ワウワウうさぎ

自分の興味のあること、日常、考えた事をつれづれなるままに。平安文学にハマり中。

友人が流産

2015-08-20 23:10:12 | 婦人科関係
昼前、大学時代の友人から「電話していい?」とLINEがあった。
もちろん、オッケー!
すぐに電話がかかってくる。

友人Mちゃんは、結婚して2年半。
1歳半の子供がいる。
赤ちゃんのペースに合わせた生活なんで、Mちゃんの手が空いた時に「電話できる?」とか連絡がくる時が多い。
今日も、子供が昼寝したから、その間話ししよう?という感じだった。

いつものように、たわいのない世間話を少しして…
それからいきなり「悲しい話していい?」とMちゃん。
「平気やと思う。Mちゃんが辛くないなら、大丈夫よ?」と答える。
Mちゃんは「今日の朝に分かったんやけどさ…」と切り出す。
ん?朝??
一瞬、Mちゃんの旦那が浮気してるの見つけたとか、そういうのかと思っていたら、
「私、流産した」ってMちゃん。

私、「うーん…そうなんやー」とシドロモドロ。


Mちゃん、7月に妊娠検査薬で陽性反応出て、婦人科に行くものの、赤ちゃん確認できず。
次の週も、次の週も確認できず。
子宮外妊娠かもしれないってことで、即入院。
小さな子供がいるから、Mちゃんの実家と旦那さんの実家に入院と妊娠の旨を連絡。
3日入院。
最後の日にエコーで子宮の中に赤ちゃんを見つけるも、心音確認できず。
「多分ダメだねー」と医師から言われる。
次の週、心音確認できる。医師もビックリ。
次の週、心音確認できず。流産。


ということらしい。

「泣いていい?」とMちゃん。
「うんうん、大変やったね。7月からずっと、心配やったやろうし。」

そういうのが、精一杯。

「心音聞かせてくれて、すごいね。頑張り屋の良い子やったんやね。」って思わず言ったけど、いらん一言やったかもしれない

でも、少し泣いたら、Mちゃんケロッとしてて、「今年の夏は、家族でハワイに行く予定にしてた。でも、入院とかでキャンセルせざるを得んくて、キャンセル料取られるし、赤ちゃんいなくなるし…せめて、ハワイ行きたかった~!」…とのこと。

お…おう、そうなんやー。

Mちゃんは、卵のうちは「命」って感覚じゃないのかな?
あと、私があんまり、旅行好きじゃないから、「せめてハワイ行きたかった~」にピンとこないのかもしれないが
…まぁ、Mちゃんの体調も良好らしいので、一安心です。



私の周りにも流産した人はいる。不妊治療している人もいる。
叔母さん2人、いとこのお姉ちゃん、職場のパートさん、後輩(男)の奥さん、お稽古の生徒さん2人。

詳しい話は知らないけど。

だから、よくあることというか…結構、身近な認識かもしれない。

私の母も3年くらい子供が出来なくて、一度病院で診てもらった方が良いのかな?と思っていたら、私が出来たらしい。

すぐに妊娠出来る人もいれば、そうじゃない人もいる。そんなに、何でも思い通りにはいかないものだよねって思ってる。


妊娠も育児も人にとって捉え方が違うように、流産した後の乗り越え方だって、きっと人にとって捉え方が違うよね。

Mちゃんの気持ちはMちゃんにしかわからないから、私はなんて言えば良いのか、上手い接し方が見つからないけど。

でも、分からないなりに、間違っても私は「また次があるよ」「早く忘れて、気持ち切り替えようよ」とは言わない。
そんな残酷なこと言えない。
心音確認できるってことは、脳みそはできてなくても、もう立派な命だと思うから。
次に妊娠出来ても、前の子とは違うから。
自分が言われたら、心を閉ざしちゃいそうだから。

命を重く捉えるが故に、妊娠する前から、私は「出産と育児怖い病」なんだろうけど。

子供は親のペットじゃないしアクセサリーじゃない、親のステータスにはならない。
「子供、産むのが当たり前」なんて、そんなことないと思う。
子孫繁栄したいっていう気持ちが遺伝子に組み込まれている?そうなの?って感じ。
子供がいなくても、夫婦の仲が良かったらそれで上出来だと思う。産まれたら産まれたで、幸せだと思う。

とはいえ、私も「子作り頑張ってみようかしら」と思い始めた所なんだけど。
私の場合は、「旦那の子供だったら産みたい」っていうのが大きい気がする。旦那に似てたら可愛いだろう。私が育てていけるか不安だけど。
人から嫌われ過ぎない子だったら、どんな子でも良い。
あと、自分は不幸だと思わない子であって欲しい。親として、子供にそんな悲しい顔をさせてはいけないと思う。世の中捨てたもんじゃないと思って欲しい。


今の所、ただそれだけ。



なんか、また色々考えちゃったなー。

バケモノの子(ネタバレ?)

