徒然地獄編集日記OVER DRIVE

起こることはすべて起こる。/ただし、かならずしも発生順に起こるとは限らない。(ダグラス・アダムス『ほとんど無害』)

私は日本人ではないので

2011-09-25 00:03:53 | Sports/Football
アフシン「ただ、川崎が1点負けている時に尊敬できるのは、そこで情熱をもって献身的に追いつこうとしているところです。私にとって興味深いのは、私は日本人ではないのでそう思ったことがあるんですが、1点をリードしている時と1点を負けている時で完全に違ったサッカーをやるということです」(J'sGOAL 9月24日付

<1点をリードしている時と1点を負けている時で完全に違ったサッカーをやる>というのは、リアクションの差はあるにしても日本人に限ったことではないとも思える…が、まあアフシンにしてみれば「できるなら最初からやれ」ってことだろう。そして、これはサッカーに限ったことではないけれども、日本人はケツに火が点かないとなかなか<全力>のエンジンがかからない。全力を<真剣>、もしくは<本気>と言い換えてもいいけれども。

そもそも日本は個人スポーツの国である。
日本は柔の国だから…つまり「勝つと思うな思えば負けよ」。
しかし道教にも似た個人の勝負観や自己達成ならともかく、それはチームスポーツに相応しい価値観なのか。
オレたちは勝つために走っているんだろうか。
それとも負けないために走っているんだろうか。
それってマネジメント的にどうなん?

これ、以前にも書いたけれども、「試し合いとゲーム」の問題にも通じるものがあるんじゃないか。日本人は、何が何でも勝つという執念を持ち得るのか? 日本人にとってチームスポーツとは? 日本人にとって「チーム」とは? 社会的弱者に対して同胞の日本人が時折見せるチーム(コミュニティ)や仲間(国民)への冷淡を考えるとなかなか深いテーマではある。

ちなみに「柔」の歌詞である<勝つと思うな思えば負けよ>は「徒然草」の<勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり>が原典とか。この勝負観、もう深く深く日本人の血肉となっているのかもなァ…。

双六の上手といひし人に、その手立てを問ひ侍りしかば、
「勝たんと打つべからず。負けじと打つべきなり。
いづれの手か疾く負けぬべきと案じて、その手を使はずして
人目なりともおそく負くべき手につくべし」と言ふ。
道を知れる教、身を治め、国を保たん道も、またしかりなり。
(徒然草)

観戦記は改めて。

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