点に、スタッフとボランティアがチームに分かれて街中の少女たちに声を掛け、団体の活動やバスで受けられる支援を案内する。使い捨てカイロや電話用プリペイドカード、食料などの物品を提供したり、相談窓口の連絡先が載ったカードやグッズを配布したりする。

 ベース基地となるバスでも食事や物品の提供を行い、必要に応じて相談や、行政・病院などへの同行支援、緊急一時保護を行う。

 これまでは支援者が街で散開して個々に女の子に声を掛け、連絡先を伝える方法でアウトリーチを行ってきた。が、それだけでは少女たちも警戒したり、突然のことで驚くなどして、直接的な支援につながるケースは少なかった。そこでより効果的な支援、つながるきっかけ作りを行うため、街中に停車させたバスを拠点にすることにしたのだ。

 そうすることで、「あそこにバスがあってご飯が食べられるよ」「よかったら少し寄って行かない?」などと案内することができる。少女たちに足を運んでもらいやすくし、団体の雰囲気や活動を見せて、連絡先を伝え、顔の見える間柄になることで、困った時に気軽に連絡してもらえる関係性を作ることができればと考えている。

 支援につながらない多くの少女たちが、自分の困りごとに気づいていなかったり、共に状況を整理する大人がそばにいなかったり、「相談する」ということが思い付かなかったり、「逃げるな、甘えるな、お前のせいだ」などと言われたりして育ってきた。「相談する」「支援を利用する」という言葉や行為自体に抵抗感を持つ子も多い。そのため、私たちのアウトリーチでは「相談」を目的としない場を提供することで、そうした少女たちに出会い、利用してもらいやすい雰囲気作りを行いたい。

 問題解決を目的とせず「伴走支援」を

 私たちは問題解決を目的としない関わりを持つことで、一時的な支援ではなくその子の人生そのもの、その時々の悩みや気持ちの揺れにも寄り添い、日常的な暮らしへの伴走を通して自立を後押ししたいと考えている。

 11年のColabo立ち上げからこれまで、Colaboは一般の方々からの寄付や民間レベルの助成金、講演の謝礼といった自主事業費などで運営してきた。が、このほど18年度に厚生労働省が始めた「若年被害女性等支援モデル事業」において東京都の委託先となることが決まった。公的機関につながらない若年女性たちを民間団体が支えていることや、アウトリーチの必要性を国がようやく理解してできたモデル事業だ。それだけに期待はしているが、アウトリーチを強化したところで、そうした若年女性が安心して生活を送れる受け皿が足りない中、女性たちに「出会った責任」をどう取るのか。結局は民間に「自助努力」を求め、押し付けるような形にならないかが気掛かりだ。

 現状では私たちが出会う少女たちは、家出や性売買や犯罪に関わるなどした「非行歴」のある子どもとして捉えられている。その背景に虐待や生活困窮などがあって家にいられなかったとしても、受け入れ施設を探すには大変困難な状況がある。また、児童相談所の一時保護所や婦人相談所の女性シェルターなど、公的機関の保護の在り方は当事者を社会から隔絶させるようなものであり、管理的で窮屈な生活になることから、そうした機関を利用したがらない人が多い。

 Colaboでも少女たちの生活を支えるため、24時間見守り体制があり、食事が3食提供できて、中長期的に暮らせる場を作りたいと考えているが、そのためには人件費や家賃などの資金が必要になる。

 児童相談所などから子どもを預かるためにも、見守り体制は必要であり、少女たちが安心して過ごせる選択肢を増やすために「自立援助ホーム」を開設したいと考えている。しかし施設は不足しているにもかかわらず、東京都は増設しない方針だ。

 今年、開設の相談に行った際には、担当者に「現状ではColaboさんが必要だと思われている施設を作るために使える制度はない。現状の支援が不足しているということを我々の立場では言えないし、分からない。Colaboさんは現場で必要性を感じておられるのかもしれないが、調査をしてデータを取るなどしないと必要だとは言えず、予算も確保できない。それには時間が掛かるので、それまでは自分たちで寄付を集めるなどしてやってください。何事も初めは100%、民間の自助努力なんですよ。制度は後から付いてくる。それまで自助努力でお願いします」と言われてしまった。

 言っていることは分かるのだが、目の前の子どもたちを放っておけないし、彼女たちを危険に取り込む者たちは、待ってはくれない。これからも支援の不足と充実を訴えつつ、必要とされていることを、市民の方々の理解と協力を得て形にしていきたい。


 

長い文書になったので今日のわたしごとはヤメ。 



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