文珠川慧久の道楽帳2

turezure naru mama ni

サイクリング:大谷水門→座間→座架依橋→史跡逆川→引地川千本桜→今田休憩所→遊行寺

2018-09-13 | 自転車
今日は最高気温が25℃らしいので、半袖サイクルジャージの下に長袖インナーを着用し、薄手のサイクル長パンといういでたちでRALEIGH CR-Fに乗っていくことにしました。実は、ふとした思いつきなんでくだらないことなのですが、圏央道の厚木パーキングエリアに歩行者が一般道から立ち入ることができるだろうかという疑問をもったのです。そこで働く職員(関係者)は当然自家用車などで来て通用口から立ち入るわけですが、一般人が立ち入ることは想定していないと思います。それでいいので、わざわざ確認しに行くまでもないのですが、そのあたりをサイクリングしてみようというわけです。もちろん先ず行った先はPAです、周囲を回りましたが思った通りでした。そのまま帰るのはもったいないので、下記の通り寄り道をしました。

(1)大谷水門交差点(海老名市)相模川左岸・右岸幹線用水路
【相模川左岸幹線用水路について】
この水路は、相模原市磯部から茅ヶ崎市室田までの20kmに及ぶ農業用水路で、昭和の初期に先人達が築き上げた歴史のある水路です。この水は、田植えの時期の4月から9月まで相模川の磯部頭首工から取水して、田んぼを潤すため水を送っています。また、かんがい用水としての目的以外にも、地下水への涵養や地域用水として、私たちの生活環境を守ってくれる重要な働きをしています。


(2)西中学校辺りからひまわり畑方向の眺め(座間)


(3)相模川にかかる座架依橋(ざかえばし)上から南側の眺め


(4)伊勢山公園前交差点:目久尻川の石橋の石
この石は、その昔、大山街道の交通の便を、はかるため、目久尻川にかけた石橋の石で、大正十二年の関東大地震のとき川に落ちたものを昭和五十二年十二月河川改修の時引き上げたものです。これには宝暦七年(1757)に、国分の重田七三郎翁が企てた石橋勧進帳の木版が残っておりこの架橋のありし日を物語っています。
昭和五十七年三月二十七日


(5)伊勢山公園前交差点:史跡逆川(さかさがわ)
【逆川の由来】
逆川(さかさがわ)は大化の改新が行われたころ、粂里割による海老名耕地のかんがい用と運送用に掘られた川と言われています。その全長は約二・五キロメートル、ここから凡そ一キロ上流で目久尻川を堰き止めて分水し、この地点で相模横山をよこぎり、西北方に流れをとり、今泉境で耕地に注ぎ出ました。このような逆の流れ方をしていたので「逆川」の名が生まれたのでしょう。今も船着き場と呼ばれたところから下流は、日本最古の運河として平安中期まで利用されていたようで、その遺構は今なお地下に眠っています。後世流れの向きを変えて「新堀」といい昭和十五年ころまで国分・大谷・今里・杉久保・上河内・中河内・本郷・門沢橋・倉見・宮山などの田を潤していました。現在この地点より先は埋め立てられ船着場付近のみ、わずかにむかしの面影を残しています。
昭和五十七年三月二十七日 海老名市教育委員会


(6)引地川沿い:大和市老人集会所(大和市福田)
引地川の千本桜の説明看板


(7)境川今田休憩所
高座渋谷駅前の太田屋さんに寄ってハムカツとメンチカツを買い求めてまいりました。そして境川今田休憩所のベンチに腰掛けて鷺舞橋などを眺めながらいただきました。パンと千切りキャベツを持参するのを忘れてしまいました。



(8)遊行寺
「栗の里」を一つお土産に買って帰ろうと思いつきましたので、藤沢大和自転車道を遊行寺まで足を伸ばして境内の井本菓子舗さんを訪ねましたが、開いていませんでした。残念。


(◉)走行経路

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