『柔和忍辱衣』
柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)とは、法華経の『法師品』等に説かれる衣座室(えざしつ)の三軌の一つであります。
衣座室の三軌とは、釈尊が薬王菩薩に対して、滅後に法華経を弘通する時の三種類の心得を説いたものであり、弘経の三軌ともいいます。
法華経『法師品第十』に、
「若し人此の経を説かば 応に如来の室に入り 如来の衣を著 而も如来の座に坐して 衆に処して畏るる所無く 広く為に分別して説くべし 大慈悲を室と為し 柔和忍辱を衣とし 諸法空を座と為す 此に処して為に法を説け」(開結三三一~二頁)
と、仏の滅後に法華経を説く者は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して法を説くよう示され、この如来の衣が「柔和忍辱衣」であります。
「柔和(にゅうわ)」とは、一般的に顔つきや性格が優しくゆったりとした様子をいいます。すなわち仏と自分との関係において、自分の心中に深く仏の教えを観じ、教えに随順していくことをいいます。柔らかで純真な気持ちを持つことであります。
日蓮大聖人様は『義浄房御書』に、
「相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。法華経の御為に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛に申せしは是なり」
と御教示であります。自分自身の心・無知蒙昧、慢心や我が儘な自分の心を師とするのではなく、師匠である日蓮大聖人様の教え、御法主上人猊下様の御指南に素直に随順して、実践していくことが肝要であります。
また、「忍辱(にんにく)」とは苦悩・迫害・侮辱に耐え忍ぶ不動心をいいます。
南無妙法蓮華経の正法を受持し弘宣していくならば、必ず増上慢の謗法の人から憎まれ謗られ、辱めを受けます。このような困難や迫害にあった時に、どこまでも耐え忍んでいくのであります。決して相手に対して感情的に怒ることなく、慈悲をもって接していく。心を込めて相手の幸せを思って忍んでいくのであります。
また衣とは、身体を覆い、寒暖より身を護り、命を護るものであります。
『法師品第十』には、
「如来の衣とは柔和忍辱の心是なり」 (開結三二九頁)
と説かれ、柔和忍辱の心や振る舞いは、仏の法と功徳を覆って護る姿であり、これを如来の衣といいます。
すなわち柔和忍辱衣とは仏法における衣の用きとして、仏法の功徳とその行者を護る強い不動心であります。衣が我が身を飾るように、この柔和忍辱衣は信心する功徳によって、我々の心身が荘厳されるのであります。
御法主日如上人猊下様は、
「折伏をしていけば非難中傷を受けるのは当然でありますけれども、そこで挫けてしまって臆病風を吹かせてはだめなんです。どんなことがあっても、それを乗り切っていくという、勇気ある行動が必要なのです」(折伏要文九頁)
と、南無妙法蓮華経の正法を弘めるに当たり、どんなに辛く苦しくとも耐え忍び、勇気をもって折伏し続けることの大切さを御指南であります。
また『教機時国抄』には、
「謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し」
と仰せであります。
南無妙法蓮華経を信じない謗法の人には、とにかく法華経を強いて説いていくことが肝要であり、たとえ相手が誹謗してもそれが毒鼓の縁となって必ず救われていくのであります。これは過去の不軽菩薩の但行礼拝行と同じ修行であります。
すなわち不軽菩薩は威音王仏の滅後像法時代に出現して、二十四字の法華経を説いて人々の仏性を礼拝しましたが、礼拝された人々はこれを憎み軽しめ、杖木瓦石をもって難を加えたのであります。しかし不軽菩薩は柔和忍辱衣をもってこれを耐え忍び、礼拝行を全うして成仏を遂げるのであります。そして、この不軽菩薩に迫害を加えた衆生は、一度は地獄に堕ちて大変な苦しみに沈みましたが、これが縁となり、逆縁の功徳によって罪を終え已った後に、成仏を遂げることが出来たのであります。
御法主上人猊下様は、
「我々は、相手が耳を塞ごうが何をしようが、この妙法蓮華経が尊いということを語っていく。つまり「この御本尊様以外に幸せになる道はありませんよ」ということを、きちっと言わなければだめなのです。自分で勝手に「あの人は言ってもだめよ」などと決めつけてはいけないのです。それでは「だめなのは、あなたの方ですよ」となってしまいます。ですから、自分勝手な解釈をしないことです。大聖人様の御妙判をよく拝すれば、いかにこの逆縁と言うことが、大切な一つの縁であるかということが、よく判ると思います。」(折伏要文五四~五頁)
と仰せであります。
相手が誹謗して背き続けようとも、これが逆に功徳となるのであります。法華経の不思議な功徳は計り知れないのでありまして、この逆縁成仏を確信して、慈悲をもって折伏を行ずることが大切なのであります。
本門戒壇の大御本尊様への絶対の確信をもって、常に南無妙法蓮華経とお題目を唱え、自己の怯弱な命、己心の魔を、確信と実践の功徳をもって打ち破って行くことが肝要なのであります。
