空に問う。

空に問うても果てがない

だからかなぁ

2017-08-17 16:07:23 | 日記
萩市は世界的に珍しい火山地形で、阿武火山群という約50の小さな火山の集まりなんだって。平らな島が海上に浮いているが、あの島群も火山の名残りなんだって。

萩と言えば椿。笠山の椿群生林は有名でせき止められた明神池も美しい。ここが小さな火山であることは記憶してるけど、海上の島や付近が火山だらけだとは思わなったな。

しかし珍しい地形大好きだから、そそられるけど・・・いかない。いけない。

吉田松陰を神格化して政治利用した元長州藩士の山縣有朋。国防の父などと呼ばれてる。徴兵制を取り入れた人物でもある。伊藤博文ともに低い身分から出世した代表例でもある。たぶん明治維新がクーデターだったから起こり得た抜擢だと思うけど。

まあ実際に萩の松下村塾を運営していたのは吉田松陰のおじさんだったかなぁ?実質的に吉田松陰は松下村塾で門下生の指導などはしていない。今ではなんだか既成事実になっているけど。

おいらはどうも明治維新や新政府で活躍した元長州藩士が嫌いである。もちろん坂本龍馬も嫌いである。

維新にロマンを求める気持ちって戦国時代の武将をリスペクトするよりも愚かなんじゃないかと思う。まあ少なくとも戊辰戦争を起こさなければこんなに長州藩を嫌うことはないだろうが・・・。昔、福島に旅行に行ったときに「山口県は嫌いだ」と地元の人の話を聞いたことがある。

朝敵なのだから仕方がないとか戦争のせいにするのがあんまり好きではない。過去から見るから”あの日あの時”の瞬間が見えるのだと思うから、”もしも”という表現も好きじゃないけど、明治新政府が行った改革とはそれまでの日本を一切合切否定する行為に思えてならないからだ。幕臣はフランスに、薩長同盟はイギリスから武器を仕入れまた相当な借財もあった。江戸を戦の主戦場にすることで借財分の清算をしようとしたフランス、イギリスの思惑により戊辰戦争が起こったことはあまり知られていない。

明治維新とは純粋に西洋の文化に習い、日本オリジナルで行われた革命ではない。常に背後には欧州の企みがあったのは事実だ。

だから明治時代にロマンを馳せる気分にはならない。

一国一城と定められていたが、今でいう長州藩には二つの城があり、その一つが指月城と呼ばれた萩藩にある。まあ革命は萩藩士主体で行われているから正確には長州族の仕業でもないんだけど・・・。

一説には吉田松陰が処刑されたのは、その危険思想を慮った長州藩側からの申し出であった。まあだから頓死な訳で怨霊制度を用いて人神とするすることは出来る。しかし記紀神話の神と天皇及び天皇の臣下の神しか信仰を禁じられらた神道において新しい神を創出することに反論異論はなかったんだろうか?いまでは坂本龍馬も神となりご祀神として祀られてはいるが、しばらく人神は禁じられていた時代もある。

まあゴリ押しするのは同じ山口県出身の某総理大臣のやり方と似てるから、昔から権力を私物化し、法令を捻じ曲げるのは長州独特の得意業なのかも知れない。

おいらは日本の霊的なバランスが壊れたキッカケは神仏分離令や廃仏毀釈にあるのではないかと思うけど、そのモデルとされたのは遠い異国の話ではなく、島根西部のある町なのだと思ってるし、神仏分離の精神論は津和野藩から萩藩へ伝播したのか、またはその逆なのか分からないが、都と遠く離れた地で考えられた宗教革命でもある。神仏習合で慣らされてきた土地の霊性を無理変えたのも長州属の考えだと思う。だから安易に地元出身の思想家であり反逆者であり偉人でもある吉田松陰を神とした。

そして吉田の教えに習い侵略戦争を正当化した。

神道の政治利用の始まりだね。日露戦争以降、キリスト教の免罪符のように各地に招魂社を作り戦死した者ら神とした。その頃はまだ英霊と言う呼び名はなくて、忠魂、忠霊と呼ばれてた。英霊とは自らの命を差し出し他人の命を救う者への敬称である。

国のために犠牲となり尊い命を捧げさせるシステムを作りだした。いまISなどのテロリストを非難しているが、宗教が絡んだ政治的折衝を日本人は知らん顔してるけど、極めてそれに近いような信心を利用した国民統治支配が日本にもかつてあったことは忘れてはいけないと思う。日本人が元を同じとするキリスト教、イスラム教、ユダヤ教の宗教理念が理解できないように一神教側からも日本の宗教観は理解されることがない。日本にキリスト教が存在してもそれは日本のキリスト教でしかないのである。ローマカトリックが多宗教を思いやるような考え方が芽吹いたのはつい最近のことである。だから日本のカトリックは日本版カトリックであると言える。布教はどんな宗教にも課せられた教義の中の一つである。こういう教義を仏教にそのまま当てはめた新興宗教があるのも不思議ではない。

