一期一会

日々是好日な身辺雑記

アンダルシアの州都セビーリャへ

2015年05月26日 | 旅行


昨日26日(月)は朝食の時に、茨城での震度5の地震発生のニュースを、日経速報メールで見る。電子版を買っているので
速醸で届く.。カミさんがメールで確認し、大事にはなってないようで一安心。茨城には東海原子力発電所がありますからね。



セビーリャへはコルドバ10:30発のバスで向かう。途中車窓からの景色は、ヒマワリ畑が延々と続く。
ただ、ソフィア・ローレンとマルチェロ・マストロヤンニ主演のあの名画「ひまわり」で見た大きさではなかった。
2時間半の車中では、「地球の歩き方」を読みながら、これからの行程を考える。既に決まっているのは、
セビーリャ2泊とアルハンブラ宮殿予約のグラナダ5/31、リスボン発6/7だけで明日以降の行程を決めてないので、ホテルも予約していない。

セビーリャの後はグラナダまで世界遺産の町はないので、(白い村)のような観光地をどう廻るかということになる。
スーツケースでの旅はバックパック旅行と比べ機動性が落ちる。出発前にはモロッコ日帰りも検討したが日程的に厳しかった。

この時点で分かってないのは、リスボン入りのルートである。ローマ時代の古都メリダからバスで行けそうだという事だ
けで、確たる事は分からない。セビーリャからバスで行けるのは分かってたので到着したバスターミナルで確認する。
所要時間8時間で、1日3便ある。メリダにも行きたいし、要検討事項だ。

そんな次の行程を考えていた車中で、カミさんは息子から借りた(ロンリープラネット)で(セビーリャは靴好きにはたまらない町である)というのと、
そのショッピング通りのマーキングを見たらしくそこに行こうと言う。
カミさんと息子は靴道楽が共通点で、結婚前にも一人でロンドン旅行をして、靴を何足か買ったらしいが、
新婚旅行で来たここスペインでも買ったのだろう。既に2足買ったカミさん、盛んに私にも勧めるが、
オンダリビアで47ユーロで買ったTimberlandライクな靴で満足なので買わない。

1時頃にバスターミナルに着き、中心部にはタクシーで10分くらい。スペイン第4の都市だけあり綺麗な街並みだ。
コルドバと同じくここもカテドラル近くのホテルをとっている。通りで降り、路地を歩き、ホテル探しで一苦労するのも同じ。
チェックインしたホテルにカミさんも(良いホテルね)と満足。ホテルはTripAdvisorで幾つか候補を挙げ、
カミさんが決めるようにしている。バックパッカーの私の満足度のレベルは低いが、今までのところ及第点のようだ。

スーツケースを置いた後は遅めの昼食へ。その前にフロントで翌日の夜のフラメンコショーを予約する。
ビゼーのオペラ「カルメン」の舞台であるセビーリャにはフラメンコの店は多いが
コルドバで見かけたフラメンコダンサー姿の女性は見かけない。本場でニセ者は闊歩しないのだろう。



歩いて3分位の世界遺産のカテドラルは
1401年に建設を開始し、1世紀後の1519年に完成した。スペインには長い年数をかけて完成させたカテドラルが多い。
サグラダファミリアもそうだが、その年数が半端ではない。

このカテドラルもヨーロッパの聖堂としてはローマのサン・ピエトロ寺院、ロンドンのセント・ポール寺院に次ぐもので
そのゴシック様式の巨大さに驚く。見学は翌日の9:30開館に合わせて来ることする。
そしてカミさん希望のショッピング通りへ。確かに靴の店が多く、革製品が安いらしい。闘牛とは直接的な関係はないと思うが。







そんな位置確認の意味もあるブラリ歩きを終え、ホテルに戻り一休みした後に、フロントでお勧めの店を聞く。
これが一番確実だ。コルドバでのお勧めの(ペペ)も良かったが、この日は(Not formal)を付け加えた。
教えてもらったCafeでタパス(小皿)3品と普通サイズ?のソイソースのチキンをとる。久しぶりの醤油味だった。
そして30年振りに辛口シェリー酒Tiopepeを飲むが、あの独特の味は変わらなかった。



