五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

週一の五高記念館に出る

2013-11-27 05:16:52 | 五高の歴史
火曜日には週一回であるが、相変わらず五高記念館に出ている。これは五高歴史の落穂拾いと言うことのネタ探しが主なる目的であるが、記念館に出てから大正12年以降という冊子を転載している。この時代は溝渕校長の時代である。90年も昔のことという事になるか?

ここで気が付いたことはいざと言うときには必ず評議会が開かれていることである。生徒の素行のこと、教官のこと、講義のこと,等々について必ず評議会が開かれていることである民主的であったと言えばそれまでであるが、午後3時から始まった評議会は散会したのは11時50分であったとか、どんな協議をしたのかは資料がなく詳細はわからないが、そんな時間まで協議されたことも数多くある。結論が出なかったのだろうか?そして翌日また行われていることも多い、生徒は野外演習として必ず学年ごとに実施されている。現在のように事務局と言う統一された事務制度はなかったので校長の指導の下に全ての学校行事は実施されている。

次に感じたのは試験は約一週間にわたり実施されているが、試験の実施前の日に質問日と言う日程を必ず設定してあることである。試験問題の傾向でも教えられたのだろうか?、試験問題で残っている資料もあるが、それらの問題の解答は私については全く解らないものばかりである。

九〇年後の今日この庶務日誌と言うべきものを読む者があるだろうか?と考えて書かれたのではなかろうが全くの義理で書いたと思われるところも多く、明治の庶務日誌に比べると乱雑で理解できないところも数多くあって理解して読むこと、また転載することに難儀している。これは担当者の性格にもよるものであろうが、誰か読む読まないは別にして丁寧に書いてあったらと悔やまれるところも多い。

次に大正12年以降から転載しているものの中から七高との野球戦、全国高専野球大会優勝時の学内の庶務の対応の模様を掲げてみる
七月四日 土 質問日
七月五日 月 
第一学期試験始まる
七月十日 土 
第一学期氏試験終わる
七月十二日 月
七高との野球戦あり
七月十三日 火 
七高と陸上競技あるき日なれど七高生引上げの結果自然取り止めとなる
七月十六日 水
野球戦の件につき評議会開かれる
出席者 溝渕校長 平塚 小島 白壁 竹内 上田(英)後上田教授を除き総務の辞表、野球選手の辞表提出の件につき評議する。引続き昼食をともに雑誌について夕刻散会する
七月二十二日 木 晴
プール設置につき評議会を開く
出席者 溝渕校長 平塚 小島 白壁 竹内 飯塚 野々口(水泳教官)栗本の諸氏
七月二十四日 土 晴のち曇
溝渕校長佐賀で開催の佐高、五高の水泳協議会出席の為同地に向われる
七月三十日 金
明治天皇祭
七月三十一日 土
京都における全国高等学校野球競技大会において本校優勝する
八月五日 木
昨日の野球選手歓迎について協議する
八月六日 金
午前岡上前教授来校 午後二時野球部選手駅着 午後四時半から武夫原に凱旋、稲沢主将、溝渕校長市民に対する挨拶、奥村熊本市応援団長の野球部蕾祭上昭して散会する

プールの設置についてはこの時代まではプールは熊本市内にも全くなかったので熊本市民のためにプールの設置が市長から五高校長に依頼があったもので夏場は五高での特別な学校行事でもない限り市民に開放し使用させる目的で建設されたものでその費用は市側の負担であった。