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汎発性脱毛症になりましたが元気です。自分のこと、家族のこと、子どものこと。家づくり育児ブログ??になってきました。

スタート・イット・アップ

2009-11-12 22:11:05 | なか
2009年11月12日

 「何を書こう」と正直に思う。
 まっさらな白紙の上に言葉を置いていくことは簡単だけれども、なかなかその真意を正確に伝えることはできないし、自分が考えていることを上手に伝えることは難しい。そもそも伝えることが目的なのかも怪しくなってくる。絵具の試し塗のように次々と言葉が鮮やかな意味をもってくれればどれだけ自己養生になるんだろうと思うけれど、そんな偉大な詩人のようにはいかないし、結局それができても空虚さは残るんだろう。

 どんな時も人は感情を吐露せずには生きていけない。それはストレスを発散させるとかそんな類のものもあれば、切々と根本的な内情を何とか解決させたいともくろむことでもある。現実をもっともよく知悉している人でもそうだろう。

 じゃあ、なぜ今自己養生の一つとしての書くことがなくても平気なのか。
 その答えは2つ考えられる。一つは自己養生そのものが必要ないということ。そしてもう一つは書くことが自分の感情の整理には最良ではないということだ。ただ、やっぱりそれは「言葉」の世界での話だ。
 
 考えるってことは人間に与えられた特権のようにも思うけれど、こと感情に限っては理性的でないほうがいいことが多い。感情を理性的にとらえるには無理がたくさんある。知的になればなるほど人間は現実的な感覚を失っていく生き物だとも思う。ヘミングウェイ、芥川、太宰、その末路は結果同じ終着点をみる。

 「もう大丈夫だよ」そう言って遠い目をする友人の気持ちを察することは、行間を読み取ることに等しい。有機的な人の感情に理性で立ち向かうのは迷妄が深まるばかりだ。自分にとって上等な感情は理屈を語る前に言ってしまったほうがいい。思春期の恋愛感情みたいなものが、割と心地よい安堵をもたらしてくれるんじゃないかと思う。逆説的だけれど、だからこそ自分の気持ちと付き合うことは大人になればなるほど難しいと思うんだな。


 
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