2014年7月に『恕の人』の中国TVドラマをTSUTAYAで借りて見終り、1年半。
マイドラキュラブームも過ぎ、また、孔子に会いたいな~と、『孔子』読んでみました。
井上靖の『孔子』は、孔子の放浪の旅の途中に一緒に手伝いとして同行していた篶薑という人が、孔子没後30年経って、孔子研究の人たちの前で、師である孔子と高弟子路・顔回・子貢らの話をする、という小説。
「子曰く『~~』」という形でもなく、「新潮」に連載されていた小説らしく、時々、ここまでのあらすじ的繰り返しもあり、読みやすい孔子のお話で、中国でも絶賛された らしいですが。
もなみにとっては、読み辛かった。
こういうの好きじゃない。
人物関係が厄介でも、言っていることが難しくても、場面がどんどん変わってわかりづらくても、孔子の人生を一緒に歩いていく小説が読みたかった。
孔子のそばで、孔子の目線で、生きたかった。
もなみが孔子のことを直接感動するんじゃなくて、篶薑が素晴らしいと感じた孔子を見ている感じがして、感動のツボが違った。
ま~時には、こんな読書もありますよ。
みんなが良いといっていても、評価の高い小説であっても、もなみに合わない、もなみが今読みたい知りたい形の小説ではない。
そんなときもあるものです。
良かったけどね。付足しっぽいけど、良かったにはよかったけどね。
マイドラキュラブームも過ぎ、また、孔子に会いたいな~と、『孔子』読んでみました。
井上靖の『孔子』は、孔子の放浪の旅の途中に一緒に手伝いとして同行していた篶薑という人が、孔子没後30年経って、孔子研究の人たちの前で、師である孔子と高弟子路・顔回・子貢らの話をする、という小説。
「子曰く『~~』」という形でもなく、「新潮」に連載されていた小説らしく、時々、ここまでのあらすじ的繰り返しもあり、読みやすい孔子のお話で、中国でも絶賛された らしいですが。
もなみにとっては、読み辛かった。
こういうの好きじゃない。
人物関係が厄介でも、言っていることが難しくても、場面がどんどん変わってわかりづらくても、孔子の人生を一緒に歩いていく小説が読みたかった。
孔子のそばで、孔子の目線で、生きたかった。
もなみが孔子のことを直接感動するんじゃなくて、篶薑が素晴らしいと感じた孔子を見ている感じがして、感動のツボが違った。
ま~時には、こんな読書もありますよ。
みんなが良いといっていても、評価の高い小説であっても、もなみに合わない、もなみが今読みたい知りたい形の小説ではない。
そんなときもあるものです。
良かったけどね。付足しっぽいけど、良かったにはよかったけどね。