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いまだ残る精神病患者への偏見

2018年04月19日 | 健康・病気

精神疾患の子を監禁し続けた2つの事件〜なぜ親たちは適切な医療を受けさせなかった?

  ヘルスプレス - 2018年4月18日

  「座敷牢」――。精神医療の負の歴史として、過去のものとなったはずのその言葉を、まさか21世紀のいまになって想起されることになろうとは......。

 2017年末と今年4月に相次いで発覚した2つの監禁事件は、忌まわしい記憶が、過去のものとなっていないことを思い知らされた。

 親が精神疾患のわが子を長年にわたり監禁

 2017年12月23日に両親が自首したのは、大阪府寝屋川市で自宅内のプレハブに長年にわたって長女を監禁した事件だ――。

 同年12月18日頃に死亡した長女(33歳)は、1997年、小学校6年生の頃に精神疾患を発症し、学校を休み始めた。同年から両親は自宅内の小部屋で長女を閉じ込め始め、02年頃には父親がプレハブを改修。監視カメラ、二重扉、簡易トイレなどを設置し、「監禁部屋」とした。

 17年頃からは食事も1日1食しか与えられず、死因は極度の栄養不足で体温を保てなくなったことによる凍死だった。

 長女は2001年に複数の病院にかかり、統合失調症と診断されたが、入院するなどの適切な医療は受けていなかった。一方、両親はその診断を元に、月額約8万円の障害者年金を受け取っていたという。

  その事件の記憶がまだ覚めやらぬなか、4月には兵庫県三田市でも監禁事件が発覚した―

 42歳の長男が父親に閉じ込められていたのは、プレハブ内の木製の檻。南京錠がかかり、ペット用シートが敷かれていた中で、上半身に服を着ただけの姿で監禁されていた長男には、精神疾患があった。

 檻での生活は、実に20年以上に及んでいたと見られる。父親は監禁容疑で逮捕され、長男は現在福祉施設で保護されている。

   この2つの事件から思い出させられるのが、「座敷牢」という死語になったはずの言葉だ。明治から戦前にかけて、精神疾患の患者が閉じ込められた監護部屋は、このように呼ばれた。

 日本の精神疾患患者が受けててきた不幸

  1900年には「精神病者監護法」という法律が制定されている(1950年廃止)。これは精神病患者の親族に患者の監護を義務づけたもので、いわば「座敷牢」の設置を国家が公認したものだった。

 日本における精神医学の創始者とされる呉秀三(1865〜1932年)は、全国の座敷牢を実地に調査し、その調査結果を1918年に『精神病者私宅監置ノ実況及ビ其統計的観察』という本に著した。

 狭い土蔵や檻の中に監禁され、外に出ることのかなわない精神病患者の悲惨な状況に、呉秀三はこんな言葉を残した。

 「我が邦(くに)十何万の精神病者は実にこの病を受けたるの不幸のほかに、この邦に生まれたるの不幸を重ぬるものというべし」

 精神疾患になったことが悲惨なだけでなく、精神疾患の患者が非人間的な処遇を受ける国に生まれたことが、さらに不幸なのだ──。

 なぜ親たちは適切な医療を受けさせず「監禁」に?

 100年前に精神医学者が残したこの言葉は、今の日本には当てはまらないと言い切ることができるだろうか?

 精神疾患は、入院や通院といった適切な医療と服薬をすれば、症状を安定させることのできるケースも多い病だ。それなのに、適切な医療を受けさせず、「監禁」というあってはならない手段に及んだ理由は何だったのか?

 日本にいまだ残る精神病患者への偏見が、地域社会の目から患者を隠してしまう方向に、その親たちを及ばせたのかもしれない──。

 このような悲劇が起こらないためには、地域においてどのような医療や福祉の体制が必要だったのだろうか。2つの事件が日本の精神保健に突きつけた課題は極めて重い。 (文=里中高志)

 

里中高志(さとなか・たかし)

精神保健福祉士。フリージャーナリスト。1977年生まれ。早稲田大学第一文学部卒。大正大学大学院宗教学専攻修了。精神保健福祉ジャーナリストとして『サイゾー』『新潮45』などで執筆。メンタルヘルスと宗教を得意分野とする。著書に精神障害者の就労の現状をルポした『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)がある。