明治時代に法令と共に引き裂かれた神仏の分離。神は仏の慈悲を失くし、仏は武の精神を失くした。引き裂かれた空白を埋めるために神道と仏教はせめぎ合うこととなる。古代の神道的な儀礼には死生観がなく死の概念が曖昧であったから人間が肉体を失くすのもまた一つの生の形だと思われていた。神は普遍であり不死であったからだ。だから死の概念は仏教伝来とともに齎され、そこから始めて死後の概念が生まれている。

神は神になると自身の意思では死ねないし、仏のような寿命もない。恒久的ではあるが、その精神的思考上、神は人間が忘れると消えてしまう。姿を隠すことは役目を終えるという意味ではない。飢饉や転々地異、疫病などにより多くの命が奪われる。仏教が伝来するまでは、それこそ肉体は魂の抜け殻で、その肉体の物質性にはあまり意味がなかったから、埋葬するというよりは死体置き場が人里離れた場所に作られたり、奥深い山に築かれた。肉体を持たない魂(霊性)は山に還る祖霊になると思われていた。血統とか属性の意識も薄かったのかも知れない。

それまで儀礼として存在し、形の無かった神道的な精神論に血肉を与えたのが仏教(仏法)と言い換えてもいいのかも知れない。ただ恐れ敬い、その禍いが降りかからないように祈念する儀礼こそ神道であった。天変地異の原因や目に見えないウィスルの媒介で蔓延る疫病を鬼(霊)のように考えていた。人間の生活に身近なものでありながら、神とは人間から遠い存在でもあったと云うことだ。そして仏法には仏の定めた法すなわち教義を記した経典があり、信仰の対象となる人間の似姿の仏像があった。

神道復古の考えは古くからあるが、それは学問的な論調の部分が強かったのではないと思う。伊勢神道や吉田神道は早くから神のみの神聖さと儀礼を儀式化したけれど、多くは神仏習合と言う宗教形態を形成していた。実際に古い文献によると伊勢神宮の社殿も朱塗りであったし、江戸中期まで出雲大社も仏教要素が強い神社の一つであった。

まあ無理矢理に引きはがせるものではなくなっていたのに教義または習俗を無視して、神仏習合を法令で解体した。身分差別の激しかった長州、薩摩、備前などは幕府にも不満があったが、地域の権力者でもあった僧侶を憎んだのかも知れない。貧しい子は寺子屋で学ぶことすら出来なかったから。

そういう差別による迫害や復讐心もあって、新政府は思い切った政策をとったのではないのかなぁ。先に国教として考えたた大日本帝国の基盤となる予定だったのはキリスト教と比較的宗教的教義の似てる浄土真宗だったと言われてる。だが軍事国家を目指す新しい国の在り方を危惧したのか、殺生を禁じている浄土真宗が国教に選ばれることはなかった。まあ浄土真宗が武家の信仰を集めていたからこそ、新政府がよくやる盲目的な否定が起こったのかも知れない。

まあ革命とはすべてを否定するところから始まるジレンマかもしれない。

だけど神としての吉田松陰をおいらは別に否定も肯定もしない。信じる者がいる限り、神は神であると思うから。ただ松陰が神になりたかったかどうかは疑問だけど。

火山の話と一転矛盾するように思われるかも知れないが、火山地帯であると云うことは強い磁場が形成される土地であるということなのかなぁと思う。磁場が身体に与える影響がいろいろ研究がなされてる。富士の樹海で道に迷うのは磁場により磁石が役に立たないなんて話もあるでしょ。

そして極めて珍しいタイプの火山群だし、千年前に益田市沖で起こったとされる万寿の津波(万寿地震)にも関係しているんじゃないのかなぁと思う。阿武火山群地帯と益田市は隣接しているしね。

なんとなく現在の県境を共有する島根県西部と山口県東部には政治的な意味合いよりも土地の特殊な力で結びついた何かしらの気配を感じずにはいられないのである。山口県のハザードマップを見ると地震は内陸部で多発しているが、万寿地震の際は萩市須佐付近にも多大な被害を齎したようだ。この地震のより津波被害を免れているのは旧浜田市街なのも見逃せないけど。文献に残る被害だと三隅地区、江津、仁摩、大田には万寿地震の形跡や津波、文献伝説伝承が残っているが、浜田市にはない。考えてみると幕末に多大な被害もないし、歩兵連隊がありながらも空襲の戦火を経験していない。なんでだろう???不思議ではある。

まあ神が不在だったからかも知れない。伝統芸能で神楽は盛んだけど、反して神社の祭祀や例祭が盛んであるかと言えば、そんな雰囲気もないし、ほぼほぼ仏教的な感じだろうか?まあ連隊があったから他と同じように神社での祈願は盛んだったと思うけど今はほぼ消えている。不思議な町だ。しかも霊的なバランスが全く取れていないのに地勢が乱れてる訳でもない。神仏習合的なトライアングルのお蔭かなぁ。そうだとしたら先人に感謝する。1200年前の阿波忌部氏の結界のお蔭かも知れないなァ。