今の時代は、この破邪顕正の折伏行が最も大切であり、柔和忍辱衣、本当に相手を思う慈悲の心が養われ、成長があり、感謝があり、自他共に大きな功徳を享受することが出来るのであります。
(聞正寺支部)
柔和忍辱衣(にゅうわにんにくえ)とは、法華経の『法師品』等に説かれる衣座室(えざしつ)の三軌の一つであります。
衣座室の三軌とは、釈尊が薬王菩薩に対して、滅後に法華経を弘通する時の三種類の心得を説いたものであり、弘経の三軌ともいいます。
法華経『法師品第十』に、
「若し人此の経を説かば 応に如来の室に入り 如来の衣を著 而も如来の座に坐して 衆に処して畏るる所無く 広く為に分別して説くべし 大慈悲を室と為し 柔和忍辱を衣とし 諸法空を座と為す 此に処して為に法を説け」(開結三三一~二頁)
と、仏の滅後に法華経を説く者は、如来の室に入り、如来の衣を着、如来の座に座して法を説くよう示され、この如来の衣が「柔和忍辱衣」であります。
「柔和(にゅうわ)」とは、一般的に顔つきや性格が優しくゆったりとした様子をいいます。すなわち仏と自分との関係において、自分の心中に深く仏の教えを観じ、教えに随順していくことをいいます。柔らかで純真な気持ちを持つことであります。
日蓮大聖人様は『義浄房御書』に、
「相構へ相構へて心の師とはなるとも心を師とすべからずと仏は記し給ひしなり。法華経の御為に身をも捨て命をも惜しまざれと強盛に申せしは是なり」
と御教示であります。自分自身の心・無知蒙昧、慢心や我が儘な自分の心を師とするのではなく、師匠である日蓮大聖人様の教え、御法主上人猊下様の御指南に素直に随順して、実践していくことが肝要であります。
また、「忍辱(にんにく)」とは苦悩・迫害・侮辱に耐え忍ぶ不動心をいいます。
南無妙法蓮華経の正法を受持し弘宣していくならば、必ず増上慢の謗法の人から憎まれ謗られ、辱めを受けます。このような困難や迫害にあった時に、どこまでも耐え忍んでいくのであります。決して相手に対して感情的に怒ることなく、慈悲をもって接していく。心を込めて相手の幸せを思って忍んでいくのであります。
また衣とは、身体を覆い、寒暖より身を護り、命を護るものであります。
『法師品第十』には、
「如来の衣とは柔和忍辱の心是なり」 (開結三二九頁)
と説かれ、柔和忍辱の心や振る舞いは、仏の法と功徳を覆って護る姿であり、これを如来の衣といいます。
すなわち柔和忍辱衣とは仏法における衣の用きとして、仏法の功徳とその行者を護る強い不動心であります。衣が我が身を飾るように、この柔和忍辱衣は信心する功徳によって、我々の心身が荘厳されるのであります。
御法主日如上人猊下様は、
「折伏をしていけば非難中傷を受けるのは当然でありますけれども、そこで挫けてしまって臆病風を吹かせてはだめなんです。どんなことがあっても、それを乗り切っていくという、勇気ある行動が必要なのです」(折伏要文九頁)
と、南無妙法蓮華経の正法を弘めるに当たり、どんなに辛く苦しくとも耐え忍び、勇気をもって折伏し続けることの大切さを御指南であります。
また『教機時国抄』には、
「謗法の者に向かっては一向に法華経を説くべし。毒鼓の縁と成さんが為なり。例せば不軽菩薩の如し」
と仰せであります。
南無妙法蓮華経を信じない謗法の人には、とにかく法華経を強いて説いていくことが肝要であり、たとえ相手が誹謗してもそれが毒鼓の縁となって必ず救われていくのであります。これは過去の不軽菩薩の但行礼拝行と同じ修行であります。
すなわち不軽菩薩は威音王仏の滅後像法時代に出現して、二十四字の法華経を説いて人々の仏性を礼拝しましたが、礼拝された人々はこれを憎み軽しめ、杖木瓦石をもって難を加えたのであります。しかし不軽菩薩は柔和忍辱衣をもってこれを耐え忍び、礼拝行を全うして成仏を遂げるのであります。そして、この不軽菩薩に迫害を加えた衆生は、一度は地獄に堕ちて大変な苦しみに沈みましたが、これが縁となり、逆縁の功徳によって罪を終え已った後に、成仏を遂げることが出来たのであります。
御法主上人猊下様は、
「我々は、相手が耳を塞ごうが何をしようが、この妙法蓮華経が尊いということを語っていく。つまり「この御本尊様以外に幸せになる道はありませんよ」ということを、きちっと言わなければだめなのです。自分で勝手に「あの人は言ってもだめよ」などと決めつけてはいけないのです。それでは「だめなのは、あなたの方ですよ」となってしまいます。ですから、自分勝手な解釈をしないことです。大聖人様の御妙判をよく拝すれば、いかにこの逆縁と言うことが、大切な一つの縁であるかということが、よく判ると思います。」(折伏要文五四~五頁)
と仰せであります。
相手が誹謗して背き続けようとも、これが逆に功徳となるのであります。法華経の不思議な功徳は計り知れないのでありまして、この逆縁成仏を確信して、慈悲をもって折伏を行ずることが大切なのであります。
本門戒壇の大御本尊様への絶対の確信をもって、常に南無妙法蓮華経とお題目を唱え、自己の怯弱な命、己心の魔を、確信と実践の功徳をもって打ち破って行くことが肝要なのであります。
今の時代は、この破邪顕正の折伏行が最も大切であり、柔和忍辱衣、本当に相手を思う慈悲の心が養われ、成長があり、感謝があり、自他共に大きな功徳を享受することが出来るのであります。
(聞正寺支部)