五高の歴史・落穂拾い

旧制第五高等学校の六十年にわたる想い出の歴史のエピソードを集めている。

昭和18年当時の五高の事情 

2011-10-18 06:43:11 | 五高の歴史

 五月二日は待望の阿蘇登山が行われた。

この日は運悪く雨で旅館蘇峰館で宿泊し翌日は雨の中を登山した。下山途中草千里を通り山上神社前茶店で昼食を取りそしてその茶店の前でストームを行った。

二台の登山バスを止めて バスをぶん殴ったり屋根に上り踊り狂った。帰途の責任者総代は自分たちが悪いのでバス会社に損害賠償を試みた。

その結果弁償金の総計はガラス三枚破損、屋根(布製)から雨が漏る。二日間の休車等々で・・合計修理代五百九十七円に及んだ。

 

ところが坊中の駅で一軍人に呼ばれて「自分は公務で大分まで行った帰りであるが、自分の乗っていたバスに対してかかる行為をしたのは遺憾である。しかるべき人を通じて校長に言い渡すから予め承知しておいてくれ。予め云っておかんと諸君がびっくりするだろうから云っておく」この軍人の言動は甚だ傲慢、非礼な所が見えた

彼の云うには「自分の乗っておらぬ車ならやってもよかろう」「自分は公務中で・・・」とか

 一、交通妨害になること 

 二、軍人の乗っている車を止めた事、

 三、新体制をはき違えている、等々を非難した。

 

「私は直接学校に来たと言う高橋と言う人より、兵器廠とやらのあの軍人に非常な憤怒を感じる。一体バスを止めると言う事は帝國軍人を侮辱している」と言った。しかもその帝国軍人が背信行為をすることこそ最もその栄誉を汚すものではないか。

熊本駅頭に彼を探して、吾々は寮のために頭を下げて彼に頼んだ。云いたい事も云わなかった。只謝したのだ。実際我々としてはあの時不愉快でたまらなかった。何度爆発しようとしたかもしれない。それ程にしてまで彼に頼み、彼から「では自分の胸に秘めておく」との言を聞いて我々は安心したのだった。

 

我々は「帝國軍人」を振りかざして威張り散らす人がまさか嘘をつくとは思わなかったからだ。彼の名誉の為に彼の名はここには記さない。自分一人の胸に秘めておく。だが何という人間だろう。否人間でさえないかも知れぬ。兎に角大人の世間は醜い。軍人だって信用はおけない。現在の世界情勢にあっては、確かに軍人の力は時局推進の一力である。現時局こそ最も所謂軍人の反省する時期である。軍人が時代の波に乗ってうかれる様では駄目だ。兎に角大人も軍人も到底頼むべきでない。窮極の国力の推進は吾々文化層にある青年の手に拠って為さるべきだ。その意味で高校生は奮起すべきである。

 

以上のあらましを要約すると生徒は阿蘇登山のその帰りの昼食後ストームを行い登山バスを止めてしまってバスを傷つけてしまった。阿蘇登山の責任者(総代)は学校には内緒でこの問題をバス会社と掛合い解決しようと試みた、しかしそのバスに一人の軍人が乗車していて前記のようにこのバスを傷つけたことは総代との話で自分の胸に秘めて決して公にはしなくて済ませてやるからと約束していたはずであったが、熊本へ帰ると件の軍人はこの事件を生徒課に報告していたので学校全体に知れ渡っていた。生徒達は一旦約束したことを天下の帝国軍人が嘘をつき約束を破るとは風上にもおけぬ人物であると憤慨しているのである。

 

 軍人の横暴は益々エスカレートし十二月六日の総代日誌にも同じようなことが窺える

文部省より村田大佐なる人物が視察のため来校、来寮して・・寮に一泊する

「彼の如き人物から高校改革のどうと言われてみると腹立たしくもあり馬鹿らしくもある。彼は高校寮を士官学校式及び兵学校式寮になさん事を主張した。而してそれは自分の親心だと言った。高等学校のしかも寮が陸軍軍人から視察され、しかもそれ故にわざわざばたばたせねばならぬこと自身を反省する必要のあることも大いに考えねばならぬ。」と

    (続習学寮史を参考)