Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

同窓会  ②

2014-10-06 20:54:21 | Weblog

 昨夜は呑みすぎたのか、夜中、喉が渇いたが朝7時ごろまで寝ていた。起きて鏡を見ると目は赤くなっていて頭も重かった。軽い二日酔いであった。同屋の名古屋のM君と茨城県牛久のY君も起きて来た。朝風呂に行く気にもならなかったのでベランダに出て瀬戸内海の景色を見た。台風は東に去った跡だが波は弱く、海岸を犬を連れた女性が散歩していた。静かな朝であった。隣の部屋のT君もベランダ越しに出て来ていて、台風は四国沖の海上を通過したことなど話した。瀬戸内海は内海でありその影響がなかったようだ。

 部屋の3人と一緒に2階の食堂に行った。同期の人は服装を着替え食事をしながら歓談していた。その中に地元のKさんと、東京のN君がいて、Kさんが「自動車で鷲羽山に行くが一緒に行かないか」と誘われた。台風は東海地方に近づいていて、新幹線の遅れも予想されたので彼等と自動車で観光することにした。ホテルを出たのは8時15分であった。鷲羽山は本四架橋瀬戸大橋の直ぐ東側にある小高い丘で瀬戸内海を見下ろす景勝地である。そこは台風一過の青空が広がっていて、そこからは瀬戸内海の、いくつもの小島と、四国まで繋がった本四架橋もはっきり見え。四国の坂出市にある火力発電の煙突も見えた。鷲羽山は木立の良い松に囲まれ。その中を20分ほど散策した。

 そこから移動して吉備津神社を案内してくれた。この神社はこの地方を治めた吉備氏一族の神を祀る神社であったが、推古天皇の時代吉備国が備前、備中、備後に別れた際に、備中側の神社として建てられたもので、拝殿、本殿が国宝であった。長い廊下と鳴る釜の神事が有名とのことであった。因みに2km程離れたところに吉備津彦神社があるが、それは備前側の神社として建てられたと聞いた。そしてこの近くには古墳が多く点在していて、また豊臣秀吉が攻めた、備中高松城の城址も近くにあった。ここ吉備国は歴史が色濃く残る地区であった。

 そこから岡山空港に行った。747ボーイングが止まっていたが、台風の影響で1時間30分ほど遅れると掲示してあった。早めの昼食を食べ、そこでN君と別れた。Kさんはその後も岡山駅まで市内を案内してくれた。岡山駅に着いたのは午後1時少し前であった。家に電話すると「台風は浜松付近に上陸し静岡市を通過した。雨や風が強かったが我家は被害はなかったが、東海道本線は由井~興津間で土砂崩壊があり止まっている」と云った。この時間には新幹線は平常通りの運転になっていて午後1時21分発472のひかり号に乗った。この車両にはM君夫妻と名古屋のM君も乗ったが、旅の疲れもピークになっていたので、席を別々にして寝て来た。静岡に着いたのは午後4時32分であった。