2015-08-17 17:15:51 | 読書感想文
映画見た。

忘れないように感想を書く。


前半、良かった。テンポがいいしコミカルで面白い。
最初の炎の中で人物紹介がかっこ良かった。
声は俳優と声優が出てて、やっぱり声優さん上手い!俳優が多いから、声優が浮くっていうか、違和感があるくらい上手い。これが、ジブリが声優さんを使わない理由の「完成された声でダメ」っていう現象なのか?
でも、最後のクジラが襲ってくるシーンでは、やっぱり声優さんの方が絶対いい。感情が入ってる。
全体の絵がお金かかってる!
戦うシーンとかのCGが上手い!CGならでは!活かせてる!

ヒロイン、必要か?邪魔なだけじゃないか?急に出てきて、とっちらかっっちゃった。
九太の少年時代の声が時々、少女になる…。
なんか言葉足らず。説明不足。
→なんで図書館?なにその本?クジラ?
→なんで敵キャラクジラ?そこは、猪じゃないの?
→なんで最後の熊鉄、剣になって、九太の体に入る?
→大学進学…いるのか?
→途中、バケモノ界と人間界と自由に行き来できているけど、いつの間に?
→猪の親父、なぜ人間界にいたんだ?
→バケモノ界で人間はいてはいけない!感が薄々。もっと、出てて良かったのに!
→ネズミみたいなやつ…チコ?何?

なんか、最後の方、熊鉄放ったらかしで、でも、最後の最後は最強の武器に体に入ってなってちゃんちゃん…っていう。んーーーー…丁寧に描いても良かったんじゃないかなぁ

人間界に偶然戻ったとしても、もう当分バケモノ界には戻れなくて九太と熊鉄は別々に成長してまたバケモノ界で会うとか…そういう話でも良かったかなーと思う。なんで自由に行き来できてしまったんだ

あと、一朗太は、闇を抱えてしまったけど、それに対しては何も解決してない気がする…。なんだかなー
一朗太のこと、もっとちゃんと描いて!!
優等生だからこそ抱える闇を、ヨウゼンからの説明だけじゃなくて、子供時代から描いて欲しかった。
一朗太、重要キャラなんだから、ちゃんと描いて!
納得できない!!

余白がない。いらない説明がめっちゃあって、必要な説明が無い。いらない説明を、熊鉄と九太にさいてーーーー!!
もったいない…。

あと、前半にあった「ビュ!バーン!」のシーン。最後に出てきたら良かったのに
熊鉄、体に入れなくても、本物の剣になって「ビュ!バーン!」すれば良かったのに!って思っちゃった。



細田監督。
期待してたからこそ、辛口。
話をモリモリにし過ぎちゃった気がする。
ヒロインと九太の関係が、本当にいらなかった。
なんでいつの間にか大事な存在になってるんだ?
肝は、なぜ、バケモノには闇がなくて、人間はバケモノ界で闇を開花してしまうのか。そっちの描写が大事だったんじゃ無いかなー?大検云々とかよりさ。


ハァ~なぐり書き。
旦那は面白かったし楽しかったらしい。
それは良かった。
でも一方で、私は、この世界で一人なのか…と思った。別に私も批判したいわけじゃ無い。
でも、どう感じたかは自由なはずなのに、「そういう風に思うのは違う」って言われると、何も言え無いし、言いたく無くなる。
コミュニケーションって難しいね。


以上!

