菱沼康介の、丸い卵も切りよで四角。

日々の悶々を、はらはらほろほろ。

死が二人を分かってくれない。    『サバイバル・オブ・ザ・デッド』

2010年08月08日 00時00分37秒 | 映画(公開映画)
 
で、ロードショーでは、どうでしょう? 第159回。



「なんか最近面白い映画観た?」
「ああ、観た観た。ここんトコで、面白かったのは・・・」







『サバイバル・オブ・ザ・デッド』







ゾンビのゴッドファーザーであるジョージ・A・ロメロのゾンビ・サーガの第6作目。

『ダイアリー・オブ・ザ・デッド』から続いて登場の軍人と、ある老人お目を通して描かれる、ゾンビまみれの世界で生きる人々の物語。
(実は、この軍人役のアラン・ヴァン・スプラングは、『ランド・オブ・ザ・デッド』にも出演していて、4・5・6作をつないでいる存在ともいえるんですが)



『死人の生き残り』というなんとも矛盾したタイトルが期待を煽る。
(邦題だけなら、以前にも同名作がある。原題は『VIOLENT SHIT 4 - NIKOS』というドイツ映画)
 
だが、そのタイトルも、少々思考を刺激するぐらいで、あまり物語内で有効に機能はしていないように思える。
なぜなら、そのテーマであるはずのゾンビの扱いへの新機軸であるはずのゾンビを調教することは可能か?は、すぐさまに放棄されるから。

作品が描くのは、この危機的状況にあっても、相手を疑い、組み伏せ、戦う生者のエゴだからだ。
その醜さと
だが、その世界が魅力的に映るのはどういうことだろう。
これはおいらの問題なのかいな?

いや、どうやら、ジョージ・A・ロメロが、西部劇的世界のかっこよさを、その醜さよりも、楽しんで描いているようなのだ。
そこには空しさよりも、突き通される意地さえ見えてきてしまう。
最後のカットの美しさは、その醜さを際立たせもするが。


もちろん、その戦い続け、老人の因果を若者にまで引き継がせるあきれた業への悲しさや空しさは描かれているのだが。


とはいえ、そこらの他のただゾンビが出ているゾンビ映画に比べ物にならない、人間社会の洞察があり、ゾンビ映画のゴッドファーザーならではの語りを存分に見せつけている。
乾いたユーモアとささやかなヒューマニズムは、唯一無二の世界観を作り出している。

なにより、フィクションのキャラクターの些細な成長がここまで取りざたされる(ゾンビがどのようになっていくか?)映画はそうあるものではない。
どうやら、次も作る意欲まんまんなので、期待をして待ちたいと思う。
ナイト、ドーン、デイ、ランド、ダイアリー、サバイバルと来たので、次は、なんでしょうね。
『ライズ・オブ・ザ・デッド』とかかしら。
逆に、『デス・オブ・ザ・デッド』とか?
















おまけ。
視点を3つにしたことも原因だと思う。
軍人と島の対立する老人二人、あくまで、老人二人か、若者に絞ってはどうだったろうか?
島から追い出される老人とともに、出ていく若者。
島に人を来る老人から離れ、一人街を旅する若者。
ハンターに捕まる。
軍人に助け出され、島へ案内する。
島に軍人と老人と戻る。
生き延びて、島を後にする。
まぁ、老人の目を通して、世界を見るいい機会とも見えるんだけどね。


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