まあ浜田も故郷ではあるがおいらの性に合わない。市民性は嫌いだ。人の期待に応えられない事に対する拒絶感は凄まじいから。協力体制とかは無縁かな?おそろしく自己中が多いし、決断力がこれまたない。だか浜田市までは安定してるかと。

霊的なバランスが崩れて、今にも倒壊しそうなのが益田市よりも以西なんだよね???市民性も保守的だし、団結力は高い。

精神的な作用もあるけど益田に行くとおいらのバランスは崩壊する。どこのどんな場所でもあんまり動じないが、なんだろう。自分が異物異分子に思えてしまう。簡単に言うならば居心地が悪い。体質的にはアンチ神道なので、神道的な信心が強い土地ゆえに拒絶反応が起きるようだ。でも古代より神道基盤の強い出雲地方に行っても、そこでは何も感じない。むしろ自由と開放感を感じるのに・・・。こんな風にいろいろある前から益田市や益田市民、益田の神社は苦手だし、縁がない。悪縁はあるかも知れないが・・・。

150年・・・それに近い時代に地震等が起こってる風でもないが、おそらくそのくらいの時に磁場のエネルギーが変換して磁力の影響が増したのではないんだろうか・・・。知らずに人体に影響を及ぼすくらいの微量な変化でも・・・。

萩市はホント美しい町です。こんな風な経験をしなければ好きな町の一つとしてあげてもいいくらいに昔は好きな場所でした。

とにかく当時の山口県下では独自の神仏習合の解体が試みられていて、それまでの弔い方を著しく変化させている。招魂社の考え方がまずそうだ。創建当時から戦死者を慰霊する目的で作られている。当時としては比較的新しい宗教儀礼なのである。まあ仏教の旦那寺(先祖供養)で一般人がお墓を構えるような習慣も明治に入っての事だから、今宗教的に常識とされていることの宗教儀礼の歴史はそんなに古いモノではない。

まるで仏教を悉く否定して避けるように・・。真逆に山口市内の方は瑠璃光寺に代表されるような大内文化が残っているのに・・・。

歌聖柿本人麻呂公に神号を与えて神格化した頃から始まったんじゃないのかなぁ?徐々に土地から仏の霊性が失われていくような作業は維新よりもずいぶん前から始められている。歌聖は仏のように崇められていたんじゃないのかと思うんだなァ。ご神体を神像にして祀り上げる文化は都にもなかったはずである。神像が作られるのも僅かな時代でしかない。万寿の津波で流れ着いた人麻呂公ゆかりの像とは、神像ではなく仏像であったのではないんだろうか。

まあ益田市には土地の霊性を伝える口伝の女系一族もいると言うし・・・。あまり歴史的に重要視されていないが、宗教の変革が起こった場所としてもうちょっと有名でもいいんじゃないのかなぁ?このあたりの霊的な要素を他に訴えてる人はいないから気のせいなんだろうか。普通に考えるとね・・・立地的にも益田市が栄えない理由は一つもないんだけど、過去の歴史に見ると係争地としての側面が強いんだなァ。豊かな河川は流れているし、広大な農地もある。なのにここらではいちばん血なまぐさい記憶を土地が持ってる。

また予言があったり、霊能者さんの発生率も多い。ああいう出自は特異的に生まれるんじゃなくて土地の霊力が生むのだと思う。だから古代からの都市や祭祀場、聖域とされる場所の近くで比較的強い霊力を持った人が生まれてる。修験道なら浜田市の方が盛んだったし、今は見る影もないが霊山もある。どちらかというと浜田市の方が極めて優れた霊能者の出現がありそうなんだけど、予言なんてものは皆無だしね。日本国内のみに言及すればいちばん血なまぐさい時代は戦国時代であるが、そこまでの血なまぐさい戦の歴史もない。無念や流された血で思うなら益田市の方が常に歴史の変動にさらされている。

比較的速やかには反抗もなく神仏分離や廃仏毀釈が行われたはずなのに有名じゃない。雛型のように実験された場所ではないかと思うんだけど・・・。今でも見えないヒエラルキーやカーストはあるかな。どことなく馴染めないのはそういう封建的な支配思想があるからとも言えるけど。

不可思議で不可逆なことが起こり得るとしたら、益田市を連想してしまう。萩市と同じように戦後がないままでの明治維新が続いているような150年分の重さを感じる。そして地方の大都市並みに心霊スポットなんかも多いしね。その背景を語るとややこしくなるので控えておくけど。

非常識がまかり通る・・・のかな。超法規的というか、隷属的というか。リトル安倍系の権力者が意外と多いし、保守的な浜田市よりもさらに右傾化した保守とでもいうんだろうか。強固な繋がりの根っこにとてつもない秘密や罪の共有があるかのように時々思える。今風に言うと市民ファーストがどこよりも強い感じかなぁ・・・。

おいらは苦手ですけど。

あああ、もっと昔に阿武火山帯のことを詳しく知りたかったぞ。勤王の志士の新しい人神さんが知らぬ間に大量に誕生しているから、こんなことを書いてるおいらがいけば100%障りがあると思うんだよね。

神の祟りは死霊悪霊の比ではないからね笑。

備前かぁ・・・ここも縁がない(笑)

















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