と、旅日記の途中ではございますがここで母の話。
突如癌を宣告された彼女の2年半に渡る闘病生活。
つかず離れずで見守り続けたあれこれも時々書いてみようと思います。
ちょうど3年前のこと。
仕事中にハハから電話がかかってきまして
帰りに実家に寄って欲しいと訴えるので、
遅くなるから今言ってくれと伝えたところ、
一呼吸おいて
お母さん癌らしいのよ。と。
後からきいた話を要約すると、お腹上部の痛みを
地元医に相談、精密検査を勧められたので
自らでPET検査ができる病院を探して診察を受けたところ
そのままいきなり告知を受けちゃったそうです。
(一人で検査にいったので告知も一人で受けた)
診察の結果は上行結腸癌(大腸がん)&そこから肝臓にも転移の
ダブルパンチで手術ができないというまぁまぁなステージ。
最初の告知のくだりにはいささか疑問もあるのですが
その後進行具合(いわゆる余命的なもの)について伝えるかどうかは
家族の判断に委ねられたので、協議の結果それは伝えない
ことになりました。
ちなみに
父がいったん先生から話はきいていたのですが
なぜか私にも個別に話をしたいというので、一路病院へ。
初めての経験過ぎてもはや無に近い状態で臨んだ
先生との打ち合わせ(?)は、
おそろしく狭い面談室で
ハハのレントゲンを二人で眺めるという割にシュールなものでした。
調子の悪い臓器のレントゲンを見るのももちろん初めてなので
これがお母さまの癌ですと教えてもらってもいまいちピンときません。
それでも、先生の様子からずいぶんと深刻な状態であることが
わかりました。まぁそもそも個別に呼び出されたのが状況が深刻で
あることを物語っているのですが、私はまだまだピンときていませんでした。
どぢらかというと冷静な性質なので
特に取り乱すこともなく話を聞いていた最中、
何よりも気になっていたのが
次の診察にはハハから同行を依頼されていたので、ここで先生と
会っていることが彼女に知られるとまずいわけです。
ですので、先生と相談して次に会ったときは
お互い初対面のふりをすることなり、その場を後にしました。
そして迎えた診察日。ハハは私を先生に紹介し、私と先生はどうも初めまして、
とわざわざ「初めまして」と言うミニコントを繰り広げた訳ですが、
ハハには気づかれずに済んだようです。
そうしてハハの戦いは幕を切りました。
私たちはずっと傍らにいましたが、彼女は自ら進んで癌の勉強をし、
病院を探し(結局4つの病院にいった)、病気と闘い続けました。
そんな彼女の様子を時々書いていこうと思います。