世界遺産コルドバ旧市街散策

2015年05月25日 | 旅行


昨日24日(日)は、ゆっくりホテルでのホテルでの朝食を摂った後に、旧市街の見所巡りに出かける。
全ての見所が歩いて10分以内の所にあるので、ホテルを出たり入ったりの休みを入れてノンビリ廻る。

コルドバはメスキータを中心に旧市街全体が世界遺産となっている。キリスト文化、イスラム文化、ユダヤ文化が混在した街だ。
同じ旧市街でも、これまでのセゴビアやトレドと街の雰囲気が少し違う。アンダルシア地方の街の雰囲気なのだろうか。

先ずはイスラム教とキリスト教が共存するメスキータへ。ここは後ウマイヤ王朝を開いたアブドゥール・ラフマン1世に
より785年に建設が始められ、3回の改修を経て、200年かけて25,000人収容出来る大モスクが完成された。
モスクの内部は大理石と赤煉瓦を交互に組み合わせた850本のアーチが並ぶ様は見事なものだ。



その後キリスト教徒のレコンキスタ(国土回復戦争)により1031年に後ウマイヤ王朝が滅び、再奪還されるという歴史がある。
そんな歴史からモスクの中にカテドラル(大聖堂)があるという複雑な構造になっていて、ミフラーブというメッカの方向を示す壁がんで
カリフ達がアラーに祈ったという場所の近くに、キリストの像がある。それが下の写真だ。
メスキータはコルドバの歴史を象徴する場所だ。





中庭で行われていた男性合唱団のコーラスを聴いたりして2時間程過ごし、その後ビアナ侯爵の邸宅として14世紀に建てられたビアナ宮殿、
ユダヤ教会と廻る。ビアナ宮殿は12ものパティオがあり、花々が咲いた庭園は綺麗だった。
こういう入場料が1日5,000円位かかる。65歳以上の割引はなかった。イスラムの教えに年齢割引はなかったのだろう。







そしてこの日の夕食は、ライトアップしたメスキータが観たいというカミさんの要望に従い、9時にレストランへ。
日没が9時40分頃なので、その時間になる。カミさんはサングリアを飲むが、休肝日の私は炭酸水で夕食。
ライトアップしたメスキータを観てホテルに戻る。

今、現地時間8:30。朝食を食べながらメールを見ていたら、1時間前に日経速報メールで茨城で震度5の地震と。
詳細は分からず。これからバスでセビーリャへ移動なので、着いたら確認しよう。



後ウマイヤ王朝の首都コルドバへ

2015年05月24日 | 旅行

昨日23日(土)は高速鉄道AVEでマドリッドからコルドバへ移動した。

中公新書「スペインの歴史」によると、
750年までダマスカスを首都として栄えたウマイヤ王朝がイスラム帝国に滅ぼされた。
カリフの座を追われたウマイヤ家の一人がイベリア半島に難を逃れ、756年に当時のアミール(アラビア語で君主)を破り
自ら新たなアミール、アブドゥール・ラフマン1世としてコルドバで即位した。この王朝が後ウマイヤ王朝と呼ばれる。

この王朝はこれ以降250年間続き、コルドバはスペイン・イスラム王国の首都として栄華を極めた。
人口50万人、モスク300、王立図書館の蔵書は60万冊、ヨーロッパ最高の大学と、ヨーロッパ諸学問の中心地だった。
カトリック文化のバルセロナ、マドリッドから、イスラム文化が残るコルドバへ向かう。

マドリッドのアトーチャ駅から高速鉄道AVEに乗るのだが、この駅は2004年にイスラム過激派による爆破テロで、
200人近くの人が亡くなった事件の影響で、警戒が厳しく空港並みの手荷物検査だった。

9時半に出発したAVEは11時半にコルドバに着いた。途中車窓から見える風景はずっと変わらぬ荒涼としたものだった。
駅からはタクシーで旧市街まで6分位。ホテルはメスキータ近くのユダヤ人街にあり、
通りで降りスーツケースを引き、迷路のように入り組んだ石畳の細い道を
ホテルを探して歩くが、なかなか見つからず、15分位行きつ戻りつして、ようやく辿りつく。



