もものけ日記

桃とスモモの栽培に明け暮れる農家の嫁のつぶやきブログ。

「生さぬ仲」その2

2008-05-11 18:01:58 | 私の大切なもの

雨は上がりましたが5月とは思えない寒い一日です。

今夜は山梨市で「無尽」があるので夕食の支度は無しです。

おばあさんには母の日のお花を買って、夕食用に二人分のお寿司を買ってきました。

「今夜は出かけるのでこれを召し上がってください。」と私。
「いつもわりいじゃんね。」とおばあさん。喜んでくれたようです。(^-^)
いつも大したことは出来ませんが、ささやかな気持ちを届けています。

私には山形に「生さぬ仲」の3人の姉がいます。
私が物心ついたときには、当たり前に我が家で一緒に暮らしていました。
昔は、行儀見習いのような形で、預かって学校に通わせるようなシステムがありました。
養子縁組をするわけではないので、子供という立場ではなかったのでしょうが・・・

姉達は父と母を「母ちゃん」「父ちゃん」と呼んでいました。
19と17で結婚した両親は、若くして中学生の父母の立場になりました。
一番上の姉は母親と7歳しか年が離れていないのですから、不思議な関係ですね。

3人の姉達は我が家からお嫁に出ました。
花嫁衣裳を着て、田舎のつり橋を渡って行く姿は今でも目に焼きついています。
寂しくて切なくて・・・悲しかったことを覚えています。

花嫁人形のようで本当に綺麗でした。(私達とは似ていない・・・

真ん中の姉は一番優しくて、彼女がお嫁に行くときが一番辛かったなあ・・・と。
一番下の姉は私と一回りぐらい年の差がありましたが、よく口喧嘩をしたような・・・?
子供相手にマジになっていたのでしょうか?私が生意気だったのか?

もちろん本当の姉妹でないことは子供心にも承知していましたが、一緒に暮らすのは
当たり前のことでした。私にとっては姉でした。
父や母、そして姉達がどんな思いでいたのかは私には分かりません。
本当の親元を離れて暮らすのは辛いことも、我慢することもたくさんあったでしょうね。

親にあまりかまってもらえなかった私にとっては、有難い存在でした。(^-^)

先日の故郷訪問で3人に会いました。真ん中の大好きな姉が、少しだけ・・・
軽いアルツハイマーらしく、同じことを何度も繰り返すのが心配で、悲しくなりました。

別れのときは辛くて、「また会いに来るからね!元気で待っていてね。」と語りかけ
(どうかいつまでも元気でいてください)と心の中で念じていました。

「生さぬ仲」でも大切な人たちです。人は人と関わりあいながら生きています。
「人類みな兄弟」そう思えば傷つけあうこともないのに・・・

でも、今は親子でも、兄弟でも殺し合うことも・・・どうしてこんな世の中になったのか?

地球は一つ、命も一つです。大切にしなければと想います。



 

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母の日です

2008-05-11 11:15:45 | 感じるまま

今日も冷たい雨が降っていました。でも、そろそろ上がりそうです。

今日は母の日ですね。いつごろから始まったイベントだったでしょうか・・・?
私達が幼い頃は?母にプレゼントを贈った記憶がありません。(無視していたのか?)

山形の田舎でしたから・・・クリスマスのイベントもそれ程派手ではありませんでした。

今から花を買いに行きます。夜はそれぞれが出かけるので、夕餉は共に出来ません。
せめてもの感謝と、ますますのご健勝を祈願して?好きな花を贈ります。
花も選ぶのが難しい・・・自分が欲しいと思う花を買うのが一番いいかもしれません。

娘からのプレゼントは「フクロウ」の立派なお財布でした。何を入れましょうか?(^-^;
持っていれば難を逃れ財を成すと説明が書いてありました。

未だにローンや資金繰りで四苦八苦している親を見かねて贈ってくれたのでしょうか?
有難く感謝して、財を成すように頑張ってみます。(絶対ムリ!と言われそう・・・)

思うのは勝手です!目指せ裕福な高貴高齢者!政府には頼らないぞ!

言ってみただけです・・・(--;  皆様も良い母の日を。(^-^)v

 

 

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