生命保険の勧誘

2015-08-11 14:40:09 | 日記
昨日、小学校の時からの友人Aちゃんに会った。
Aちゃんは、小学生の時、少し大人しい性格なだけで、スポーツも出来るし、頭もいい、可愛い女の子で友達も多かった。(少なくとも私よりは友達が多かった)
男子からも人気があったような気がする。

でも、中学生になって、不登校になった。
家が近所だったのと、子どもの頃から仲は良かったので、クラスは違っても、プリントを持って行ったりゲームをしたり、何やかんや、交流はあった。

高校が偶然同じ高校だったので、何も無かったら一緒に帰ったりもしていた。

20歳くらいから、小学校のクラスメイトと同窓会がてら年一回集まったりするようになって、再び仲良くなった。(それまでは途切れていたけど)

大人になってからは、仕事や恋の悩み相談もしていた。
Aちゃんは、先祖代々、某宗教に入っている。彼氏の家族が付き合うのを反対していて、彼女の親も、宗教を否定する彼氏の家族を良く思ってなくて、Aちゃんは板挟みで悩んでいた。

私もAちゃんが某宗教に入っているのは知っていた。でも、勧誘されたこともないし、宗教の話もされないので、別に全然気にして無かった。
普通に子どもの頃のままのテンションで話をしていた。

Aちゃんは高校、大学を無事に卒業して、某銀行に就職した。でも、だんだん会社に行けなくなって、休職。のちに退職。
その後、派遣でフラフラしていた。

別に、私はそういうのも全然、気にして無かった。
Aちゃん、仕事がしんど過ぎたのかな?大変だなぁ~とは思っていたけど、人としてどうとか、こうとか、そういうのは何も思わ無かった。

8月3日に実家に帰って、Aちゃんともいつも通り会う約束をした。
約束を取り次いだ後、電話がかかってきて「縁があって、先月から某保険会社に正社員で働くことになった。営業の練習に付き合ってほしい。」というような内容だった。
一瞬、もしかして勧誘されるのか?と思ったけど、練習相手になるだけだろうと思って、OKした。

地元の友達に赤ちゃんが生まれるので、そのお祝いも買いに行くがてら会った。

夕方、生命保険のセールスの練習相手になった。
…でも、練習相手と言いながら、私の生年月日、旦那の生年月日、住んでる地域、年収、今入ってる保険…色々、データをパソコンに打ち込んでいる。

さすがに年収とか言いたくないのと、パソコンにデータが残るのが嫌で…
だから、私は適当に「一般的な平均月収ってどれくらい?…じゃあ、月に30万円ってことにしといて」とか、うやむや。
子どもも、「なしってことにしといて」と子どもを望んでない夫婦を演出。
後、お金のことは旦那の方がしっかりしてるから全部任せてて、私は生活費しかもらってないから、貯金のこととかわからない。と、分かってない嫁を演出。

私にまつわる材料が少なくてか、一般的な家庭では~という事しか話せないように、左に右に話を逸らしたので、そこまで迫った内容にならなかったから良かったけど、バカ正直に全部さらけ出してたら、すごく勧誘されていたんだろうなって思う。

Aちゃんは練習が終わってから「いい保険だから、つい進めすぎちゃうんだー」なんて言ってたけど、私に合ってる内容だから進めたいっていうのじゃなくて、ノルマもあるだろうし、カモの数のうちの一人なんだろう。
「友達に保険の話をすると、引いちゃうかなと思って緊張していた」とAちゃん。
そう思うなら、やめておけばいいのに。
「全然大丈夫やで」とは言ったけど、やっぱり、気持ちのいいものじゃないよね。

お盆明けに、地元の友達YちゃんとNくんにも「保険の練習」はするらしい。
どうなるんだろう。

保険の営業って、本当に難しいと思う。
私には、絶対に出来ない。大変すぎる。
Aちゃん、なぜわざわざ険しい道を進むんだろう。
保険会社に洗脳でもされているのか?と思うくらい、「いい保険で、このプランが~」と勧めてくるAちゃん。

夜帰宅して、めっちゃ疲れたのを実感した。
なんか、悲しいなーというか。モヤモヤ。

お盆明けの2人はどう思うんだろう。
絶対、引くんやろうな…と思うのだが。

しろいろの街の、その骨の体温の

2015-07-28 09:43:17 | 読書感想文


中学生のイメージは、生徒がみんな元気で、可能性で満ち溢れていて、キラキラしていて、まさに青春時代。のように思う。
でも、実際は、中学生は体も心も子供から大人になるデリケートな時期であり、傷つきやすい。残酷。女子グループの暗黙のルールに女子はいつもギスギスしている。なんとなく、スクールカースト制のようなものがあって、カーストの下の子は、出すぎた真似はせず、身分をわきまえて振舞う。
私の中学時代も、そんな感じだったと思う。