ホテルは2階建ての、小じんまりしたコルドバ風の雰囲気のホテルで気にいる。
長いあご髭を蓄えたホテルの男性は英語を話し、見所やお勧めレストランや料理を説明してくれ、親切で感じが良かった。
風貌からするとユダヤ人なのだろう。廊下の壁にはインテリアとしてか、ヘブライ語?で書かれた本が貼ってある。



コルドバには2泊の予定で、ここまでのブログタイトルが(何処そこへ)というように、移動が多かったので、少しノンビリしようと、
1日で観れるところを2日滞在にした。そんな事で一休みした後でブラリ歩きを2時間ほどする。
町にはフラメンコダンサー姿の女性を多く見かけるが、どうやらこれは、京都を着物姿で歩くのと同じ類のようである。



町散策の後はこちらの習慣に倣い、1時間位のシェスタをする。気温は24度位だが湿気がないので、昼寝には良い。







夕食はホテル男性お勧めのレストラン(ペペ)へ。マドリッドのレストランの経験で、3品を2人でシェアするのが適量と分かったので、
サラダとトマトとガーリックのディップ、オックステール煮を頼む。
それに加えてハムとチーズを揚げたモノを頼んだら、ウェイターがそれならオックステール煮はハーフポーションで良いだろうと
的確なリコメンドがある。それに前日が休暇日だったのでワインを。
お勧めだけある味とサービスに満足した後に、ポートワインのグラスと白い皿に日本と書かれたデコレーションがサービスで出てきた。



そんな満足の夕食から一夜明けて、今朝の朝食はホテルのパティオで摂る。
フルーツ、生ハムとチーズ、ジュース、ヨーグルト、パンとコーヒーと盛り沢山の朝食をノンビリ楽しむ。


古都トレドへ

2015年05月22日 | 旅行

今日22日(金)は朝ゆっくりホテルのCafeで食事を済ませ、世界遺産である古都トレドへ向け、10時半頃にホテルを出る。
トレドは「もし1日しかスペインに居られないなら、迷わずトレドに行くべきである」と言われるスペインの歴史が凝縮した町だ。
また画家エル・グレコが愛した町としても知られ、グレコの描いた「トレドの風景」も有名である。
マドリッドから南へ64kmに位置し、バスで1時間位で行ける。

そのバスのチケットを買うのに一苦労だった。Plaza Eliplicaという地下鉄の駅にあるバスターミナルの窓口に行ったら、
(ここでは売ってない、上の券売機で買って下さい)というような事をスペイン語で言われた。全く英語が駄目で単語からの推測だ。
券売機はスペイン語表示で全く分からない、多分往復券かどうか聞いているのだろうとか、ポスタルコードって何だろう、
とか二人で焦りながらやっていたら、後ろに並んでいた若い男性が英語で操作を教えてくれ、やっと買うことが出来た。
その後も我々と同じく券売機操作が分からない人が多く、券売機の前に列をなし、とうとうバス会社の人が操作の助けをしていた。
ここマドリッドでもホテルやレストラン以外は英語が通じず、言ってる事を理解するには語学力ではなく、推測力だ。
そんな苦労をしながらも、45分くらいでトレドのバスターミナルに着き、タクシーでトレドの町の全景が観れるパラドールに行く。

そこから観る町の風景は絶景で、言葉では言い表せないし、iPhoneでの写真ではその素晴らしさは伝わらないと思う。
タホ川を挟んでトレドの町の対岸の高台にあるパラドールのカフェで昼食を取りながら、しばしその絶景を楽しむ。





それからタクシーでトレドの町に行く。そこは正に(16世紀で歩みを止めた町)で、町全体が中世期のままである。
石畳の細い道を歩きながら、スペインカトリックの大本山である大聖堂や、エル・グレコの住んでいた家を観る。
ここの大聖堂の中は今まで観た中で一番凄い。勿論イタリアに行った時にバチカンには入れなかったので、そこは除いてだが。



エル・グレコの住んでいた家は現在美術館になっており、「トレドの風景」も展示されていた。4時間位トレドの町を散策し、マドリッドに戻る。
今日はそのままホテルに戻り、カルフールでパスタや野菜煮のような4種類の惣菜と苺を買い、部屋で夕食を摂る。
サン・セバスティアンでのBAR巡りでアルコール抜きが出来なかったので、マドリッドでは2度目の休肝日の部屋食だ。
これも部屋が広かったので出来た。
明日は高速鉄道AVEでコルドバに移動する。いよいよアンダルシア地方に入る。
今まではカトリックの文化・歴史の町だったが、これからはイスラム文化の薫りのする町だろう。


