Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

TOさんの葬儀

2011-12-29 20:44:08 | Weblog

 昨夜、OB会〇〇支部の月例部会が終わったのは午後7時近くであった。家に帰り弔辞の原稿を纏めた。TOさんとは30年近く前に、2年間ほど一緒に仕事をしたが、それ以外のことは知らないことが多かった。そのため遺族や、TOさんと親しかった人に聞いたり、時代的背景を調べたりして出来上がったのは夜中の12時近くであった。今朝朝8時ごろ遺族に電話し「原稿をファックスするので間違いがあったら直してほしい」ことを頼んだが、既に葬儀の準備が始まっていて、そうした時間はなさそうであった。そこで電話越しに読むと「それで間違いないのでお願いします」こんな返事であった。それをもとに弔辞を用紙に書いた。

 13時30分からの葬儀に間に合うよう家を出たのは12時20分ごろであった。洞慶院は曹洞宗の古刹であり、寺位も静岡では抜きんでて高い。この本堂で葬儀が行われた。奥さんも20数年前に亡くたことや、86歳と高齢のため、参列者30数名であったが、6人の僧侶と風格ある住職の先導で儀式は行われた。いくつかの葬儀を見てきたが、重厚で落ち着きのある葬儀は初めてのような気がする。30分ほどしたあと、司会者に促されて弔辞を読んだ。上がることもなく淡々と出来たような気がした。その後弔電が披露されたが、流れに斑のない葬儀であった。

 その後、住職が貴重な話をした。よく覚えていないので正確ではないが、このような話しだったと思う「20数年前奥さんの葬儀は先代の住職が勤めた。奥さんは仏心があり、生前より洞慶院のために尽くされた方であった。先代住職の法名は〇〇といったが奥さんの戒名の中に同じ〇〇が入っていることは、それだけ信頼された人であったと思う。その先代の住職は立派な方でのちに曹洞宗総門永平寺77世管主となった方である。仏教が伝来した中国も文化大革命によって、仏教が排斥された。多くの寺は壊されたが、その後いくつかの寺の復興が許された。その復興費の一部を日本仏教界も負担することになった。その先頭に立って進めたのが77世管主であった」こんな話であった。聞き違えもあるが、私はこのような話だと思った。現住職も高齢で、静かにゆっくりと話す声には、ある迫力を感じた。

 1時間ほどの葬儀が終え外に出た。風もなくよく晴れた天気であったが冷気を感じた。鉄道関係者は同級生2人と私であった。やはり現職を離れ30年近く経つと国鉄の影響は少なくなっている。2人を自動車で送ることにした。