本文は、そういった中学生活のカースト制や中学生が抱える感情、劣等感と自尊心が、とても生々しく表現されていて、読んでいて、私の心もヒリヒリした。しかも、登場人物の、可愛いおしゃれな若菜ちゃんはAちゃん。いけてないキモいとされている信子ちゃんはBちゃん。ボス的な小川さんはCちゃん。と、自分の中学時代と重ねながら読めたので、感情移入しやすかった。
特に、主人公が信子ちゃんを見て、「私はまだ大丈夫」的な安堵する様子などは、私も身に覚えがあったので、自分のドロドロした嫌な部分を再認識した。

主人公の谷沢結佳ちゃんは、伊吹くんに恋をする。しかし、結佳ちゃんの愛し方は間違っている。こんなことをされたら、伊吹くんはトラウマになってしまうのではないかと思うほど、過激で激しく、自分勝手な接し方をする。

女子のグループの中の結佳ちゃんの様子は、手に取るように分かったが、伊吹くんに対する感情は、「どうしてそんなことが出来るの?」と思うことばかりだった。私は、幼いのだろうか。

そういえば、初めて付き合った人と別れる時、最後に「お前の『好き』は俺にとっては暴力でしかなかった」と言われたのを思い出した。
私は相手のことを好きなくせに、恥ずかしくて、全然素直になれなかった。わざと冷たい態度を取ったり、傷つけて、困らせていたと思う。自分でも、なぜ、そんな風にしかコミュニケーションがとれないのか、いつか嫌われてしまうんじゃないか、いつも不安だった。本当に私の事が好きなのか、疑っていた。当時の私は、結佳ちゃんのように、劣等感とむやみに傷つきたくない気持ちでいっぱいだったんだろうと思う。相手の男性は、きっと、そんな私に嫌気がさしたのだろう。別れる少し前に、私の性格には問題があると言われた事もあった。それを聞いて、落ち込んだ。でも、さらに「自分は弱くて欠陥商品だから、強くなって、もっと相手と対等なレベルまで成長しなければいけない。」と感情を強張らせていた。しかし、どうしたらいいのか分からない。どうすれば、うまく伝わるのか。関係が上手くいくのか。自分は、どうしたいのか。何も分からない。ただただ、苦しい。自分の事がどんどん嫌いになる。
だから、別れた瞬間、悲しかったけど、「もう苦しまなくていいんだ」とホッとした記憶がある。

結佳ちゃんのような過激な接し方ではなかったし、やれと言われても私には出来ないが、中身は私と同じような気がする。したくないけど?したくて?相手の事を考える余裕もなく、行動してしまう。一種の発作というか、スイッチが入って、自分でもコントロールできなくなるのだろう。それは、すごくわかる。「私、伊吹のこと好き。でも、好きって言いたくなかったの。たぶん、それよりずっと好きだったから」と言った結佳ちゃん。分かる!!

伊吹くんはとても素敵な男の子で、優しい。性格がいい。結佳ちゃんに戸惑いながらも、まっすぐに受け止めようとしてくれる。
結佳ちゃんの愛し方は間違っているけど、伊吹くんも結佳ちゃんを好きでいてくれた。「谷沢のそういうところが嫌い」とハッキリ言ってくれる。逃げずに、いつも見つめてくれる。
「一番嫌だったのは、谷沢が大嫌いな谷沢が、おれより傷ついた顔をして、自分を傷つけてたこと。おれは、谷沢の好きな谷沢と、ああゆうことがしたかった」と言ってくれる伊吹くん。
よかった!と思わず涙が出た。
自分に言われているようだった。
伊吹くんの優しさが心に沁みた。
私も伊吹くん大好きだ!
最後に「私って綺麗みたい」と結佳ちゃんが思えてよかった。