マドリッド美術館巡り

2015年05月22日 | 旅行

21日(木)は前日のプラド美術館に続いての美術館巡りをした。先ずはあのピカソの「ゲルニカ」が展示してあるソフィア王妃芸術センターへ。

ここはスペイン現代絵画の三代巨匠ピカソ、ダリ、ミロの作品と、現代の前衛アートが展示されている。
その展示品の一つが「ゲルニカ」で、この作品がナチスによるバスク地方ゲルニカの空爆で、2000人以上の死傷者が出た。
パリに滞在していたピカソが、その惨劇を描いた事で知られる作品である。

当時、クーデタを起こしたフランコ軍がイタリアのムッソリーニとヒットラーナチスの援助を受け、
そのフランコ軍と対峙する共和国政府側がソ連の援助を受け、その内戦に欧米が不干渉の立場をとったという、
複雑な政治状況下で起きた惨劇である。

欧米の文化人や市民が参加した国際旅団にフランスのアンドレ・マルローやオーウェルやヘミングウェーも参加した。
そんな当時のスペインの背景やゲルニカの状況を頭に入れて観た大作「ゲルニカ」だったが、正直なところよく解らなかった。

そんなソフィア王妃芸術センターで中年の女性二人から(日本の方ですか)と声をかけられた。
リタイア記念に、1ヶ月の予定でスペイン・リスボン・イスタンブールを廻る話をしたら、
羨ましがられ、65歳でのリタイアに(50代にしか見えない)と言われた。
前日のセゴビアのアルカサルのチケット売り場で、65歳以上の割引を申告したら窓口のオジさんに(嘘だろう!)という反応をされた。
スペイン語が分からない私の勝手な解釈ではなく、カミさんもそう解釈したので、間違いのないところだろう。

念のために申し添えておくと、これは自慢話ではなく、そんな割引対象の歳になったいう一抹の感慨があっての話だ。
この時は年齢証明のパスポートを持ってなく、割引引きのない短い観覧コースにしたので、それ以上の問答はなかった。

因みに二人の日本女性は、70歳以上で美術館が無料とのこと。お返しをするわけではないが、そうな歳には見えない上品な感じのお二人だった。
女性友達5人で17日の予定でスペインを廻っていて、ツアーではなく英語が通じないので大変だと言っていた。

ソフィア王妃芸術センターの後は、歩いて10分くらいデイッセン・ボルネミッサ美術館へ廻る。
デイッセン・ボルネミッサ男爵が親子2代にわたり収集した作品は個人のコレクションとしてはエリザベス女王に次ぐものらしい。
シャガール、ゴッホ、ドガ、モネ等の有名な作品が展示されていたがルノアールの(庭の傘をさした女)は貸出し中だった。
三つの美術館はその展示品において、それぞれ特徴があり、その所蔵する作品の著名さにおいても指折りだ。





美術館巡りの後は、カミさんのショッピングに付き合う。その前にCafeチョコラテリア・サン・ヒネスでひと息。
揚げパンのチュロスをカカオを溶かした濃厚なチョコラーテにつけて食べる。美味しいが二人で一皿一杯で充分だ。
この店は1984年創業で、著名人の来店者の写真が店内に飾ってあり、その中にリチャード・ギアの写真があった。





甘いモノのあとはショッピング、マドリッドの後は東京並みの大きな町が無くなるのでカミさんも一生懸命だ。
カミさんのショッピング中は広場でのパフォーマンスを観たりして待つ。上の写真を撮るのも肖像権から小銭を入れる。

夕食は息子が(BARの食事に飽きたら)と、教えてくれたアルゼンチン料理のレストランへ行く。
Googleマップにナビゲートさせて向かうが行きつくのに一苦労。近くに行き地元の人に聞いても分からず。
何とか探り当てた店は大通りから少し中に入った分かりづらい場所だった。







料理はサラダとパスタとステーキの3品を頼み、カミさんとシェアしたが量も味も申し分なかった。
サングリアを飲み、ショッピングも済ませたこの日のカミさんはご満悦のようだった。