Masayukiの独り言・・・

老いの手習い日記です。

葬儀のこと等

2011-12-27 23:51:01 | Weblog

 午前10時に、12月20日に亡くなったYAさんの家にいた。仏壇の前で線香を焚いて、葬儀に参列も、弔辞も出来なかったことを詫びた。その応対は娘婿さんであった。話のなかで、鉄道OBの方には89歳の死去であり、あまり知っている人がいないことから連絡はしなかったと言った。しかしこの近隣にはOBの方が多く住んでいるので、残念な気持ちは拭えない。10分ほど話して帰ったが、YAさんの死亡者叙勲が出来ないか考えた。着替えをしてOB会〇〇地方本部に行くと、SIさんがいて「叙勲の対象になること。早急に死亡診断書等の書類を整えて明日午前中までに提出してほしい」とのことであった。

 直ぐ娘婿さんに連絡したが彼は「YAさんは3姉妹の娘さんがいるので、3人に相談させてからにしてほしい」とのことであった。時間が限られていることから、早い相談を伝え電話を切った。その後もSIさんから、催促の連絡があったので、娘さんから来た葉書に書いてあった、長女が嫁いだ〇〇寺に電話した。連絡がついて、早急にみんなで話すとのことであった。その答えは午後6時ごろ娘婿からあり「いろいろお骨折りいただきありがとうございます。姉妹で話しましたが、叙勲はご辞退させていただきたいとのことです」こんな内容であった。このことは私自身がが葬儀に参列もできなかったこと等から前のめりになった感じで、出来うることなら叙勲だけでもして遣りたいとの思いからだった。断られたことから、これはこれで已む負えないと感じた。

 それから網戸の掃除にかかったのは12時近くになっていた。カッパに長靴を履いて、一階二階にある全ての網戸を外した。築後21年も経つと、網戸の破れも数ヶ所あった。それも含めて、庭の木に立てかけ洗うことにした。網戸の他外側の窓は私が洗った。休みも入れ午後4時ごろには網戸と窓洗いは終わった。既に日は沈んでいて、網戸には水玉が残っていたし、窓も濡れたままである。一階の網戸は納めたが、2階の網戸は玄関に立てかけ、乾いた明日にでも納めようと思う。

 慣れない作業であったので、疲れが出た。夕食を食べる、風呂に入った。明日のOB会の月例部会の準備をしようと取りかかったが、眠気がしてまとまらない。午後8時ごろであったがソファーで仮眠した。起きたのは午後11時を回ったころであった。パソコンに向かっていると、メールが入っていた。また訃報であった。TOさんで国鉄時代同じ課の上司であった人である。明日対応することにした。