最後の最後の展開は「えええ?早すぎじゃない?」と思ってしまった私は、おばさんなんだろうか。
それもこれも全て、若気の至りがなせる技なのか。


この本を読んで、色々な出来事を思い出してしまった。あまり、いい思い出とは言えない、辛くて苦しかった思い出。ギリギリ保てている感じ。
今も、旦那が好きだし友人もいるけど、若かった頃の余裕がない感じは減った。それでいいのだけど、もう味わえないのかと思うと、少しさみしい気もする。でも、あの頃は良かったなんて、一切思わないけど。
10年以上経って、やっと「そんなことあったな」と振り返れる冴えなかった日々。やっと直視できるくらい、重くて強烈だったのだろう。

いつも本を読むスピードは遅い私だが、この本は2日で読み終えてしまった。その夜には、色々思い出してしまい、興奮して眠れず…2日とも寝不足になってしまった。すごく内側に届くワードが満載で、疲れてしまった。でも、少し癒された。
とても不思議な気分になった。

伊勢物語

2015-07-26 19:51:04 | 読書感想文
そういえば昔、こんな男がいましたっけ。
時は1000年前の昔、所は京の都。
その男ときたら、めっぽう美男で、心優しく、いつだって情熱に溢れ、それはとどまる所を知らないのでした。
そんなわけで、老いも若きも、ウブも手馴れも、女という女は、その男と恋に落ちてしまうのでした。

物語が書かれたのは平安時代初期。一巻。
作者不明。物語の成立当初から古典教養の中心であり、各章段が一話をなし、分量も手ごろで都人に大変親しまれていたと考えられている。

現在とは、文化や社会の構造が違う、遠い時代の物語だが、「恋の心」は今も昔も変わらない。
切ない恋、儚い恋、おかしい恋、哀しい恋、しみじみした恋…よりどりみどりの「恋の雅」が物語に詰まっている。

また、『伊勢物語』は、本文が語りの味わいを失わないギリギリのところまでしか語られていないため、読み手の想像がどんどん膨らんでいく。

例えば、伊勢の斎宮との恋を描く六九段も、昔男と斎宮の関係が結局どうなったかは分からない。
だから、プラトニックな恋だったという解釈から、ただ一夜の契りだった、果ては子供が出来たとする伝えまで生まれた。

『伊勢物語』は「歌物語」に分類される。
「歌物語」とは、歌を核とした短編物語集のことである。そもそも「歌」は五七五七七、たった三十一字の詩の形である。
短い故に、たくさんの解釈を生み出す。

『伊勢物語』は「歌」の部分だけでなく、本文も本質は「歌」であるように思う。
本文が、あたかも胸がいっぱいで言葉にならないように寡黙なのだ。
「その心あまりて、ことばたらず(心が豊かすぎて、それを表す言葉がたりない)」という「古今和歌集」仮名序の業平評は、そのまま『伊勢物語』の本文そのものの評と言えるのではないか。
そして、本文が寡黙であるにも関わらず…というより、だからこそ、行間は「おしゃべり」なのである。
業平の歌が「しぼめる花の色なくて匂い残れるがごとし(しぼんでしまった花の色がなくて《言葉が不足して》、匂い《溢れるような心》が残っているようだ)」と評されたように、行間からは言葉にならなかった心が溢れ出す。それに耳を傾け、想像を巡らせると、ついつい行間のおしゃべりを言葉にしてみたい誘惑にかられる。
だから、昔男と斎宮の恋の結末、解釈が読み換えを誘う。
また、『伊勢物語』には、「実は昔男というのは、在原業平という人がモデルで…」とか、「実は、この時、高子という高貴な女性と駆け落ちしたんだけど、鬼に食べられたんじゃなくて、親か兄弟が高子を連れ戻したんだよ…」など、ついつい得意げに人に話をしたくなるような、本文には無いが「実は…」というエッセンスが物語の中に散りばめられている。これも、『伊勢物語』の見えない刺激であるように思う。
その上、主人公の「昔男」は最後まで、在原業平であって、在原業平ではない。だから、昔男は史実に縛られずに、どんな相手とも、どんな場所ででも、恋ができるのである。

『伊勢物語』の魅力を語り出すときりがない。
1000年前に、このような素晴らしい物語が作られ、人々に愛され、現在まで残っているとは!
大切にされているから残っているのであって、多くの人が守ってきたから残っているのである。
その重みを感じつつ、何回も繰り返し読みたい作品である。

どんなに言葉を選んでも、軽くなってしまう。
私は、もっと知識を増やし、語彙を増やし、豊かな言葉で表現できたらと思う。
もっと人と関わり、話を聞き、本を読もう。