徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

第33節 ぼくらは光の子どもだった

2007-11-25 21:26:50 | SHIMIZU S-Pulse/清水エスパルス06~10
ということで土曜は日本平でホーム最終戦のジェフ千葉戦。
結果的には清水が引き分け、レッズが負けるという、事前に考えられる可能性のうち2番目に悪い結果になってしまった。レッズはどう考えても激走後の2走ボケみたいなもんじゃないだろうか。まあまだダイジェストしか観てないからわからないのだけれども。
翻って千葉戦。言われるほど悪い内容でもなく、いつもの千葉戦らしいお互いが攻撃的なスタンスを崩さない緊張感溢るる内容だったと思う。しかし勝てたし、勝ち切るべきだった。これでACL出場権もなくなり、4位も確定してしまったわけだが、最終節の相手はついにレッズを勝ち点1差まで追い詰めた鹿島。ま、浦和・鹿島に絞られた優勝争いはもうすでにどうでもいいわけだが、鹿島がACL参戦に相応しいチームかどうかは最終節でウチが決める。決めるったら絶対決める。

そして2005年のノボリのように、最終節を残して99年戦士の久保山が引退を表明。ゲーム終了後、引退セレモニーが行なわれた。クボ、本当にお疲れ様でした。クボはこれからもきっと清水エスパルスのために力を貸してくれるだろう。

帰京する前にブックオフに寄ったらジョナサン・バーチャルの「ウルトラニッポン」があったので思わず買ってしまった。99年の清水エスパルスの戦いを軸に日本サッカー、Jリーグを描いた清水サポーター必読のノンフィクションである。彼はイングランド人でウエストハムサポーター、ちと日本サッカー、Jリーグに対して批評的なのは仕方がない。そのときガイジン(しかもイングランド人)が清水や日本をどう見ていたのか、という意味でも貴重な記録である。
清水の短かった栄光の日々を描く物語の冒頭は、1999年のJリーグ・チャンピオンシップ第二戦のキックオフを目前にした、こんな熱い一文で始まる。

<夜間照明に神々しく浮かび上がるようなオレンジとゴールドの軍団、それがぼくらだった。しんと冷えた12月の大気の下、ぼくらは躍るようなサンバのリズムに合わせ、歌い、体を揺り動かしていた。ぼくらは正統派であり、正義であり、穢れなき者たちの守護神、光の子どもたちだった。ぼくらは清水エスパルス、ぼくらのチームはいま、眼下の、芝生を敷きつめた日本平スタジアムのピッチへ繰り出してきた。
冷ややかなブルーの濃淡をまとった群衆がいる。ブルーのビニール袋を上下に波打たせ、繰り返される太鼓の音に合わせて何度も何度も歌っている。彼らは抜け目なく、ずる賢く、冷静で計算高く、ダイビングも得意なせこいやつ、邪悪なジュビロ磐田だ。
そして今夜、清水の日本平スタジアムで、戦いの火蓋が切って落とされる。>(ジョナサン・バーチャル/野間けい子・訳『ウルトラニッポン』無名舎刊)

最近はノンフィクションやドキュメントというと客観的であらねばならないというような強迫観念を持つ人が多いけれども(残念ながら同書の解説のKさんもそんなニュアンスで書いている)、そんなものははっきり言ってオレの読みたいものではない。所詮サポーターというのは主観の生き物であって、ジョナサン・バーチャル氏が日本平のスタンドで清水側に立っていたのならば、彼は(仮に意図的であっても)その主観でしかこの物語は書きようがない。そしてこの種のノンフィクション、ドキュメンタリー、レポートとしてそれは正しい。

もう一度書こう。
夜間照明に神々しく浮かび上がるようなオレンジとゴールドの軍団、それがぼくらだった。ぼくらは正統派であり、正義であり、穢れなき者たちの守護神、光の子どもたちだった--その中に久保山由清もいた。そしてこれからもいる。
来週は清水が今も<正統派であり、正義であ>ることを証明するために鹿島へ行く。

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