徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

その肩に少年は乗っているのか?/「魔王」

2013-03-06 13:09:02 | Movie/Theater
魔王/The Ogre
1996年/フランス=ドイツ=イギリス
監督・共同脚本:フォルカー・シュレンドルフ
原作:ミシェル・トゥルニエ『魔王』(みすず書房)
音楽:マイケル・ナイマン
出演:ジョン・マルコヴィッチ、アーミン・ミューラー・スタール、ゴットフリード・ジョン、マリアンネ・ゼーゲブレヒト、フォルカー・シュペングラー、ディルター・レサー他
<第二次大戦直前のパリ郊外。幼い頃から内向的だったアベル(マルコヴィッチ)は自動車修理工になった今も人付き合いが苦手だったが、唯一、近所の子どもたちとだけはウマが合い楽しく遊ぶことができた。そんなある日、一緒に遊んでいた美少女がついた嘘のため、アベルは強姦罪で摘発され、戦地に送られてしまう。戦地では早々にドイツ軍の捕虜になってしまったアベルだったが、従順な性格からドイツ軍士官学校の雑用係の職を任される。やがて、子どもたちと打ち解ける姿を見た上官から、村々を回って少年兵をスカウトする任務を負わされるのだった……。>

一部軍ヲタの皆さんにはナチスの軍服の再現が評価されている(らしい)が、物語はキリスト教世界の下敷きが極めて色濃いファンタジー(寓話)。第二次世界大戦下のナチス政権末期を舞台にしながら戦闘シーンはラストのクライマックスまでほとんど描かれない。

容易に捕虜収容所を抜け出したり(そしてまた戻る)、「狩猟長官」国家元帥のゲーリングの森の狩猟係としてナチス将校にスカウトされるあたりは、リアリティはともかく、いかにもアベルの役割が物語の狂言回しであることを示している。何てったってアベルは「歴史が自分を救い、自分の人生は進んで行く」という人物なのだから、彼は無邪気な傍観者として目の前で流れて行く「歴史」に身を任せるだけだ。
それでもその無邪気さゆえに子供たちに好かれる(決して「特殊能力」としては描かれません)。最初にスカウトすることになる、森に自転車旅行に来た少年たちとのシーンは美しく描写される。
その後の残酷な運命と対比させるように。

ナチスから少年兵のスカウトを任され、ゲーリングの森を獰猛な犬二頭を連れて黒い馬に跨がるマント姿のアベルは、まさに森の魔王(鬼)そのもので、その「勧誘」はまるで狩猟のように、次第に露骨な子さらいに変わっていく。

しかしナチスの優生思想を体現する軍医から、アベルが連れて来た少年の遺伝子的欠陥をこき下ろされる辺りからストーリーはきな臭くなる。ちなみにいかにもサイコでナチス的な造形がなされているのは彼ぐらいなもので、将校、兵士はいたってフラットに描かれている(少年は、ひとりでも多く少年兵を確保したい「軍服を着て喜ぶ雑貨屋の倅」に採用される)。

戦況は敗戦濃厚でロシア軍が迫る中、寄宿舎である城からは少年兵たちが前線へ送られる。かつてアベルも収容されていた捕虜収容所のフランス人は解放され、強制収容所のユダヤ人は吹雪の中、脱落者は問答無用に撃ち殺される死の行進を強いられる。そしてアベルはユダヤ人の死体の中からひとりの少年を見つける。

ここにきて「歴史」に抗い始めたアベル。しかし子供たちを残して逃げられないアベルは城に残る、まだ幼い少年兵たちに逃げるように訴えるが、逆にナチスの思想を叩き込まれ徹底抗戦を主張する少年兵たちから暴行を受けてしまう。
そして少年兵と軍服を着て喜ぶ雑貨屋の倅だけが残る城はあっさりとロシア軍の総攻撃を受ける。ヒトラー・ユーゲントの少年たちが全滅する中、アベルは黒髪のユダヤ人の少年を肩に乗せ、城から脱出。少年は叫ぶ。
「後ろを振り返らないで!」

そしてアベルは聖クリストフォロス伝説をモノローグしながら、少年を背負い湖を泳ぎ、薄暗い雪原をひたすら歩んで行く。まさに体現。
その姿は歴史に身を任せる傍観者のそれではなく、未来(世界)を肩に乗せ歴史を歩む当事者に見える。
結局、オレも3.11以来、「少年を肩に乗せて」歩いているのか、それをいつも考えているんだよね…などと思ったり。子供いないけれども。

それはともかく、マルコヴィッチ最高ですね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