昔は物語を崩していてもお客さんが許してくれる、受け入れてくれる素地がいっぱいあったんだけれど、やっぱりオウムと阪神大震災と、この不況の流れの中でね、初めから壊している物語に対して物凄く拒否反応を持つように皆なってきましたね。
「一回観ただけではわからないような作品をすることを許せない」とかっていう…アンケートが出てくるようになりましたね。観客の側が。それは凄くキャパシティが狭くなっていると凄く思うんですよ。
でも、それは翻って言うと、現実の物語がますます見えにくくなっているんだろうと思うんですね。昔も今も、勿論現実にある物語は嘘なんだけど、昔は、だから長銀が潰れるはずがないとか、都市銀が潰れないとか、大手が絶対にそんなことはないみたいな、勿論年功序列なり終身雇用なんてのは嘘だったんだけれど、嘘なりにその物語が一応機能していた。機能していたからこそ、たまに芝居を観に行くときに、
「テレビじゃないんだから、この空間の中では嘘くさい物語を最初から手放しましょう」。
「嘘くさい物語に収斂することを拒否した物語は、ありです」
という見方があったんだけれども、今はたぶん現実の物語が破綻していくから、ウェルメイドな、ある分かりやすさがあるものじゃないと困るというスタンスに皆なっているんだと思うんです。それは凄く、僕はね、やばいことだなと思うんですよね。
だから自ら真空となる小渕総理によっていろんな法案がなし崩しに…あれ中曽根さんだったら皆拒否したはずなのに全部行くでしょう。だーっと。あれも結局、「とりあえず分かりやすい物語に皆安心しておかない?」という願いだろうと思っていて。やばいなあと思いますね。
だから一応僕らも…「ものがたり降る夜」もそうですけど、99%、95%ぐらいは通常の物語のフリをしますと。残りの5%は悪いですけどジャンプさせて下さいねという。僕の中ではつながってますけど、通常の物語的な収束はしませんということですね。
(「朝日のような夕日をつれて」「宇宙で眠るための方法について」「プラスチックの白夜に眠れば」核戦争三部作から「天使は瞳を閉じて」へ)この網の目のようなうっとおしい、目に見えないこの国の、空虚な中心を抱く、ある圧迫感を全部無しにしないかと。無しにしないかというときに、一番リアリティのある無しの仕方というのは核戦争だろうと思ったんですよね。
それはよくお芝居で言う「夢の国に来ました」とか「森を抜けたら幻の国がありました」とかいう前提をいくら言われても、その前提で、もう僕らは入れないというのがあって。だけど「あるとき、それは起こった」「それが起こってしまったんだよ」と、そこからどう秩序…というか、どう生きていくかという設定なら感情移入はできるというところから始まったんです。
でもそれもやっぱりチェルノブイリ(原発事故)で、ひとつその幻想は終わりましたよね。実際に核戦争、もしくはメルトダウンということが起こったときには、もうちょっと違うんだという時代にもなってきましたよね。
(鴻上尚史×扇田昭彦 NHK-BS 20世紀演劇カーテンコール「第三舞台/天使は瞳を閉じてインターナショナル・ヴァージョン」1999年放送)
「一回観ただけではわからないような作品をすることを許せない」とかっていう…アンケートが出てくるようになりましたね。観客の側が。それは凄くキャパシティが狭くなっていると凄く思うんですよ。
でも、それは翻って言うと、現実の物語がますます見えにくくなっているんだろうと思うんですね。昔も今も、勿論現実にある物語は嘘なんだけど、昔は、だから長銀が潰れるはずがないとか、都市銀が潰れないとか、大手が絶対にそんなことはないみたいな、勿論年功序列なり終身雇用なんてのは嘘だったんだけれど、嘘なりにその物語が一応機能していた。機能していたからこそ、たまに芝居を観に行くときに、
「テレビじゃないんだから、この空間の中では嘘くさい物語を最初から手放しましょう」。
「嘘くさい物語に収斂することを拒否した物語は、ありです」
という見方があったんだけれども、今はたぶん現実の物語が破綻していくから、ウェルメイドな、ある分かりやすさがあるものじゃないと困るというスタンスに皆なっているんだと思うんです。それは凄く、僕はね、やばいことだなと思うんですよね。
だから自ら真空となる小渕総理によっていろんな法案がなし崩しに…あれ中曽根さんだったら皆拒否したはずなのに全部行くでしょう。だーっと。あれも結局、「とりあえず分かりやすい物語に皆安心しておかない?」という願いだろうと思っていて。やばいなあと思いますね。
だから一応僕らも…「ものがたり降る夜」もそうですけど、99%、95%ぐらいは通常の物語のフリをしますと。残りの5%は悪いですけどジャンプさせて下さいねという。僕の中ではつながってますけど、通常の物語的な収束はしませんということですね。
(「朝日のような夕日をつれて」「宇宙で眠るための方法について」「プラスチックの白夜に眠れば」核戦争三部作から「天使は瞳を閉じて」へ)この網の目のようなうっとおしい、目に見えないこの国の、空虚な中心を抱く、ある圧迫感を全部無しにしないかと。無しにしないかというときに、一番リアリティのある無しの仕方というのは核戦争だろうと思ったんですよね。
それはよくお芝居で言う「夢の国に来ました」とか「森を抜けたら幻の国がありました」とかいう前提をいくら言われても、その前提で、もう僕らは入れないというのがあって。だけど「あるとき、それは起こった」「それが起こってしまったんだよ」と、そこからどう秩序…というか、どう生きていくかという設定なら感情移入はできるというところから始まったんです。
でもそれもやっぱりチェルノブイリ(原発事故)で、ひとつその幻想は終わりましたよね。実際に核戦争、もしくはメルトダウンということが起こったときには、もうちょっと違うんだという時代にもなってきましたよね。
(鴻上尚史×扇田昭彦 NHK-BS 20世紀演劇カーテンコール「第三舞台/天使は瞳を閉じてインターナショナル・ヴァージョン」1999年放送)
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